こんばんは、大島です。
ここのところ難しいお話が続いております。仕事にも国民にも役割がある、というお話や、私たちがビジネスプランを重く置きライフプランを軽視してきたお話とさせてもらいました。
それらによって私達は常に大袈裟ですが、損得の選択をし、させる構造を作り上げてしまったのではないか、と私は考えます。
今となっては、露骨に外国人優遇政策を推し進めておりますので、如何にビジネスプランよろしく頑張っても、収めた徴収金が国民に満足に反映されていないことはおわかりだと思います。
これは私が思うに、ビジネスプランの価値を高めることによる従順な国民育成であり、規範もないマネーゲームによるスラム化と考えます。
そのため、大学や大手企業、官庁はもちろん結婚にまで基準や試験を設けて精査しています。
単純なロボット生成や兵隊育成とも言えますね。そして個性の否定にもつながり、愛国心、郷土愛、家族愛といった基本的なことは度外視されます。
今では、子どもを設けることすら助成金の対象です。
愛国心や郷土愛、家族愛を否定なさる方は、それぞれの衰亡している様をどう解釈なさるか伺いたいものです。
ビジネスプランとライフプランの差は、長期的であるかないか、ひいては過去・現在・未来といった時系列的なものごとの進化を認められるか、と私は考えます。
仕事にしても、政策にしても、家庭にしても過去・現在・未来といった時系列感じられなくなるのは、決して経済だけではなく、試験のような制約ありきでありながら、未来設計もない現状ではないでしょうか。
そう言えば、昔は“女・子どもはか弱いがゆえ守るもの”なんて言う大人がいましたが、そんなドラマすら見なくなりましたね。