この設定を思いついたのは今から二十年ぐらい前になります。

 

 二十年と聞くと大層な感じに聞こえますが実際は、転生もののアニメや生まれ変わりのドラマが数多くある中、『自分らしく表現するにはどう伝えたらいいか?』と悩んでいたら二十年経っていたというのが正直なところです。

 

 今回のテーマ『記憶を持ったまま過去に戻る』というどこにでもある設定に、「無」と「死」の二つのルールを設け、その葛藤の中人は何に気づき何をするのか?を描こうと思いました。無数にある選択をもっと細かく描きたかったんですが、素人にはこれが限界だったようで短編小説になってしまいました。

 

 ここに来るまでに先ほども申し上げました通り結構な時間を要しました。

 

 漠然とイメージしていたものですから、どうも話と話の間を上手く繋げることができず、書いては捨てを繰り返していました。

 

 時は当然止まってはくれませんから無駄に時間が過ぎていく感覚でしたが、大人が二十年も時間を使っているとそこそこ色んなものが目に入ったり、聞いたり、色んな人と出会えたり別れたりと、色んな経験をさせてもらいそこで沢山の言葉見つけ拾い上げることができました。その結果今回書き上げることがました。

 

 間違った表現だったり、誤字脱字があったかとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 ご自身が変えたいのは過去ですか? 今ですか? 未来ですか?                              

 

 私の名前は飯田凛。

 未婚の女医だ。

 

 なぜ結婚してないか? それは後にわかるとして。。。

 

 今、、、パパが息を引き取った。こんなに早く両親を失うことになるとは。。。

しかも二人とも「どうしても凛に会いたかったんだ」と言い残し逝ってしまった。

 

 びっくり仰天だ。

 

 私が女医を目指そうと思ったのには訳がある。

 

 亡くなった後にパパからもらったママからの手紙を読んでからだ。

 

 内容は当時の私には何となくしか理解できず、やたらと医者になることを勧めていたことだけがわかり、後はチンプンカンプンだった。

 

 号泣も出来ず終いで「難病で亡くなったからかなぁ…」と子供ながらに思っていたが、手紙の内容をざっくりとだが理解できたのは中学を卒業する頃だった。

 

 ちなみにだが、未だに謎めいてる部分もあり医者の私が理解出来ない手紙を書いたママに正直尊敬の念を覚える。

 

 葬儀も無事に終わり、パパの部屋の片付けを淡々とやった。

 

 病気がわかってからちょこちょこ終活的なことをやっていたのか、ほぼ片付いていて捨てるものは殆どなかった。不意に開けた机の引き出しから古ぼけた名刺が一枚出てきたぐらいだった。遠い昔にどこかで見たような字面だったが思い出せなかった。

 

 にしてもこれだけ何もないのにこの名刺だけ仕舞っていたということは「パパの大切な人だったんだな…」と思い、落ち着いたらパパの事を知らせようと思った。

 

 とりあえず名刺は財布に入れミッションを遂行した。

 

 一週間ほどして仕事に復帰した。両親を亡くした喪失感はなかなか隠し切れるものでも無く、同僚や看護スタッフに気を使わせてしまってることが申し訳なかった。

 

 しばらく休んでいたこともあり午前中は担当患者を診て回ることにした。どの患者さんも異常は見当たらなく回復に向かっていた。とりあえず一安心だった。午後から新患さんの問診が入っていたので昼食を済ませた後病室に向かった。

 

「お、先生。しばらくお世話になります」

 関西訛りのおばちゃんだ。

 

「担当医の飯田です。これから色々と検査してその結果を元に治療方針決めていきます。松山さん、一緒に頑張りましょうね」

 

「それはそうと、先生どないしたん? なんかあったんか? 元気ないなぁ」

 

「まぁ最近色々ありまして、、、ちょっと疲れてますね。いけませんね患者さんに気を使わせてしまっては。医師失格ですね、、ハハハ」

 

「ふ~ん、、、そうかぁ。。。ほんなら、おもろいとこ紹介したろか?」

 

「おもろいとこ? ですか? 元気が出るでーみたいな?」

 

「元気、、、う~ん…、そうかもしれへんし、そうじゃないかもしれへん。けどおもろいで」

 

「なんかすっごく気になりますね」

 

「よっしゃ!なら!持っていき!」 

 

 と言い、私に一枚の名刺を差し出し『ニッ』と笑った。もらった名刺にはこう書かれたあった。

 

 

『Time-Blanch相談所』

 

 

 私はこの時『どこかで見たあの字面』を思い出した。

 

 『それ』はまるで動き出すのを待ってるかのように、ママの手紙の中にひっそりと身を潜めスタンバイしていた。「そういうことね、、、」そう呟き、全てが繋がる感覚に陥った。

 

 私は周りに気付かれない程度にこっそりと笑い、その名刺をポケットにしまった。

 

 

「会いに行くね。パパ。ママ。」

 

 

                                      

 終わり

 

 

 

 

 

 

 

 麻美の死から二十年ほど経った。

 

 僕はもうすぐ還暦を迎えようとしていたが寿命が尽きようとしていた。発見が遅くわかった時にはステージ4の膵臓がんだった。沈黙の臓器とはよく言ったものだ。

 

「どう?パパ。痛む?」

 

 白衣を着た凛が心配そうだが診察するように僕に聞いてきた。麻美の手紙を読んで以来、人が変わったかのように凛は勉強をするようになり、今は大学病院の女医として仕事に励んでいる。

 

「うん、、、すまんな凛、、迷惑かけて。パパまでこんなになるとは正直思わなかったよ」

「気にすることないよ。私の方こそ、、男手ひとつで私を医大にまで行かしてくれて。。。無理したんでしょ? ごめんね、、パパ」

 

「無理なんてしてないさ。お陰でこうやって最期を凛が看取ってくれるんだから。。。こんな幸せなことはないよ」

 

「そうだね。。。」

 

 否定しない凛の言葉を聞いて改めて死期が近いんだなと思った。

 

 早すぎる死だが、リスタート分を足すと十分過ぎるほど生きたと思う。麻美がいなくなってから数年後、僕は独立することを選択し自分の店『Frosch(フロッシュ)』をOPENさせた。名付け親は凛だ。なぜ『Frosch』なのかはいまだに謎だが、あの日のブランチさんの最後の言葉を思い出す。

 

『井の中の蛙、されど時には大海を知る』

 

 あれからこの言葉を調べ、座右の銘にして一念発起して出店した。開業資金も乏しかったので凛と二人で壁や天井を塗ったり、棚を作ったりした。

 

 医者を目指していた凛にとって貴重な時間だったはずなのに文句ひとつ言わず手伝ってくれた。そんな思い出がいっぱい詰まったお店も三ヶ月前に閉じた。そして今病院の天井を見ている。

 

「あっちの世界はどんな感じなんだろう。麻美に会えるかな。もうすぐ契約終了かぁ。。あ、、そうだ。。。机の引き出しにブランチさんの名刺仕舞ったままだったな、、、持ってくるの忘れた、、、まぁ、、、いいか。。。」そんなことを考えていた。

 

どうやら受け入れなければいけない案件がもうすぐそこまできているようだ。

 

 こればっかりは想像しても、もうどうすることもできない。そう教わったし、自分でもそう思う。未来を変えようと過去に戻り今日まで生きてみたが、、、結局早々と凛に寂しい想いをさせてしまうことになった。

 

 一層の事今日までずっと内緒にしてきたことを告げ、凛の記憶から居なくなれば悲しみが一つ減り、少しは凛も楽になるんじゃないのか? と負の塊を想像し、うっかりそちら側に引き込まれそうになる。

 

「強かったんだなぁ麻美は」乾いた僕の口から自然とこの言葉が出た。

 

 変えるべきは過去ではなかった。

 

 変えるべきはこの瞬間。

 

 『今』の選択だった。

 

 もしかしたら未来なんて存在すらしていないのかもしれない。

 

 ただここに『今』があって、その『今』で選択した事がその瞬間過去へと積み上がっていくだけなんじゃないのか? とするとリスタートは過去だけど過去じゃなくて実は『今』で、、、そうか。。。そういうことか。。。

 

 

 末期がんの患者が考える内容じゃなくなってきたのでこれ以上は考えないことにした。とりあえず『凛の記憶に残る』ということを選択することにした。

 

 残れればいつでも凛は僕や麻美に会える。

 

 麻美だけだとそれこそ寂しい想いをさせてしまうかもしれない。

 

 やっと自分で納得のいく答えが出た。

 

「天井を見るのにもそろそろ飽きてきたな」何かに満足したかのように出た言葉だった。

 

『きっと大丈夫』とブランチさんは言ってくれた。どうやら本当に大丈夫なようだ。

 

 

 右手に温かいものを感じた。僕の容態が急変したらしい。モルヒネで自我を保つことが難しくなっていた。

 

 いよいよだ。そう感じた。

 

 こんなに瞼って重いものなのかと思いながら最後の力を振り絞った。

 

 少しだけ開いた瞼。

 

 隙間から暖かい方を覗くと凛が涙を流しながら僕の手を握っているのが見えた。普段から人の『死』に直面している仕事なのに、父親となると別物に見えているようだ。

 

「パパ、、、頑張ったね、、、よく頑張った」

 

「凛、、、お前の、、花嫁姿、、、見れなくて、、ごめんな、、、バージンロー、、、ド、、凛と、、歩くの、、、夢だった、、んだけどな、、、ざん、ねん、、だよ、、」

 

「うん、、、わかった。きっと歩けるよ…。きっと。。。。」

 

「そう、、だな、りん、、、、パパと、、ママの、、、わがまま、、だったかも、、、だけど、、どうしても、、凛に、、会いたかった、、んだ、、、ホントに、あり、、がとう。。。幸せだと、、言える生き方を、、、しろよ、、パパと、、ママは、、凛に、、会うことが、、できて、、、ホントに、、幸せだった。。。大好き、、、だ、、よ、、、、り、、ん」

 

 

 

 こうして僕は契約を終了した。

 

 

つづく

 

 手紙は僕宛と凛宛の二通入っていた。親と言えど凛の手紙を見る権利はないと思ったので自分のだけ取り出した。

   

  一馬へ

 一馬がこの手紙を読んでるということは、私の仮説は正しくて、そして私はもうこの世にいないってことになるね。 

 

病気が発症した時ブランチさんに相談したの。

 

『手紙を残すことは契約違反ですか?』って。そしたら、『死を持って契約終了なので大丈夫ですよ』って言われたから、字が書けるうちにと思ってね。。で、「もし奇跡的に一馬がブランチさんの元を尋ねてきて、私との結婚に後悔がないって言ったらこの手紙を渡してください」ってお願いしてたの。ビックリした? アハハ。 とまぁこんな感じなんだけど、とりあえず一言言わせて。

 

『私もリスタートしてたんだよー!』

 

 あ~やっと言えた。

 

さて。なんで私がリスタートを選んだか話しておくね。私が急に『座りション』のことで一馬にいつも以上に怒ったことあったでしょ?

