こんばんは、妖怪こと大島です。
昨夜の続きです。
ひとは“ひとを殺したくなるときはあれど、まずは殺せない、殺さない”ものです。
動物をも殺せない方もいらっしゃいます。命を知れば知るほど、愛情を慈しめばしむほど、そうなるやもしれません。
できるとすれば、よほどの訓練を受けたか、心もない機械としか思えません。
思うにそれは、積み重ねてきた示しや教えと現実から生まれたモラルよりも“鉄則”ではないだろうか。DNAに刷り込まれた、というやつですが、災害や内戦に明け暮れてきた日本は、治山、治水、治安をも含めた命の鉄則があったように思えます。
話を戻しますが、旭川の事件は、なかば不良グループというより若者の村社会の中でも、はぐれもの村に思えてなりません。
何度も申しますが、村社会は目的やモラル、掟すら違えてしまうもの。
ましてや、いたずらに年功序列を重んじるなどあったなら、ろくにひとも知らない若さは凄惨さをも生むと考えます。反日教育のようなものです。
年齢的なカテゴライズなどあらゆる要因が重なっていたと推論の域は出ませんが、出来うる限りこういった村は解散させるか、培った掟を授けねばならないです。
わたしは彼女たちを、若いがゆえのニュースとされておりますが、反社会的組織と見られてもおかしくないと考えます。
が、アイデンティティを捨てないよう愉し、導くことは難しくとも、田舎の村社会が見て見ぬふりせぬよう未然のおせっかいがあれば、単なる喧嘩で終わったのではないか、と衰退する若者に心配してしまいます。
国家観でも何度も申しておりますので、人情たむけて終わります。