そもそも私が考えるに、日本国は今で言うグローバルを国内にもたらそうと努力してきたのではないでしょうか。


北は北海道、南は沖縄。すべての島を、ひとつの共同体とすべくエネルギーも経済も取り組んできた、とわたしは思うのです。

どんな田舎でも数こそ違えど街灯が道を照らし、日本全国どこでも鉛筆1本同じ値段を成し遂げました。


これはいわば政府の夢、とでも言いましょうか、民間企業、国民も努力しついて行ったのです。


ところが、この長い不景気です。わたしには日本全国グローバルが、世界のグローバルに合わそうとした結果にも見えます。


そして同時に、世俗的なことは後日としますが、政治も経済も利権有りきなところが、日本全国共同体を世界のグローバルに売っている、とわたしには思えてなりません。


中華企業一辺倒なソーラーパネルも半導体事業も、車産業の電気化政策もそうではないでしょうか。そのうち通信インフラさえ危うくなりかねません。


現実的に、国民は国内グローバルを企業努力で補ってきた経緯の上に、世界のグローバルに合わそうとして、無理が生じております。

運送業はその最たるもので、工業・建設産業も然りです。


さらには、今になってようやく少子化も経済の大切な一因と扱うようになりましたが、全てが別々といいますか、わたしが申していましたカテゴライズして何もせずなところがございます。


残念なことですが、今後ますます“どんな手を使っても金を儲けたものが勝ち”な風潮は高まり、“努力したものは報われもしない”ひもじさが増すのでは、と私は危惧します。


下請け会社などどうなっても仕方がない、といった情もない精神は、もはや地方崩壊の根幹ではないでしょうか。


日本の共同体は、世界のグローバリズムに自滅するばかりだとわたしは訴え、内需や関税強化をお話してきたのです。