 

 実はあの時私の病気はもう発症してたんだ。お医者さんから近い将来の私の事、治療の事、薬を投与しても根本的な解決には至らず、完治はしないという事、それに伴い家族の負担が増える事とかを聞いて、『こりゃ大変だ。二人にこんな苦労させられないと思って、単純なんだけど、、、離婚して一人で死のうと思ったの。それから大変だったなぁ、、、本当は愛してるのに嫌われるように演じるの。。。しんどかった。。

 

 演じてたらね段々自分の精神が病んでいくのがわかったの。仕事も楽しくなくなってきて。。。演じるってホント大変よね。 凄いね一馬は! 尊敬する! で、 そんな不安定な状態の時、常連さんからブランチさんのとこ紹介されて『過去からやり直せるならそっちの方が楽かなぁ』と思ってリスタートを決めたってわけ。

 

 リスタートして一馬に会わなければお互い辛い思いすることもないし、発症まで何となく生きて何となく死のっかなぁ~なんて思ってたんだけど、、、一馬のあの時の舞台を見て考えが変わっちゃったんだ。演技上手だったよ。実は私ね、前の方見てたんだよ! 最後は涙拭うので大忙しで気がついたら幕が降りちゃってた。

 

 それからのことは一馬も知っての通り。

 

 あの時のシャンプーも最高だった。ありがとね。カットも毎回お気に入りだったよ。初デートは食事で、今思えばあの時二人とも答え合わせしてたんだなって思うと笑えてくるね。

 

 そして、、、諦めずに私にプロポーズし続けてくれて本当にありがとう。

 

 一馬のお陰で決心がついて凛にも会うことができた。今まで何回も見てきた『未来予想図』、叶えれなくてごめんね。一緒に歳を重ねて、お互いのジジババ振りをイジるって嘸楽しかっただろうなぁ。。。悔しいけど、、、まぁ仕方ないか。私は一馬と凛に出会えて本当に本当に幸せでした。

 

 最後になるけど。。。一馬! 私をもう一度選んでくれてありがとう! またね!

 

 

 

 力を込めた力のない字で書かれた手紙はそう締め括られていた。そして二枚目には、『追伸』としてハンバーグのレシピと作り方が書かれていた。

 

 僕は溢れる涙を何度も何度も拭い、流れ出る鼻水を啜り手紙を抱きしめた。

 

 今まで気のせいだと思うようにしていた麻美が僕に言った最期の言葉。ずっと引っかかっていた。手紙の最後にも書いてあったように、麻美は確かに最期僕に『私をもう一度選んでくれてありがとう』そう言った。あの時は悲しみのあまり考えることすらできなかったが、、、そういうことだったのか。。。何度でも、、、何度でも選ぶよ。麻美。

 

「ブランヂざん、、、、ボグは、、、ボグは、、、ううううううぅ、、、、」

 

 鼻水を垂れ流し泣きじゃくる僕を見てブランチさんは。。。引いていた。

 

 そこまで泣くぅ~?っていう感じの顔で、疑いようがないくらい引いていた。

 

 僕はそんなブランチさんから次の言葉が出てくるまでその顔を見せ続けた。睨めっこの末ブランチさんは話し出した。

 

 

「一馬さん。本当に探したかったものに気づけたみたいで何よりです。その感じだと、一馬さんが探し求めていたものは意外と近にあったようですね。私はリスタートする人を何人も見てきました。記憶があるということは一見すごく有利に思えるんですが、実際はそれがあることで倍以上に悩むということです。

 

 そして人それぞれですが、一馬さんみたいにかけがえのない物を見つけれる人もいれば、欲に塗れて本来の目的を見失う人もいます。私は最初に『未来は諦めずに想像し続けることができればきっと変えられます』とお伝えしました。ここで大事なのが『思いつくこと』と、『想像すること』とは似て異なるということです。

 

 一馬さんが色々とやりたかったことはもしかするとただの『思いつき』だったのかもしれません。何言ってんだこいつって感じですよね? 簡単に言うと『思いつき』とはそこに自分の『想いの力』がないものです。

 

『軽い』とでも言いましょうか…。

 

 でも想像したことには力が宿ります。ただ厄介なのが、その『想いの力』は良い想像にも悪い想像にも宿るということです。 しかも負のものは引っ張る力が物凄く強く簡単に引き寄せらます。だから全ては『自分が何を見て、自分が何を想うか?』なんです。

 

 一馬さんが見たかったもの、強く想像したもの…それは『麻美さんともう一度結婚し凛さんと三人で暮らしたい』だったんじゃないですか?

 

 だからそこにその想いと同じ大きさの強い力が生まれたんです。

 

 そしてそれを叶えるためには『美容師の自分が必要だ』と『判断』し『行動』したから今があるんだと思います」

 

 

 

「じゃぁなぜ、、、なぜ麻美は病気で亡くなったんですか? 僕はそんなこと全く想像してないのに、、、なんで、、、」

 

「そうですね。。そう思うのも無理はないです。残酷かもしれませんが、どうにもならないものが一つだけあります。それは『人の死』です。人は誰しも永遠には生き続けることは出来ません。生き続ける方が気持ち悪いです。この『死』は『受け入れなければいけないもの』であり、ブランチ的に言い換えるならば『期限』ということになります。人の出会い、物、この世のすべてに『期限』があります。期限があるからこそ『今』が輝き、尊いのです。一馬さん、あなたはそれに気づけたんじゃないですか?」

 

ブランチさんの言葉が僕の心を抉る。ブランチさんは続けた。

 

「それともう一つ。この世の原理原則の一つに、『得るものがあれば失うものがある』ということです。これは文字通りですが少し掘り下げて説明すると、自分が得たいものに『気づき』、それを得るための『行動』を起こさないと何も始まらないということです。そして欲しかったものを手に入れた時、そこで初めてスタート地点に戻り失ったものを知ることになるんです。麻美さんも同じです。命を燃やす価値のあるものに出会え、それが『本当に欲しかったものだったんだ』と気づいて行動したから、命と引き換えに最期『幸せだった』と言える人生を得たんです」

 

 僕の涙と鼻水はいつの間にか乾いていた。『リスタート』がなぜあるのかが何となくわかった気がした。

 

「ブランチさん、、、家に帰って凛に手紙を渡したいと思います」

 

「はい。そうされてください。あ、そうそう。まだ一馬さんは契約終了してませんからね。間違ってもポロッと言ってしまわないように気をつけてくださいね」

 

「あ、、、、ですね」釘を刺されてなければ危ないところだった。

 

「最後にもう一つ。ここ、今日で立ち退きになります。ですので私とここで会うのは今日で最後になるかと思います。私と一馬さんの『期限切れ』ということになりますね」

 

「え? 新しいところの住所とか教えてもらえないんですか?」

 

「正直に申しますとまだ決まってないんです。私にとって一馬さんとの時間はとても興味深く楽しいものでした。こんな初老の話を聞き入れ『リスタート』を選び、ここへ戻って来られた事にブランチはとても嬉しく思います」と言ってニコッと笑った。

「そう、、、ですか、、、」

 

「それでは。名残惜しいですが時間になりました。。。玄関までお見送りします」

 

 

 そうブランチさんに促され二人で廊下を歩いた。音を立てて扉が開く。

 

 あと一歩踏み出せば外だ。

 

  僕はあの時の感情とは全く違う感情で踵を返し、目の前に立つ初老にこう言った。

 

「ブランチさん。ありがとうございました」また泣きそうだったが寸前のところで止めた。

「一馬さん。これからも二者択一の人生を送られることでしょう。『リスタート』したことがもう役に立たないラインに今来てるわけなんですが、私から一つアドバイスを」

 

 そう言うとまたニコッと笑って続けた。

 

「目の輝きを失わず、自分を信じて、強く想像することをやめなければ、あなたの人生はもっともっと素晴らしく尊いものになっていきますよ。きっと大丈夫です」

 

「はい。。。がんばります」

 

「あ、そうそう、最後に言い忘れていたことがありました。一馬さん。『蛙の子は蛙』ですが『蛙』を使った諺で『井の中の蛙 大海を知らず』という諺がもう一つあることをご存知ですか?」

 

「は、はい。もちろん知ってます」(こんなメジャーな諺知らないやついないだろ)

 

「フフ。ですよね。では、この諺に続きがあるのをご存知ですか?」

 

「いえ。。。知りません、、、、、何ですか?」

 

「<井の中の蛙 大海を知らず、 されど空の深さを知る> です。           それでは、、、良き旅を」

 

 そう言い残し扉は閉まった。

 

 腑に落ちないまま僕は『Time-Blanch相談所』を後にした。

 

 家に帰り着くとすぐに凛に手紙を渡した。麻美の遺影の前で正座して、泣くでもなく笑うでもなく、どこか淡々と読んでいるかのように思えた。一通り読み終えた感じだったので凛に「どうだった?」って聞いてみたが、「うん、、、ママがママでよかった。会いたいな、、、ママに。。。いつか会えるかな、、、」と涙声で言うだけだった。その後僕達は三人でバニラアイスを食べた。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 私の名前は飯田麻美。

 

旧姓の西山から今の名字になったのは五年前。

 

美容師の夫『一馬』が働く美容室にカットしに行ったのがきっかけだった。飯田の苗字も悪くないなと思いながら自慢のハンバーグを作っている。子供にも恵まれ、一人娘の『凛』がなんちゃってお手伝いをしてくれている。最近よく物を取り損ねて落としてしまうから、おそらくそれを見かねてのことだろう。

 

優しい子だ。

 

 仕事柄一馬の帰りはバラバラになることが多いので夕飯は二人で済ませることが多いが、今日は早く帰れるとの連絡が入り、それならということで一馬の大好物のハンバーグを拵えてるという『愛』の何物でもないことを私はやっているというわけだ。

 

今日は私のお気に入りのドラマがある日。真剣にみたかったから何もこんな日に早く帰ってこなくても、、、と正直思ったがまぁヨシとしよう。

 

 一馬も帰ってきてちょうど夕飯がテーブルに並んだ頃ドラマも始まった。家族三人揃って食べる夕飯はやはりいつもより美味しく感じる。

 

凛と私は、一馬と会話しながらドラマも見ながらで大忙しだった。一馬がボソッと何か言っていたがドラマが面白かったので軽くスルーした。が、少し気になってもう一度一馬を見たら白飯を頬張っていたので大したことないだろうと思い再度スルーした。

 

 凄く裕福でもなく貧乏でもない、いたって普通の家族だがとても満足している。唯一不満があるとすれば一馬が『座りション』を何度言ってもしてくれないということだ。

 

