こんばんは、大島です。


常識に囚われるのは、決して悪いことではありません。が、あくまでも文化的な要素のあるものならいざ知らず、悪習なものもあります。


ことさらお金に関するものは多く見られます。政治の裏金問題のようなものとは限らないのです。まして常識をスタンダードと捉えた場合、悪化させることもあるのではないでしょうか。


些細なことですが、食品売り場の値引きや試食は“客の入り具合”に左右されるもので常識の範疇とは言い難いです。あまりにも値引きが増えるなら、小さな町だと仕入れを取りやめる商品が増えるだけです。


似たようなもので“ただなら何をしても良い”わけではありません。


お金を使う行為には未来があるのではないでしょうか。勿論良くも悪くもです。


こんなお話をしますと、“税金”と思い浮かんだ方もいらっしゃると思います。それもそうですね。


それでもその都度小言を漏らして受け入れてしまったのが今なのです。


政治的なお話は抜きにしたとしても、ここ数年で活気を帯びている“投資”なんかも未来があります。


が、現在の日本人で十分投資にお金を使える人はどれくらいいるでしょうか。年収350万以下の方が40%を超えた今、投資をスタンダードとしてどうでしょう。


長い不景気に生きた50代前半の方々をはじめ若者たちも危ういものです。


20年後に“ニーサ入ってるから大丈夫だよね~”なんて人が日本人の半分もいるかは疑問です。


それでも投資は、年金だけでなく投資もしていかねば。と合衆国を引き合いに広まっているのです。


現状を改善もせず次々とスタンダードを受け入れる日本人は、「同じ日本人を犠牲にしてまで体裁を保とうとする」常識にとらわれてしまっています。もはや病ではないでしょうか。


いい加減“日本人同士”意識していかねばならない。と私は思います。そのうち“日本人は”のあとに来る言葉は、謙虚や礼儀を重じる、ではなく、貧しいやいやしいに変わりかねませんね。