こんばんは、妖怪こと大島です。


アイデンティティについては、詳しくお話すればいかようにも深く掘り下げることができますが、ここでわたしがよくお話する“村社会”にも当てはまります。


なかでも、“立場”についてお話いたしましたが、時代とともに変容していったもの、改革もおぼつかないものがあります。


そもそもアイデンティティとは、自分のルーツや身体、社会的立場などを含め、自分自身を肯定的に認め、社会と自分自身の関係を肯定的に受け止める感性です。


ですので、左翼といいますか、反日思想の方は、日本の歴史否定や戸籍、国籍を破壊したいのです(覇権的な考えで言うなら乗っ取りたいのです)。


今宵は、政治的なお話は差し控え、会社組織の崩壊による日本人のアイデンティティが保てなくなっていることに触れてみます。


そもそも“肩書”や“職業”なんてのは履歴書に記載するだけではなく大切にしてまいりました。時代とともに身分が廃されなおのことです。


まずなによりも職種に“花形”といった人気はあれど、長い不景気に瓦解し、職業選択の自由も危うくなりました。


何よりも“官僚はあくまでも公僕”なのですが、まるで国家の財源を操る幕閣です。厳しく言えば、職業のファシズムが存在しております。


さらに会社のそとそものあるべき姿をお話しましたが、一に株主。ニに社員、で社会貢献活動として経費を使う必要もありません。


ここでアイデンティティに寄せますが、勤労の美学といいますか日本人の働きたい気持ちに備えた保険や年金制度も瓦解してないだろうか。


アルバイト、パート、正社員から契約社員や派遣労働者まで法で認め、言い換えれば労働に規制を設けて日本人の社会的立場は崩壊させられた、とわたしは考えております。


まずは、日本産優遇はもちろん内需拡大によりある程度の産業の復活や職業選択の自由を呼び起こさねば何も始まらないのはもちろんですが、雇用のリスク軽減も、あれもこれも治さねばならないとわたしには見えてなりません。