いつかブチ切れてやろうタイミングを計っているところだ。

 

そんな日々を送っていたが、幸せな日常は『病』という魔物に壊されてしまった。きっかけは仕事中の出来事だった。化粧品会社の美容部員としてメイクを担当していた私はいつものようにお客様をメイクしていた。

 

その日全くと言っていいほど指先に力が入らなくなり早退することになった。少し不安になり病院を受診。精密検査で『肢帯型筋ジストロフィー』の初期段階と診断された。

 

 自分がこれから先どうなっていくのかをお医者さんに説明された。

 

 すぐに頭に浮かんだのが一馬と凛の顔だった。

 

看病で苦労させるなぁ、、、と自分でも驚くほど冷静に分析し『離婚して一人で死ぬ』ことを選択した。

 

 だがここで問題が。離婚する理由が見つからない。

 

 だって幸せだからだ。しばらく考えて閃いた。

 

「そうだ。座りションがあるじゃないか」

 

 そう思った私はその日から『座りション』で口火を切り、苛立つ妻を演じ続けた。小さい凛にはまだ酷だし捻くれてもイヤなのでそばに寄り添い、「パパとママは凛のことが大好きで、ママはパパも大好きで、パパもママが大好きなんだよ」と囁きながら愛情を注ぎ続けた。

 

 が、苛立つ妻を一馬の前で演じ続けるのは精神的ダメージが大きかった。そんな中、唯一の息抜きが仕事だった。進行を遅らせるよう日頃から気をつけてストレッチ(一馬に隠れて)をしていたので今の所何とかメイクはできていた。

 

 ある日、いつものように売り場に立っていたら常連さんの松山さんがメイクの相談に来た。関西弁を操る女性で冗談もうまい。この日どうやら私は悩んでるように見えたみたいで、いきなり「おもろいとこ紹介したろか?」と言われ一枚の名刺を渡された。

 

『Time-Blanch相談所』

 

 そう書いてあり名刺の裏には地図が書いてあった。職場からそんなに遠くなくちょうど早番だったので行ってみることにした。ウルフ型のドアノッカーで扉を叩くと白髪で短髪の初老が出てきた。

 

「あ、あの、、、こちらの名刺を知り合いから頂きまして。。。予約もせずに来てしまったんですけど、、、ご迷惑じゃなかったでしょうか、、?」

 

 初老の白髪短髪ヤローはニコッと微笑み「どーぞ」と私を招き入れた。

 

 部屋の中で私は不思議な話をされたがドラマで免疫がついていたのでそれをすんなり受け入れた。というよりこの白髪短髪ヤローが詐欺を企むような人には見えなかったからだ。

 

 二つのルールとスタート地点のことを説明され『契約書』にサインし帰宅した。苛立つ妻を演じ終えた後、ぐっすり眠る凛をしばらく眺めていた。

 

 私の『離婚して一人で死ぬ』という今の選択は間違っているのかもしれないが、とりあえず過去に戻れるみたいなのでヨシとした。

 

 目が覚めると初めて一人暮らしを始めた頃の部屋にいた。ということは化粧品会社に入社しているということになる。

 

「こっからかーい」と一人ツッコミした後出社した。

 

 普通に出社する自分の対応力に些かびっくりだったが出来てしまうのが私である。ただ、メイクの腕は新卒とは思えないほど上手かったので一躍有名人になった。

 

 「病気の発症までしばらく時間があるからしばらくの間ここでお金貯めるか」

と思いバリバリ仕事をした。

 

帰り道は気をつけないといけなかった。

一馬が働いているであろう『Hare Creation TOKYO』がそう遠くないところにあるからだ。「まぁ何かのイタヅラで鉢合わせたとしても向こうは日常を普通に過ごしてるだろうから気づくわけないか」一抹の不安はあったが余裕でリスタートを謳歌することにした。

 

 

 そんなある日。

 

 

 同僚が「一緒に行かない?」と行って舞台のチケットを持ってきた。どうやら自分家の近くで『劇団スマイル』という聞いたこともない劇団のメンバーがチケット手売りしていたらしく、可哀想だったから二枚お情けで買ってあげたらしい。

 

 舞台自体に興味はなかったが、内容が家族愛の話みたいだったので何となく前の人生が恋しくなって行ってみることにした。会場に入り指定された席に座る。前から二列目だった。つまらなかったら寝ようと思っていたがそうもいかなくなった。

 

幕が上がる。 

 

 夫、妻、娘の三人家族。懐かしかった。「一馬と凛、何してるんだろぉ、、、お…ん? は? マジで?何してんの???」目の前で夫役を演じている役者、、、間違いなく一馬だった。

 

「おいおいおい、聞いてないぞ過去に役者してたなんて」と思わず大声をあげそうになったが、足を組み直し少し前屈みになり何とか堪えた。側から見たらおなか痛い人だ。

 

 リスタートして三年ほど経っていたので一馬を見るのはそれぐらいぶりになる。胸がときめくのがわかった。そんなフワフワした気持ちの中、話は段々とクライマックスに近づいていった。『妻、癌で逝く』という私にとってはとてもタイムリーな舞台になってしまった。

 

 演技とは思えないほどの感情むき出しの一馬の演技に私は見入ってしまい、涙が溢れた。拭いても拭いても溢れ出てくる涙をもうどうすることもできなかった。

 

 

 幕が降りる。

 

 

 私は止まらない涙をハンカチで抑え拍手すらできないでいた。後で聞いてわかったことだが、あんなに泣いていたのは私ぐらいだったらしい。(そりゃそーだ)取り合えずわかったことは一馬は『Hair Creation TOKYO』には就職しておらず、美容師にもなっていないということだ。

 

 となると私の職場近辺で一馬に会うことはなく、警戒しながら行っていたお気に入りのコンビニもこれからは大手を振ってバニラアイスも買えるということになる。良いような悪いような変な感じに陥ったがとりあえずヨシということにして病がくることを待つことにした。

 

 あの舞台から数日後、私はいつものように仕事をしていた。この日、会社都合でお昼過ぎには帰れた。買い溜めしておいたバニラアイスも無くなってきたので、ここぞとばかりにお気に入りのコンビニに向かった。

 

 タイミング悪いことに『改装中』と書かれた張り紙がしてあったので、少し歩くけどもう一つのコンビニに向かうことにした。来てみたは良いものの、ここのコンビニにはいつも食べてるバニラアイスが売っておらず、しかもコンビニの改装なんていつ終わるか予想もつかなかったので、不本意だが違うバニラアイスをしこたまレジカゴに入れた。

 

 まぁまぁの重さを堪えながらレジ待ちをしていると、私の左目の視野に外で上を見上げてそうな人影が映り込んだ。とりあえず無視していたが長いこと動かなかったので気になって人影の方を見たら、見覚えのある人が立っていた。

 

どっからどう見ても一馬だった。

 

 私は首がもげるんじゃないかと思うぐらいのスピードで正面を向き自分を落ち着かせた。

 

「おいおいおいまたか! なんでここにいんの! 役者やってるんじゃねーのかよ!」と心の中で叫びながら左、前、左、前、一馬、レジ、一馬、レジと交互にやるもんだからレジの店員さんは『一歩下がって私のレジをする』という選択をしていた。

 

「ここのコンビニには来ないようにしよう」と心に誓い一馬が立ち去ったことを確認してコンビニを後にした。

 

 一年程たった。

気になる症状は出ていない。

 

 もしかしたら過去にダイブしたことで体に変化が起き、このまま発症しないんじゃないか? と、この頃都合よくと考えてしまう。一馬の舞台を見てから尚更思うようになった。

 

 私はいつものようにバニラアイスを買いにいつものコンビニに寄った。もちろんあの一件以来例のコンビニには行っていない。この日は運が悪かったのかバニラアイスが在庫切れだった。こんなことは初めてでかなりショックだった。

 

 近くの別のコンビニといえばあそこになるので仕方なく今日は諦めることにした。コンビニを出ると髪の毛に何か触れた感じがした。

 

「ん?」と思い触れた感触の所を触ってみた。

 

 なんかベチョッとしたので自分の手を確認してみると紛れもない鳥のウンコだった。

 

 このまま帰るわけにもいかず狼狽しながら私は何とか洗ってもらえないものかと思い美容室を探した。ちょうど運よく『Hair salon Ant-Eat』という美容室が近くにあったので、恥を忍んで予約なしの突入を試みた。

 

 入店後、私は『今日』という日が本当に厄日だったんだと痛感した。目の前に大きな咳払いをする一馬がいた。

 

「咳払いデカッ。ちゅーかお前がおんのかーい!」

 

 と叫びたかったが平静を装い、『そこ汚れてませんか?』聞かれたので事の顛末を伝えシャンプーブローをしてもらえるようになった。厄日なので当然担当は一馬だった。

 

 最高に気持ちよかった。一馬に触れられた時、懐かしくて涙が出そうになった。

 

「泣いちゃダメ。ここで涙流すとウンコが原因で泣いてると勘違いされるし、そう思われなかったとしても超ヤバイ人と思われる」

 

 そう言い聞かし寝たフリをした。

 

 ブロー中は『スタイリストと客』という当たり障りのない会話を繰り広げお会計した。家に帰り身も心も軽くなった自分に気がついた。バニラアイスは買えなかったが『もしかしたら今日は結構良い日だったのかも』と記憶に上書きすることにした。 

 

 数日後、あのシャンプーが忘れられなかったので一馬を指名して(ウンコ除去シャンプーのお礼も言わないといけないので)カットの予約をした。

 

 私がリスタートを決めた最大の理由は『一馬に合わなければ、一馬や凛に迷惑と負担をかけずに済む』と思ったからなのに、、、どうもあの舞台以来調子が狂ってしまった。

 

 よくよく考えてみると、一馬と結ばれなければそもそも凛はこの世に存在すらできない。

 

 私の心は揺れていた。

 

 カットしながら一馬はニヤけていた。

「キモいな」と一瞬思ったがすぐに慣れた。

 おそらく私が妻だからだろう。正直楽しかった。

「また来よう」そう思った。

 

 気がつけば私は月一のペースで『Hair salon Ant-Eat』を訪れ、一馬の太客にまで成り上がり、最終的には付き合うようになった。

 

 最初は食事デート。

 

 好きな食べ物嫌いな食べ物、好きなこと嫌いなこと、好きな場所嫌いな場所などベーシックな会話を楽しんだ。とはいえ私には単なる答え合わせにしかならなかったが。。。

 

 付き合いだしてしばらく経った頃、ついに一馬が『プロポーズ』なるものをしてきた。涙が出るほど嬉しかった。『これで凛にも会える』そう思った。

 

 でも、自然と拒否反応が出てしまう。

 

 本当にこれで良いの?

