こんばんは、大島です。


20世紀。から日本は、パーソナリズムを取り込みました。その甲斐あって、個人差を認める成果も得ております。きれいに言うならば、個性の時代です。


良い成果の代表として、アレルギーや多動性などの周囲の理解で疾患としての苦悩が和らげられたものが当てはまるのではないでしょうか。


しかし、個人主義といったイデオロギー化したものと、自由が融合したとき、一定のモラルや常識により支えられてきた日本社会は苦悩や被害を生んでいるのです。


例えば、宗教上の理由です。

既に実例が出ておりますが、外国人居住者のお子さんに「給食メニューで四つ足動物の肉は使わないでほしい」とクレームが出たのです。


パーソナリズムが浸透しアレルギーの場合は、担任の先生などの周囲の理解を得て、配膳の際に該当食品を入れないように努力したり、また当人も食べないようにすることでアレルギー対策とするのが日本的な配慮なのです。


が、外国人からすれば、日本の学校教育は公的サービスであり、給食はお金を払った対価ですからレストランにも等しくなるのです。


このお話はまだ可愛いものです。


とにかくもはや政治で日本の仁の文化、積み上げてきたモラルを守らねばならないと訴えます。


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