 

 私のわがままなんじゃないの?

 

「実は私、難病持ちでそのうち発症してあなたと生まれてくる子供に迷惑かけてしまうの」ともし言ったら? 一馬は受け入れてくれる?

 

 怖くて言えなかった。

 

 加えて全てが終わりそうだと感じた。最初はそれを望んでいたはずなのに…。凛の顔が浮かぶ。私は俯いていた顔をあげ「そんな気持ちになれない」そう言ってしまった。

 

 恐怖に負け諦めたのだ。だけど一馬は違った。

 

 何回か言葉のラリーをし、一馬は何かを私に伝えようとしてその言葉を飲み込んだ。確か、、。「だって俺たち、、、ふ」だったと思う。

 

一馬は俯き泣いていた。「うわ~泣いちゃったよおい、、、」と思い、ついでに気まずくなったので部屋を後にした。

 

 一週間ほど連絡しなかった。

 

 理由は一馬が言わずに飲み込んだ言葉が気になっていたからだ。

 

『だって俺たち、、、ふ』この最後の『ふ』がどうしても気になった。

 

 考えてみれば最初の出会いからおかしかった。役者の『や』の字も当時(リスタート前の付き合いだした頃)聞かされてなかった。

 

 普通どんだけ売れてなかったとしても、恥ずかしかったとしても、普通彼女に言わんか? と思った。それに職場も違っていたことだ。

 

 一馬は確かに『Hare Creation TOKYO』に就職していた。それがなんの行き違いか『Hair salon Ant-Eat』にいた。まぁおかげで今の関係性に至るんだけど。。。にしても『?』と思うことが多すぎる。

 

 私は考えに考え抜いた末ひとつの仮説に辿り着いた。『一馬もリスタート中なのでは?』ということだ。そうなると辻褄が合ってくる。「そりゃ言えないわな」そう思った。

 

 できれば『無』にはなりたくはないだろうし、なって欲しくない。「じゃー何のために?」という問いが浮かぶ。そこで出た答えは、、、、私の急な『座りションからの離婚作戦』が原因なんじゃないのか? だった。

 

 やっぱり無茶なことやっちゃったかなぁと仮説での答えだけど反省した。

 

「そもそも病気がいけないんだよ、、、クソが!」と病気にやつ当たりしたが、一馬への反省の念は消えなかった。

 

 ここに着地するまでに気がつけば一週間ほど時間を要していた。仮説と睨めっこしていると一馬から連絡が入った。

 

 「しょげてるんだろうなぁ~」と思って電話に出ると意外とアッサリだったので、こっちも楽に会話でき、また会う約束ができた。それからというもの一馬は会うたびに『結婚しよう!』と言ってきた。

 

私の中では正直まだ葛藤があったからその都度断っていたが、断るたびにチクチクと心を刺されるような痛みで日に日に辛くなっていった。

 

 しかも凛をこの世に誕生させたいという気持ちが一馬を見る度強くなっていく。色んな人と出会い、色んな経験をし、それを繰り返しながら素敵な人を見つけ、もしかしたら結婚をし、もしかしたら子供ができ、そこでまた色んなことを勉強する。そんな人生を歩むかもしれない凛の人生を私のわがままで奪ってしまって良いのか?

 

 そう思った。

 

 凛の成長はほんのちょっとしか見てあげれないかもだけど、私の命が凛の成長の手助けになるなら、母としてそれは喜ばしいことなんじゃないのか?

 

 もう答えは出ていた。

 

 が…一馬のプロポーズにすぐ『いいよ』というのもなんかしゃくに触る。

 

 大体違う人生を歩んでいたこと自体が私からしたら微妙だ。

 

 でも、、美容師に戻ったってことは私を探してたってこと?。。。ということでもうしばらくプロポーズ味わうことにした。

 

「ねぇ、結婚しよっか」

「いいよ」

「ねぇ、ケッコンしよーやー」

「だからいいよって言ってるやろ!」

 

 これが一馬から私への最後のプロポーズとっなった。

 

凛。。。待っててね

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

「いつから?」

 

「今思い返せばなんだけど、、、二年前ぐらいかな。なんかよく物落とすなぁぐらいの感じでいたんだけど、最近は『よく躓くなぁ』って感じになってて、、で流石におかしいだろと思って病院で血液検査したら何かの数値が異常に高かったみたいで、これはおかしいってことになって精密検査したら。。。ビンゴだった」

 

「なんで言ってくれなかったの?」少し苛立った声で言った。

 

「だから今言ってるじゃない」

 

「そうじゃなくて!、、、そうじゃなくて、、なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ。。。」

 

 

 もっと早く聞いていればなんとかできたんじゃないかと思った。

 

麻美一人にこんな大変なことを背負わせていたんだという罪悪感で押し潰されそうだった。静まり返ったリビング。時計の針の音がやけに大きく聞こえる。

 

 しばらく俯いていていた麻美が覚悟を決めたような顔で僕を見つめ、すごく優しい声で話し出した。

 

 

「これから私がどうなっていくかを話しておくね」

 

 

 どれくらいの時間二人で話しただろう。もしかしたらこんなに真剣に話したのは初めてだったかもしれない。この年齢まで発症しなかったのは運がよかっこと、徐々に筋力が落ちてきてそれに伴い物も持てなくなったり、立てなくなること、最終的にはペースメーカーや人工呼吸器をつけないといけなくなること、そして自分の寿命はおそらくもって二年だということ。

 

 

「とまぁ、、、これからの私は… こんな感じ。ごめんね一馬。凛にも迷惑かけるね」

 

「迷惑とか思うわけないやん。。。俺の方こそ、、今まで一人で背負わせててごめん」

 

 それ以上の言葉は見当たらなかった。

 

『絶対治るよ』

『一緒に頑張ろう』

『良い治療法が見つかるはずだよ』

 

 思いつくのはどれも陳腐で何の励ましにもならないとわかったからだ。

 

 この日から僕ら三人の闘病生活が始まった。麻美の容態は日増しに悪くなっていった。手の震えが酷くなり物を前以上に持てなくなったり、僕の前で何度も転倒するようになった。

 

「大丈夫だから」と差し出す手をとらないこともあったが、今はそれなしでは立ち上がれない。凛も弱っていく母親を見て子供ながらに考えて、洗濯物を頑張ってたたんでみたり、ビチャビチャになりながら小さい手で食器を洗ってみたり、きっと甘えたくて仕方なかったはずなのに自分ができそうなことを精一杯やっていた。そんな凛を麻美は申し訳なさそうに、でもどこか見守るような目で見ていた。

 

僕はといえば...。

 

 会社に事情を伝え、凛が帰ってくる前に帰らせてもらえるよう無理を言って麻美と凛への時間を作っていた。

 

 病院へは週一回のペースで行き検査をし、翌週検査結果を聞き、それを元に方針をきめ、また翌週検査をし、そのまた翌週結果を元に方針を決めるという感じだった。

 

 良くなることはまずなかった。

 

 進行を遅らせることはできても止めることは皆無だった。風呂上がりのバニラアイスの蓋を開けれなくなったのは麻美の告白か僅か一年後のことだった。

 

 アイスをスプーンに乗せ麻美の口へ運ぶ。「美味しい」と呟きニコッと笑った。まだ表情は作れるみたいだ。そんな麻美に自分が決断したことを伝えた。

 

「麻美、、、今入院の手続きをしてるんだ」

「うん」

「ごめん。。。俺と凛が麻美にしてあげられることは…家ではこれが限界みたいなんだ」

「うん」

 

 麻美はそれ以上なにも言わなかった。優しく笑って、全てわかってるかのような返事だった。

 

 入院後、担当医の説明があった。凛も頑なについてくるというので二人で向かった。そこで告げられたことは残酷なもだった。担当医は凛に気を使ってくれて、大人の僕にだけわかるような話し方をしてくれた。お陰で凛には何となくしか伝わってなくキョトンとしていた。

 

 

 どうやら麻美の命は持って残り一年らしい。

 

 

 失意の中、麻美が眠る病室の椅子に凛と腰掛けた。静かな呼吸音。この音が生きてるという証だ。

 

「ママ寝てるね」凛が曇りない言葉で言う。

 

「うん、、、寝てるね、、、」これから起こるであろうことを想像して僕は言う。

 

「ママ、良くなるかなぁ?」不安よりも期待を込めて凛は言う。

 

「きっと良くなるよ」叶わない夢をつぶやくように僕は言う。

 

 それから半年後、麻美は人工呼吸器をつけることになる。

 

 担当医に呼ばれた。

 

『今回はご主人お一人で来てください』とのことだった。

 

見慣れてしまった廊下を急ぐでもなく、ゆっくり向かうでもないスピードで、自分がこれから告げられるであろう事柄をいくつか想像しながら歩いた。

 

麻美との思い出が一歩足を進めるたび蘇ってくる。

 

リスタートし、結果麻美を選んだことになったが何の後悔もなかった。

 

覚悟を決め担当医が待つ部屋の扉を開けた。

 

 担当医は淡々と今の状況を説明してくれた。

 

僕にはそれが逆にありがたかった。

 

 血圧が安定しなくなってきたこと、現医療でできることは全てやったこと、ここ数日が山場だと言うこと。。。こんな日が来るのはわかってはいたが突きつけられた現実を受け入れることは到底できず、瞬きすら忘れてしまうほどだった。

 

 麻美がいる病室へ向かった。

 

 眠っている麻美の手を握った。

 

 その暖かい手は僕に気付いたのか一瞬だけ弱々しくほんの少しだけ動いた。麻美の精一杯の『大丈夫だよ』に思えた。

 

  二日後。

 

 日付が変わる数分前、病院から連絡が入った。

 

『奥様の血圧が上がらないのですぐにきてください』いよいよだ。

 

 眠っていた凛を起こし「ママが会いたがってるから今から病院行こうか」と不安がる凛を落ち着かせる嘘をついて出発の準備をした。

 

 

 自分も動揺していたので一度深呼吸をし車を走らせた。

 

 

 

 運転しながら思い出したことがあった。

 

 麻美とのデート中、高齢のご夫婦が手を繋いで歩いてるのを見かけた時僕らはよく『見て! 未来予想図!』とおどけた顔で言っていた。

 

 麻美がおばあちゃんになった顔を見たかったし、僕がおじいちゃんになった顔を見せたかった。でもその夢は叶いそうにない。

 

 巷で『長生きしたくない』とたまに耳にするが、シワシワの顔をお互い見れるのは、とても尊くとても幸せなことなんじゃないかと思う。

 

 もしかすると車椅子を押すことになるかもしれない。もしかすると逆に押されるかもしれない。でもそれは、考え方次第では長い時間一緒に過ごせた証とも言えないだろうか?

 

 妻を失う絶望感からなのか、そんな思いが僕の頭の中を掻き回していた。

 

 病室に入る。

 

 静かに狂いなく一定のリズムで音を出す心電図と人工呼吸器。

担当医も駆けつけていた。

 

避けることのできない現実。

 

「嫌だよ、、麻美」そう呟いた。

 

 凛も流石にこの空気を察したのか、僕の手を強く握りしめ何かを願っているようだった。

 

「声をかけてあげてください」担当医が言った。

 

「麻美、来たよ。わかる?」麻美は残った力でうっすらと瞼を開ける。

 

「ママ、、ママ、、、」凛は言葉が見つかるはずもなく泣くばかりだった。

 

 僕と凛は麻美の手を握った。

 まだ暖かい。

 生きてる。

 

 

 そう思えた。

 

 

 麻美が何か言いたそうだった。

 

「何? 何か言いたい?」麻美の呼吸が荒くなる。

 

 そして、今出せる全ての力を振り絞って凛にこう言った。

 

「凛、ごめんね。寂しい思いさせちゃったね。でもね、、、ママ、、、、どうしても凛に会いたかったんだ、、、ありがとうね、、凛」 

 

「ママ!ママ!いやだよ!もっとリンのそばにいてよ!」

 

「大丈夫、、ずっと、、、そばにいるから、、」

 

 

 そして僕の方に目線を送った。

 

 

『これが麻美との最後の会話になる』直感的にそう思った。

 

 僕は引き寄せられるように麻美の口元へ耳を持って言った。

 

「一馬、、、私と、、今まで、、、暮らしてくれて、、、、本当に、、ありがとう、、、、こんな私を、、もう一度選んで、、くれて、、本当に、、、ありがとう、、たのしか、、った、、また、、ね」

 

 

 そう言い残し、フラットになった心電図の音が終わりを告げた。

 

 

 最後に演じた舞台をこんな時に思い出していた。

 

 妻との別れを擬似体験していたけど、自分がわからなくなるぐらい叫び、泣いていた。

所詮芝居は芝居でしかなかった。。。

 

 

 

 葬儀も終え二週間が経った頃僕は仕事に復帰した。凛を育てていかないといけない現実が目の前にあるからだ。

 

 スタッフが気を遣ってくれるのは本当にありがたかったが、その反面つらくもあった。落ち着くまでは早帰りのシフトでいいよとのことだったので甘えさせてもらった。

 

 予約をこなし、お客様に悟られないように平静を演じる。

 

「お疲れ様でした、お先に失礼します」

この言葉を発し店から出るまで僕は演じ続けた。

 

 

 帰り道。

 

 ふと麻美の遺影にバニラアイスをお供えしようと思い、麻美がよく行ってたコンビニに面影を求めて寄ることにした。

 

 考えてみれば麻美からの告白を受けてからここまで来る心の余裕がなかったので、あの日以来初めて寄ることになる。

 

「確かあの時は改装中で買えなかったって言ってたな」

 

 そう振り返りながらコンビニを目指した。

 

「流石にもう改装中じゃないだろ。もしまだやってたらビックリだな」と独り言を呟きコンビニ手前の最後の角を曲がった。

 

 

「ドサッ」

 

 

 思わず僕は持っていた荷物を落とした。ビックリどころの騒ぎではなかった。僕の目の前には見覚えのある扉に見覚えのある看板が掲げられていた。

 

 

『Time-Blanch相談所』

 

 

「ウソ。。。。」この場面ではこの言葉がピッタリだった。

 

 そして何の躊躇もなく僕はウルフ型のドアノッカーを掴んだ。

 

 ゴンゴンゴン。

 

 ガチャリと鍵が空き扉が開いた。中からは当時のままの白髪で短髪の初老の男性、ブランチさんが現れた。(やばい!なんて言ったらいいんだろ、、、、)そんな事を思いモゴモゴしていると意外な一言がブランチさんの口から出た。

 

 

「おかえなさい。お待ちしておりました」

 

 

 そう言うと「ニッ」と笑い奥に案内された。

 

懐かしい廊下を歩きながら先ほどのブランチさんの言葉を思い返していた。『おかえりなさい。お待ちしておりました』。。。『おかえりなさい、、、、』どういうことだ? 

 

 全く理解できないままこれまた懐かしい部屋まで行き、椅子に腰掛けるよう促された。今回は脱出プランは用意しなくていいだろうと思っていたので何の躊躇もなく座った。そして鼻歌混じりでブランチさんは紅茶を淹れてくれた。

 

「どうぞ」 

 

 カチャンという音と共に紅茶の湯気が僕の鼻を撫でた。

 

「あの、、、、ブランチさん?、、ですよね?」

 

「もちろんそうです」

 

「僕のこと、、、わかるんです、、、か?」

 

「もちろんです。一馬さん」ニッと笑う。続けて言った。

 

「どうでした?過去に戻ってみて。何か見つかりましたか?」

そうか。ここでは話していいんだ。

 

「やりたかったことをやったんですけど、、、結局、妻を選び、また美容師をしてます。

妻と結ばれない限り子供にも会えないとわかってからは結構焦りましたが。。。何とか結婚もでき、子供にも会え、気がついたら過去に戻る前と同じになってました。変わったことといえば。。。。変わったことと、、、いえば、、、麻美が二週間前に他界したこと、、、ですね、、、」

 

 

 振り絞るように言った。

 

 

「そうですか。。。今の一馬さんは、ご自身が二つある中のどちらかを選択し続けて『今』があるんですが、後悔はありますか?」

 

「いえ。それが全くないんです。逆に良かったなとさえ思います」

 

「そうですか。では少しお持ちください」

 

 そう言うとブランチさんは席を立ち、自分の後ろにあるアンティーク調の棚からファイルを取り出した。パラパラと何ページかめくり「あぁこれだ」と言いながら一枚の紙をファイルから抜き取り、一通の手紙と共に僕の目の前に置いた。

 

 テーブルに置かれた紙はここで目にした『契約書』だった。一瞬僕の契約が特別配慮で終了になるのかと思ったが、ブランチさんの表情を見る限りどうやらそうではないらしい。

 

「これはどういう、、、」

 

「よくご覧になってください」僕の言葉を遮るように言った。

 

 契約書の内容は前に見た通りだった。

 

誰にも言ってはいけないこと、

死を持って契約終了だということ。

 

同じ字面をもう一度なぞっただけで何ら変わりなかった。ふと最後の署名欄を見た。

 

 僕は言葉を失った。

 

 そこには『飯田麻美』と書かれてあった。

 

「こ、これはどういうことですか?」

 

 同じ質問を今度は全く違う感情で投げつけるように言った。

 

「そいうことです。どうぞ、その手紙も読まれてください」

 

 僕は少し震えた手で手紙の封を開けた。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全力でシャンンプーをしたお蔭かどうかはわからないが、麻美はあの日から来店してくれるようになった。『ウンコの奇跡』はとりあえず実を結んだ。

 

初カットの時は変な緊張感があったそこはプロらしく施術した。とんがった頭、生え癖の悪い襟足。美容師としては厄介な案件だがどれも愛おしかった。

 

最悪な関係性のまま過去にダイブしたけど、改めて色々なものに触れると愛してたんだなと気付く。カットしながら自然と笑みが溢れた。

 

 麻美は髪の毛にはマメな方だったみたいで、月一来店してくれた。なのでチャンスは多かった。会う回数が増えるにつれお互いの距離感は自然と縮まっていった。

 

当然だ。

 

僕から見たら妻なのだから。程なくして麻美を食事に誘うことができた。食事中、未来からきてることがバレないように言葉を選びながら話すのには苦労した。

 

ここまできて『無』にはなりたくない。全て知っていたが、好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きなミュージシャン、好きな場所、嫌いな場所etc色々聞いた。僕からしたら答え合わせみたいなものだったが、この時間が楽しかった。

 

そして僕たちは(厳密にいうと僕だけだが)二度目の恋に落ちることになる。

 

 半年ほど付き合ったある日、僕はいよいよ本題に入ることにした。かなり早い決断だったが遠回りした分、歳をとってしまっていた。凛のことを思うと、麻美との時間をゆっくり楽しんでる余裕はなかった。

 

「ちょっと話があるんだけど」

 

「ん?どうしたの?そんな怖い顔して。髪にウンコでもついてる?」麻美らしい返しだ。

 

 とりあえずその返しは無視して続けた。

 

「色々考えたんだけどさ、、付き合って間もないけど、、、俺たち、、結婚しない?」

 

 遂にこの言葉を口にした。麻美は何かを考えるような素振りでしばらく黙り込んだ。

「しまった…早かったか、、、」そう後悔しても口から出た言葉はもう戻すことはできない。どれくらい時間が経っただろう。麻美が口を開いた。

 

「ごめん、、そんな気持ちになれない。。。かな。。。」

 

 体が強張る感じがした。目の前には妻の麻美がいるのに、、、妻ではない。

 

 もどかしかった。

 

「やっぱり…早すぎかな…」

 

「結婚とか…そういうのあんまり興味なくて。。ごめん。。一馬がそこまで考えてるなんて思ってもみなかった。いつから?」

 

「初めて会った時から…かな」

 

「初めて? 髪に鳥のウンコつけてきた女性を? そんな簡単に思える訳ないでしょ。絶対嘘」

 

「嘘じゃない!だって俺たち。。。。ふ」

 

 言いたかった。

 

僕たちは夫婦で、『凛』っていう娘がいて、三人で楽しく暮らしてて、麻美はお風呂上がりにアイス食べて、、、それを、、僕にイタズラ顔で食べる? って言ってきて、、、叫びたいくらい言いたかった。

 

 でも言えなかった。

 

 麻美の記憶から完全に消えてなくことの方がもっと辛かったからだ。涙が溢れるのを止めることができなかった。

 

「なんかごめん。。私…今日は帰るね」

 

 僕は俯いたままこの日麻美を見送ることができなかった。(麻美、どんな顔してたんだろ)そんなことを考えながら例えようのない気持ちのまま泣けるだけ泣いた。

 

 一週間程してあの日以来初めて麻美に連絡した。

 

向こうから連絡あるかな? と、少し期待してたのだがそこは『流石やな』と言いたくなるぐらい音沙汰なしだった。

 

こっちも凹んでても三人との未来はやってこないから諦めず鉄を打つことにした。何回振られただろう。だんだん向こうも慣れてきて「あ~無理無理」と喰い気味に行ってくる程だった。僕も次第と振られることに慣れてきて、最終的には面白くなってきていた。

 

不思議だった。

 

初めてプロポーズした日(厳密には二回目)、あんなに泣いたのに今は笑って言えている。人は『慣れ』という最強の武器を得ると、大半の物事や出来事は笑顔で乗り切れるんじゃないのか? と思う。

 

一瞬このままでもいいんじゃないかと思った。

 

楽しかったし。

 

でもこの気持ちには慣れちゃいけないと思いまたプロポーズすることにした。

 

「ねぇ、結婚しよっか」

「いいよ」

「ねぇ、ケッコンしよーやー」

「だからいいよって言ってるやろ!」

 

 こうして僕は交際三年で見事最大の難所を突破することに成功した。

 

 麻美の気が変わったら面倒なので、すぐに婚姻届を提出。翌年、待望の凛が誕生した。

 

 飯田家の日常が戻った。

 

 当然『座りション』はしている。テーブルを三人で囲み、魔物みたいに美味いハンバーグと、それを引き立てる味噌汁が並ぶ。テレビはあのドラマ映している。なんとも奇妙な光景だったがこの光景を奇妙と思ってるのはこの中では間違いなく僕だけだ。食事を済ませいつものように五歳になった凛と風呂に入る。そしてまたあの質問をしてきた。

 

「ねぇパパ、なんでママとケッコンしたのー?」

 

「実はねぇ、ママ、頭に鳥のウンコつけてパパのお店にきたんだ。でね、パパにシャンプーできませんか?って困った顔で言ってきて。。。それが可笑しいやら可愛いやらで、パパその時一目惚れしちゃったんだ」

 

「ママ、鳥さんのウンコつけてたの?きったな~い!」

 

「ハハハ、そうだろ~、でもね、パパがすごーく綺麗にしてあげて、それが気に入ったみたいで付き合うことになったんだよ」

 

「ツキアウー?」

 

「えーっとね、ケッコンの前にあるのがツキアウ」

 

「ふーん」

 

「それでね、ケッコンしてください!って何回も言ったんだけどね、ママずーっと嫌だ! って言ってケッコンしてくれなかったんだよ。パパもうがっかりしちゃって泣いちゃった」

 

「パパ泣いたの?」

 

「うん、いーっぱい泣いた。でもね、何回も何回もケッコンしてください! って言ってたらある日ママが『いいよ』って言ってくれて、、それでパパとママは結婚したんだ」

 

「ふーん、、へんなの!」

 

 娘よ、この粘り強さがなければ君は誕生してなかったんだぞと言いたかったが、伝わるはずもないので言わずに風呂から上がった。

 

 体を拭き、髪を乾かし、寝かしつける。

 

 何気ない日常。

 

 普通の日常は当たり前すぎてその幸せに気づきにくいのかもしれない。いつものやつを終わらせリビングに向かった。今頃麻美は風呂から上がりいつものバニラアイスをほじくり返しているに違いない。そう思い扉を開けた。

 

 でも予想に反して麻美はアイスを手にしてなかった。なんとなく違和感を感じながら言葉を並べた。

 

「あれ? アイスは?」

 

「あー、、うん…。 仕事帰りにいつも寄ってるコンビニが回送中? みたいで買えなかったの」

 

「そうだったんだ」何か嫌な予感がしたので続けて言った。

 

「言ってくれれば買ってきたのに」

 

「そうだね…。 お願いすればよかったね」どことなく暗い感じでどことなく感情がない。

 

「一馬、ちょっと座ってくれる?」

 

 待て待て待て。いきなりこの展開はなんだ?? 『座りション』は欠かさずやっているし… 不安なまま言われたようにリビングの椅子に腰掛けた。

 

「何なにナニ。そんな怖い顔して」

 

 心臓が激しく動き出すのを感じた。

 

そして麻美は一枚の紙をテーブルに置いた。

 

『東京都立総合病院』

 

そう右下に書かれていた。これが検査結果と病名を知らせる紙だと気付くのにそんなに時間はかからなかった。

 

『肢帯型筋ジストロフィー』

 

 そう記してあった。

 

「一馬、、、ごめん。やっぱり私、病気みたい」

 

 青天の霹靂だった。

 

 

つづく

 

  初舞台の役はバーテンダーだった。

 

カウンター越しに『ドライマティーニになります』と一言添え主人公の前に出すというものだった。バイトでの経験が役に立ち、さほど緊張することもなく僕の役者人生初日は無事に終えることができた。『無駄な経験はない』とはよく言ったものだ。

 

家に帰り、今日を振り返る。

 

当日までみんなで頑張ってチケットを手売りした甲斐もあり、満員とまでは言わないがそこそこ埋まった劇場。クラっとなるくらいのスポットライト、演者同士の駆け引きと助け合い、本番にだけある緊張感。全てがシビれた。

 

今回は一言だけだったが、いつかしっかりセリフを貰えるように頑張ろうと心に決め眠りについた。

 

 入団して三年の月日が経った。

 

 現在二十四歳。望んだことだが楽しいかと言われれば疑問符がつくがそこそこ充実はしていた。そんなどっち付かずの日々を送っていた頃、千載一遇のチャンスは突然訪れた。

 

四ヶ月後に開かれる舞台の準主役をやってみないか?と濱本さんに言われた。先日演じたダメ人間の演技が濱本さんと、今回書き下ろしてくれた脚本家の小野さんの目にとまったらしい。「やります!やらせてください!」何かを振り払うかのように二つ返事をした。

 

 僕の役は三人家族のお父さんの役。三歳の娘がいて、一つ下の妻がいる設定だ。

 

  健康診断で発覚した乳がんで妻が最期を迎えるまでの家族愛を描いた脚本だった。台本を読み込んだ後すぐに稽古に入ったのだが、この家族構成は一度経験しているから苦労することなく自然と演じれた。

 

問題は、クライマックスのシーンだった。

 

妻を失う辛さを経験していないから、なかなか気持ちを持っていけなかった。

 

妻役の先輩役者、『真央さん』が色々と気を遣ってくれてアドバイスしてくれたり、空気感出すためにコミュニケーションを多めに取ってくれたり、僕との距離感を縮めようと努力してくれたがどうもどこかで自分がこの感情を拒否しているかのようで上手く演じることができなかった。やっと腹に落ちたのは公演予定の一ヶ月前だった。

 

 

 幕が上がった。

 

 

 スポットライトが僕たちを照らす。

 

 本番はやっぱり独特の緊張感があるなと感じながら三人家族のお父さんを演じた。演じながら僕は頭のどこかで別のことを考えていた。

 

稽古を進める中でそれは日に日に僕の脳を支配していった。

 

 

『麻美と凛は今頃どうしてるんだろう…』

 

 

 目の前の妻と娘を演じてる役者二人にいつしか麻美と凛を重ねるようになっていた。本番でもそれは変わらず、懐かしさのあまり演技ではない自然な笑みが溢れた。

 

楽しかった日常。

 

 普通の日常が実は凄く幸せだったのかもと今頃になって思う。

 

ストーリーが進むにつれ会場の空気は次第に悲しみへと包まれていった。

 

演者の気持ちも後半になるにつれ自然と高まる。そしてクライマックスを迎えた。

 

 

 妻の最期を看取る僕と娘。

 

 泣いた。

 

 演技ではなく本気で泣いた。それは複雑な感情だった。

 

 後悔、感謝、怒り、喜び、そのどれでもなく、どれかでもあるような複雑な感情。なんとかセリフを搾り出し幕は降りた。

 

大きな拍手。

 

幕が降り切る瞬間、涙を拭っている観客も見えた。

 

「よかった」

 

そう思った。

 

 僕の演技ではない本気の涙は、この作品の伝えたかったことを少なからずあの観客には伝えられたようだ。控え室に戻り、演者、スタッフ、関係者達と大成功を喜んだ。

 

 

「一馬くん! 最後のシーン凄かったね! あんな引き出し持ってたの? 早く行ってよ~ 私演技してるってこと忘れちゃいそうだったよ!」

 

 妻役を演じた真央さんが目を丸くして言ってきた。

 

「あはは、、、照れますね、自分でも不思議でした。人ってあんな感じで泣けるもんなんですね」

 

「自分で言う? いや~、でも、、、ホントよかった。これからが楽しみだね!」

「あ、ありがとうございます」

 

 座長の濱本さん、脚本家の小野さんもベタ褒めだった。最高の夜。

 

美容師では味わうことのできないこの世界でしか味わえないであろうこの感覚。

 

 僕の人生が本格的に変わり始めようとしていた。でも、、望んだことなのになぜか戸惑いを隠せなかった。

 

 翌日、転機は畳み込むようにやってきた。劇団に一本の電話が入った。脚本家の小野さんからだった。

 

「一馬くん、昨日はお疲れ様。いや実はね、昨日の舞台にテレビ局のプロデューサーを呼んでたんだよ。で、そのプロデューサーが君の演技気に入っちゃってね。来年放送予定のドラマに使いた言ってるんだけどどう?」

 

願ってもないチャンスだった。

 

座長の濱本さんも神様を拝む感じで僕をみている。そりゃそうだ。

 

『劇団スマイル』の名が世に出るBIGチャンス、座長としてもこのチャンスを是が非でも掴みたいところだ。入団面接の時「一緒に上を目指そう!」と濱本さんに言われたことを思い出す。

 

心が揺れた。

 

「一日考えさせてもらっていいですか?」

 

 今回はすぐに答えれなかった。あの役を演じてなければ確実に二つ返事をまたしていたに違いない。

 

 よく『役がなかなか抜けなくて困る』と言っている役者さんを目にすることがあるが、今回の僕の場合はそれではない。シンプルに麻美と凛が気になってるのだ。

 

 帰宅し一段落した頃、三人との生活を思い出した。

 

無邪気な凛、陽気な麻美、絶対真似できなかったハンバーグ、そのどれもがかけがえの無いものばかり。『座りション事件』から段々と関係は悪くなっていったけど、、、(嫌なことを思い出してしまった)そう思うと今回の小野さんの話は魅力的に感じる。

 

ドラマが当たれば僕はおそらく一躍有名人だ。田舎の親父やお袋、友達、バイト先で出会った人達、みんなびっくりするだろう。考えれば考えるほど今回の選択は重みが今までとは全く違う気がしてきた。

 

 小野さんの話を受ければ、もう麻美を探すことすらしなくなり結婚することもないだろう。。。そう考えた時ある一つのことを見失っていたことに気づいた。

 

「待て。。よ、、、麻美と結婚しないということは、、、凛は、、、凛はどうなる、、、?」

 

 首筋に汗が流れた。冷静に考えばわかることだ。

 

仮に麻美が他の誰かと結婚し子供ができても、それは凛ではない誰かだ。その逆も然り。

 

僕が別の誰かと結婚して子供ができてもそれは凛ではない。

 

 

 全ては僕の選択次第だ。

 

 

 別れ際のブランチさんの言葉が頭をよぎる。

 

 

『未来は諦めずに想像し続けることができればきっと変えられます。何か見つかるといいですね。それでは。。良き旅を』             

 

 

 僕の腹は決まった。

 

次の日小野さんに電話を入れた後『劇団スマイル』を去ることにした。

 

濱本さんや劇団のみんなは昨日一日で何があったの? と言わんばかりの表情だったが、その時の僕は一分一秒が惜しかったので挨拶も簡単に済ませ、東京で二回目の引っ越しの準備に取り掛かった。

 

 使わずに取っておいた仕送りをこの引っ越しでほぼ使い果たすことになるがそんなことは言ってられない。

 

 言ってられないついでに一つ言い訳を足すと、ただ単に凛を誕生させたいから麻美を探すのではなく、『麻美ともう一度やり直したいという気持ちも大きかったから』ということも足しておく。 

 

 麻美を見つける為に何をどうすればいいのか全くわからなかったが、記憶を頼りに麻美と出会った街まで戻ろうと思った。

 

クローゼットの奥に封印するかのようにしまっていたシザーケースを手に取り美容師に戻ることをこの瞬間決めた。

 

僕のリスタート人生でこれが最後の大きな選択になると感じずにはいられなかった。

 

 

 移動中、不安がどんどん押し寄せてきていた。

 

 

 麻美に会えるのか?

 もし会えなかったら? 

 仮に会えたとしても結婚まで辿り着けるのか?

 もう時すでに遅しなんじゃないのか?

 

 

 まるで今までの僕の選択を全て否定するかのような負の思いが押し寄せてくる。

 

人生をやり直すために過去に来たものの、沢山の選択肢があったはずなのに結局僕は美容師を最後に選び、家族ともう一度家族になることを選んだ。

 

 

「結局こうなるんだ」後悔の言葉ではなく安堵の言葉に近い気がした。

 

 

 

 街につき、本当なら就職してたであろう『Hare Creation TOKYO』に行くことにした。別の理由もあったがとりあえず向かった。

 

道を挟んだ真向かいに僕は陣取り、中の様子を伺った。ガラス張りのお店だったので店内は容易に見ることができた。

 

タイミングがいいことに同期? のゆっこがお客様をお見送りする為外まで出てきていた。懐かしい気持ちが僕の心を包んだ。

 

スタイリストになる為に二人で夜中までレッスンしていたこと、仕事のことで衝突したこと、お互い笑ったり泣いたりしてやっとこさスタイリストデビューできたこと、そのどれもが掛け替えのない思い出。

 

でも、、、そんな思い出も僕の中にあるだけで、目の前のゆっこには僕と作ったその『かけがえのないもの』は1ミリもない。

 

 お見送りを済ませたゆっこと目があった。

 

 僕は思わず『ゆっこー!久しぶりー!』と言って手を振りそうになったが、それをするとかなりの不審者になるので寸前のところで止めた。

 

 そんな挙動不審の僕を見てゆっこは満面の笑みで軽くお辞儀して店内に戻っていった。

 

それをただ僕は見送るだけしかできず「髪切ってもらうならゆっこだな」と呟き、もう一つ行きたい場所へ行くことにした。

 

 

 

「確かこの辺りだったような。。。」

 

 薄れた記憶を頼りに次に僕が向かったのは、全ての始まりの場所『Time-Blanch相談所』だった。

 

会ったところで現状が変わるわけでもないことはわかっていたが、行かずにはいられなかった。

 

おそらくの場所まで来て足を止めた。

 

目の前にはあの時みた扉は見る影もなく、コンビニになっていた。

 

「マジか。。。」僕の今の状況を一番理解できる人の唯一の手がかりが絶たれたという事実に思わず出た言葉だった。

 

まぁここまで新しい人生を思いつくままにやってきて今更感は否めなかったから、気を取り直し職探しをすることにした。

 

 幸いなことにすぐに就職先は見つかった。『Hair Creation TOKYO』から自転車で五分の所に就職できた。

 

『Hair salon Ant-Eat』僕の美容人生が再スタートする場所だ。

 

今は美容師の成り手が少しずつ減ってきているので僕的には渡りに船、会社的にはカモネギだった。問題があるとすればいつスタイリストになれるか?だが、ブランクはあれど一週間もすれば勘を取り戻しバリバリ動けるはずだ。

 

 

 入社して一年。

 

僕は驚異的なスピードでスタイリストになるためのテストをクリアしていった。社長の久保田さんは「こんなやついる?頭の中どんなシステムなの?」とテストの度目を丸くして言っていたが、僕としては長年やっていたので当然の結果だった。

 

「一馬、来週からデビューね」そう久保田さんに言われたのは最終テストに合格して三日後だった。周りから見たら早すぎるだろと思われるこの言葉だが、僕は「やっとスタートラインに立てた」という思いでこの言葉を噛み締めた。麻美と凛の顔が浮かぶ。ここからが本番だ。

 

 

 

 奇跡はそう簡単には訪れない。

だから奇跡と言うんだと思う。

 

 でも『自分の行動次第でその奇跡が起きる確率は上げれるはずだ』と思っていたので店の前で道行く人に名刺を配った。

 

舞台のチケットを手売りしていた時を思い出す。「デビューしました!よろしくお願いします!」「名刺持ってきてくれたら割引します!」「シャンプーブローでも大丈夫です!」手慣れたものだった。

 

そんなティッシュ一枚ほどの積み重ねの毎日だったが、少しずつお客さんがついてきた。デビューして一年ほど経った頃、全く予想もしていなかった角度からの奇跡が訪れた。

 

麻美が来店してきたのだ。

 

 時が止まった。涙が出るのを堪えるので必死だった。

 

「ま、、、」思わず名前を叫んでしまいそうだったが寸前のところで少し大きめの咳払いをして誤魔化した。

 

そして神様はいるんだなと思った。なぜならこの時手が空い手いたのが僕だけだったからだ。

 

「こんにちは。ご、ご予約されてますか?」ぎこちない会話だった。

「あ、いえ…あのぅ…シャンプーブローだけでも大丈夫ですか?」

 

 僕のぎこちなさが相手にも伝わってしまったらしく、麻美もどことなくぎこちない感じだった。このままだと永遠喋ってしまいそうだったので受付を済ませる為に予約表を取りに行こうとした。

 

ふと麻美の肩上のボブに目が行った。

 

アイロンできちんとスタイリングしてる感じだったが、右耳あたりが白く汚れていた。

 

「あの…そこ汚れてませんか?」

 

「あ…これ、、どうやら、、、鳥のウンコみたいで。。。なんか降ってきたなぁ~と思って触ってみたらこのザマでした…で、これはマズいと思ってキョロキョロしてたら運よく目の前に美容室があったんでシャンプーしてもらえないかなぁ~って… 藁をも掴む思いできました」

 

『鳥のフン』と言わず、『鳥のウンコ』と言ってるところが麻美らしかった。

鳥よ。グッジョブだ。

 

 僕はゆっくりと、そして今までやったことないくらい丁寧にシャンプーをした。

 

 ほぼ極上ヘッドスパだったと思う。久しぶりに麻美に触れた。

 

 懐かしくもあり、どこか切ない。あの『座りションの乱』がなければこんなに遠回りしなくてよかったはずだ。

 

 鳥のウンコを投下されたのに今はシャンプーされながら眠ってしまっている麻美を見てそう思った。凛の顔も浮かぶ。

 

「凛。必ず三人でまた会おうな」

 

そう改めて誓い麻美との一時間三〇分を全力でやり切った。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は港にいた。

 

正確にいうと船の甲板に立っている。下を見ると父ちゃんと母ちゃん、野球部の後輩たち、仲の良かった友達、そして楓が港から僕を見上げていた。港には定番の『蛍の光』が大音量で流れていた。

 

「一馬ー!元気でなー!」

 

友達が音量に負けないぐらいの声で叫ぶ。それにつられて後輩たちも叫ぶ。父ちゃんと母ちゃんはどこか寂しそうな顔をしつつ手を振っていた。楓は、、、泣いていた。

 

 船の汽笛が鳴った。出航の合図。お別れだ。

 

「みんなー!元気でなー!、楓ー!がんばろなー!」精一杯手を振った。そして当時言えなかった言葉を一番世話になったであろう二人に言った。

 

「父ちゃーん!母ちゃーん! ありがとうー!」

 

 今まで以上に大きく手を振った。なんでこんな簡単な言葉を当時言えなかったんだろう。

 

僕の口からこんな言葉が出るとは想像もしてなかったはずだ。二人は泣いていた。してやったりだ。

 

 船が港から離れ始めた。その瞬間僕めがけて沢山の紙テープが飛んできた。島の別れの時の風物詩だ。

 

この光景は一度経験してるはずなのに不思議と涙が止まらなかった。完全に十八歳の自分を受け入れ馴染んでいたんだと思う。

 

楓に目をやった。楓は今まさに黄色い紙テープを投げようとしているところだった。

 

僕は何かに応えるように両手をあげた。いろんな思いを込めたであろう楓の黄色い紙テープは、ギリギリのところで僕の両手に着地した。

 

 

 

 島を出て一段落した頃には三月も終わろうとしていた。

 

 

 

明日は美容学校の入学式だ。楓の声が聴きたくなった。スマホを無意識に探すが、無駄なことだとすぐに気付かされる。小銭をかき集め公衆電話へ向かった。

 

気持ちは完全に当時に戻っていた。僕は今、一度擦ったであろう『恋』を再体験し、約半年で終わる予定のこの『恋』を可能な限り引き伸ばすことに夢中になっていた。

 

 みるみる無くなっていく小銭たち。LINEみたいに永遠喋れたら、、、ともどかしかったが、久しぶりに味わう制限付きの電話もどこかエモくていいなと思いながら、最後の百円玉を公衆電話の口に流し込んだ。

 

会話の途中でカチャンと百円玉の落ちる音がし、そっと受話器を置いた。

 

ふと本来の自分?に返る。もしかして僕は『最低なことをしているのかもしれない』という思いに押しつぶされそうになった。

 

これから先、幾度となくこの感情は出て来るだろう。そしてその都度僕は自分にこう言い聞かせるのかもしれない。

 

 

『自分の人生をやり直すんだろ』 

 

と。

 

 美容学校生活はすこぶる退屈なものだった。

 

美容師になって十年以上経ってるのにまた一から学ぶのだ。地獄でしかない。

 

担任の先生も、いきなりできる僕を見て不思議でならなかったはずだ。改めて勉強し直すこともなかった僕は空いた時間を使ってバイトに明け暮れることにした。

 

実家からの仕送りもあったが、港で見た親父とお袋の顔を思い出すと使う気にはなれなかった。学校卒業まで当時やりたかったバイトを『経験』という名目で片っ端からやった。

 

コンビニ定員から始まり、深夜の清掃、BARの定員、居酒屋、警備員と、ありとあらゆるバイトをした。そんな日々を送っていると、二年という月日はあっという間に流れてすぐに卒業はやってきた。が、、、美容室に就職はしなかった。

 

そう。数年後、麻美と出会うことになる美容室に僕は就職しなかったのだ。

 

 学校で『Hair Creation TOKYO』という会社の求人をしばらく眺めていた。

 

僕が就職するはずだった会社だ。「麻美、、、」小さく呟いたが気持ちはこもってなかった気がする。夫婦関係が悪くなっていたからと言えばそれまでだが、別の理由もあった。どうしても諦めきれない『やりたいこと』があったからだ。。

 

この道を選択するということは十中八九極貧に陥るので、思い立ったが吉日で少し外れに引越すことにした。

 

 二年という短い間を共にした部屋の中央に座り、いるものといらないものを分けた。いるものは段ボールに、いらないものはゴミ袋へ。

 

一人で黙々とやった。荷造りも終わりに近づいた頃、黄色の紙テープが出てきた。

 

僕はその紙テープを手に取り、あの時の光景を思い出しながらそれをゴミ袋へそっと置いた。僕らの恋は一年半で終わりを迎えていた。がんばっても一年しか伸ばせなかったのだ。

 

  距離の分だけ会いたくて、距離の分だけ寂しくなる。どうすることもできなかった。何かを振り切るように、ギュッとゴミ袋を結んで、明日へと僕は進むことにした。

 

 新居は都内から少し離れるが家賃が前より2万ほど安くなるのでヨシとした。美容師という経歴を捨て、僕は『劇団スマイル』という小さな劇団の面接を受けていた。

 

そう、僕はこれから役者を目指すのだ。きっかけは麻美と結婚する前。興味本位で行ったエキストラだった。映るか映らないかわからないような隅っこの方で、『ただひたすら走る』という役だった。軍人みたいな衣装を着て、オモチャの銃を構えて走るだけだったがそれがとても新鮮だった。普段では経験できないことを経験できるこの世界に僕は魅了された。

 

ただこの時すでに麻美との結婚が決まっていたので、ここから職を変え、収入も安定しない世界に行くという選択は当時の僕にはできなかったし、しようとも思わなかった。

 

「ん?美容師さんなの?」座長の濱本さんが履歴書を見ながら言った。

 

「あ、はい! 今年学校卒業して、免許も持ってます」

 

「へ~、でなんでまた役者になろうと思ったの?結構厳しい世界だし、大変だよ? 美容師の方が食べていけると思うけど、、、」濱本さんにそう言われ、あの時の思いを語った。

 

「よーし! そういうことならうちで頑張ってみて! 一緒に上を目指そう!」

 

『劇団スマイル』という名前に負けないぐらいの満面の笑みで僕は迎え入れられた。

 

翌日から基本的なレッスンが始まった。発声、表情、動きなどだ。新しいことを吸収するのはやはり面白い。入団から三ヶ月ほど経った頃、濱本さんから初舞台の報告を受けた。チョイ役ではあるがセリフもあるらしい。

 

 本番は一ヶ月後。新しい僕の人生が始まる。

 

 

つづく

 

 

 

 目が覚める。いつもと違う天井だがどこか見覚えのある空間。。。

 

「マジか、、、」理解するのにそんなに時間は掛からなかった。実家だ。となると次の問題はいつの自分か? ということになる。

 

 ムクっと起き久しぶりに見る自分の部屋を見渡す。ハンガーに掛かった制服。どうやら高校生からの『リスタート』のようだ。

 

机には夏の大会でボロ負けした後の集合写真が飾ってあった。この時点で僕の新しい部活人生は閉ざされたことになり、当然ながら頭を良くするチャンスも逃していることになる。

 

『マジかぁ。。。』もう一度呟いた。

 

「一馬!、遅刻するよー!」とおふくろの声がする。

 

制服に着替え階段を降りながら心臓の鼓動に気がつく。自分の育った家なのに何処となく他人の家にいるような感覚。(普通に振る舞えるだろうか)そんな思いでリビングの椅子に座った。当たり前に用意された朝食の味噌汁を啜る。

 

味の懐かしさに思わず微笑んだ。

 

「何一人でニヤニヤしとるとね? 気持ち悪か子ね。さっさと食べて学校行かんね。今日卒業式でしょ?」

 

 口に含んだ味噌汁をマンガみたいに吹き出しそうになったが全力で飲み込んだ。

 

兄貴の気配がしないと思ったらそういうことか。

 

僕が高三ということは、、、兄貴は理容師になる夢を実現させる為に既に福岡に修行に出てい恐らくもうすぐカットできるようになっている頃だ。

 

というか高校からリスタートする意味あったんか? と思ってしまったが、気を取り直して登校するしかない。

 

「オヤ、、、(危ないあぶない、オヤジなんてこの頃言ってない)父ちゃんもう店にでたの?」

 

「…でたの?…気持ち悪か子ね~、もう東京かぶれね?恥ずかしかねこの子は。当たり前たい!もう店に出て開店の準備ばしよるよ」

 

 母ちゃんの『もう東京かぶれね?』の言葉に、美容学校に入学することも確定しているのだなと悟った。

 

「今日卒業式なんだから当然か」そう思った。

 

がだ。

 

 未来人の僕としては自分の未来を変えたいという思いでここへ来ている。

 

ので!

 

ここはオヤジに相談することにした。店は家の隣なので登校前に寄ることにした。

 

「カランカラン」喫茶店のドアを開けた時に鳴るやつがスチームタオルの準備をしているオヤジの手を止めた。

 

「おー、一馬、なんしよんか、はよ学校行かんか」

 

相変わらずの威圧感だった。

 

僕が野球部現役の時でも一度も腕相撲で勝てなかった程の太い腕を持つ男。ヤンチャした兄貴を教育という言葉を盾にボコボコにして、腫れ上がった顔の兄貴に『オヒャジにだけはヒャからうなよ』と言わせた男。(この時首がもげるんじゃないかと思うぐらい頷いたのを覚えている)そんな親父と今対峙している訳だが、、、やはりうまく言葉が見つからなかった。

 

「オヤ、、、(ヤバイやばい。違う意味でやばい)父ちゃん、、美容学校の件でちょっと話んあるとけど、、、」

 

「なんか? 忙しかけん用件ばはよ言え」準備に追われイライラしている模様。

 

 このパターンはマズイ。ふと小学生時代を思い出す。

 

 某アイドルグループの影響で、ローラースケートとスケボーが流行った時期があった。

友達たちは親に買ってもらったそれを持ち合い、ワイワイ言いながら遊んでいた。

 

僕は持っていなかったので、ただひたすらその横を全力で走るというカオス状態を味わっていた。このカオス状態もなかなか辛いものがあったので親父に買ってもらおうと思い、タイミングを見計らっておねだりすることにした。

 

 どんな作戦でいこうか考えていた時、丁度親父がバックルームに入ってきた。ここぞとばかりに、小学生が最大限可愛く、そして愛しく思わせる角度と笑顔でせがんでみた。

 

「ねぇ父ちゃーん、ローラースケートば買っ、」

 

 一瞬の出来事だった。まず右からの平手うち。揺れる脳。

 

吹っ飛んだ僕に畳み掛けるような蹴りが炸裂。後で母ちゃんに聞いてわかったことだが、どうやらこの日はかなり忙しかったみたいで、めちゃめちゃイライラしていたらしく、タバコでも吸って気持ちを落ち着かせようとバックルームに入ってきた所だったらしい。

 

おねだりの言葉を言い終える前にぶっ叩きにくるぐらいのイライラってどんな感じ? と正直思ったが、オヤジだから仕方ない。で、、、今あの時のスイッチに似た気配を感じている。

 

 ゴクリと唾を飲み込み、一呼吸置いて、、、言った。

 

 

「東京行って頑張るけん」

 

 

 これでいい。これでよかったんだ。そう言い聞かせ店を出た。

 

 失意の中、学校に着いた。

校内は卒業式用に飾り付けしてあり懐かしい雰囲気に包まれた。教室に入ると久しぶりに会う友達がいて、自然と笑顔になる。

 

「一馬!おはよ!」声を掛けてきたのは楓だった。

 

「お、お、お、おはよ!」なんともぎこちない。なぜなら。当時の彼女だからだ。

「なんなん?その返し。しかも久しぶりに会ったみたいな顔して」(いや久しぶりなんだが…)

 

「そ、そ、そう? 気のせい気のせい」

 

 確かこの時付き合いだして六年になってたから、僕のこの挙動は楓にはおかしく見えて当然だと思った。

 

「卒業やね。。。」楓がどこか寂しそうに言った。

 

「やねぇ。。。」僕もテンションを合わせるように言った。青春の甘酸っぱい記憶が蘇ってくるのを感じる。僕の心が出会って二分も経たないうちに、あの時と同じように楓を見ようとしていることに嫌悪感と妙な期待とでグチャグチャになりそうだった。

 

 『麻美は今ごろこの世界で何をしてるんだろう』

 

 式も終わり、楓と二人で歩いて帰った。

「高校生活、楽しかったね」楓が言った。

 

「うん、、、楽しかった。。。」いろんな感情の中僕が言った。

 

「東京に出発するのいつやったっけ…?」

 

「確か明後日、、、やったような…」結構前の事だから曖昧な答えだ。

 

「そっか…。遠距離になるね。。。」

 

 そうだった。楓は福岡の大学に合格して教師を目指すんだった。東京と福岡の遠距離恋愛が明後日から始まることになる。

 

先に言っておくがこの恋愛は約半年でエンディングを迎えることになる。この時代、スマホやLINEなんてものは存在してなかったから、それがあったらもしかしたら違う結果になっていたかもしれない。

 

しっとりとした雰囲気の中楓を家まで送り、旅立つ前日の夜ドライブをする約束をした。

 

旅立ち前夜。約束したように助手席には楓が座っていた。

 

 本当なら免許取りたてのはずだが、実際の僕は車の免許取得して二十年は経っている。この時いつもの感覚で運転してしまいベテラン感を隠しきれず楓に運転が上手いと褒められてしまった。

 

田舎道をなるべくゆっくりと走った。

 

思い出の場所を思い出話と共に、これ以上ベテラン感が出ないよう気をつけながらアクセルを踏んだ。島でも有名な星が綺麗に見える丘に車を停め、僕達はそこでこれからのことを話した。

 

「どうなるっちゃろね、うちら…」

 

 この恋愛の結末を僕は知っている。でも、もう一度頑張ってみようと思いだしてる自分がいる。当時の楓を思う気持ちが抑えきれなくなっていた。

 

「大丈夫よ。俺、頑張るけん」(麻美、、、ごめん)

 

 それからお互い誓い合うように言葉を交わし、満天の星が見守る中僕たちは最後のキスをした。

 

 

 

つづく