初舞台の役はバーテンダーだった。
カウンター越しに『ドライマティーニになります』と一言添え主人公の前に出すというものだった。バイトでの経験が役に立ち、さほど緊張することもなく僕の役者人生初日は無事に終えることができた。『無駄な経験はない』とはよく言ったものだ。
家に帰り、今日を振り返る。
当日までみんなで頑張ってチケットを手売りした甲斐もあり、満員とまでは言わないがそこそこ埋まった劇場。クラっとなるくらいのスポットライト、演者同士の駆け引きと助け合い、本番にだけある緊張感。全てがシビれた。
今回は一言だけだったが、いつかしっかりセリフを貰えるように頑張ろうと心に決め眠りについた。
入団して三年の月日が経った。
現在二十四歳。望んだことだが楽しいかと言われれば疑問符がつくがそこそこ充実はしていた。そんなどっち付かずの日々を送っていた頃、千載一遇のチャンスは突然訪れた。
四ヶ月後に開かれる舞台の準主役をやってみないか?と濱本さんに言われた。先日演じたダメ人間の演技が濱本さんと、今回書き下ろしてくれた脚本家の小野さんの目にとまったらしい。「やります!やらせてください!」何かを振り払うかのように二つ返事をした。
僕の役は三人家族のお父さんの役。三歳の娘がいて、一つ下の妻がいる設定だ。
健康診断で発覚した乳がんで妻が最期を迎えるまでの家族愛を描いた脚本だった。台本を読み込んだ後すぐに稽古に入ったのだが、この家族構成は一度経験しているから苦労することなく自然と演じれた。
問題は、クライマックスのシーンだった。
妻を失う辛さを経験していないから、なかなか気持ちを持っていけなかった。
妻役の先輩役者、『真央さん』が色々と気を遣ってくれてアドバイスしてくれたり、空気感出すためにコミュニケーションを多めに取ってくれたり、僕との距離感を縮めようと努力してくれたがどうもどこかで自分がこの感情を拒否しているかのようで上手く演じることができなかった。やっと腹に落ちたのは公演予定の一ヶ月前だった。
幕が上がった。
スポットライトが僕たちを照らす。
本番はやっぱり独特の緊張感があるなと感じながら三人家族のお父さんを演じた。演じながら僕は頭のどこかで別のことを考えていた。
稽古を進める中でそれは日に日に僕の脳を支配していった。
『麻美と凛は今頃どうしてるんだろう…』
目の前の妻と娘を演じてる役者二人にいつしか麻美と凛を重ねるようになっていた。本番でもそれは変わらず、懐かしさのあまり演技ではない自然な笑みが溢れた。
楽しかった日常。
普通の日常が実は凄く幸せだったのかもと今頃になって思う。
ストーリーが進むにつれ会場の空気は次第に悲しみへと包まれていった。
演者の気持ちも後半になるにつれ自然と高まる。そしてクライマックスを迎えた。
妻の最期を看取る僕と娘。
泣いた。
演技ではなく本気で泣いた。それは複雑な感情だった。
後悔、感謝、怒り、喜び、そのどれでもなく、どれかでもあるような複雑な感情。なんとかセリフを搾り出し幕は降りた。
大きな拍手。
幕が降り切る瞬間、涙を拭っている観客も見えた。
「よかった」
そう思った。
僕の演技ではない本気の涙は、この作品の伝えたかったことを少なからずあの観客には伝えられたようだ。控え室に戻り、演者、スタッフ、関係者達と大成功を喜んだ。
「一馬くん! 最後のシーン凄かったね! あんな引き出し持ってたの? 早く行ってよ~ 私演技してるってこと忘れちゃいそうだったよ!」
妻役を演じた真央さんが目を丸くして言ってきた。
「あはは、、、照れますね、自分でも不思議でした。人ってあんな感じで泣けるもんなんですね」
「自分で言う? いや~、でも、、、ホントよかった。これからが楽しみだね!」
「あ、ありがとうございます」
座長の濱本さん、脚本家の小野さんもベタ褒めだった。最高の夜。
美容師では味わうことのできないこの世界でしか味わえないであろうこの感覚。
僕の人生が本格的に変わり始めようとしていた。でも、、望んだことなのになぜか戸惑いを隠せなかった。
翌日、転機は畳み込むようにやってきた。劇団に一本の電話が入った。脚本家の小野さんからだった。
「一馬くん、昨日はお疲れ様。いや実はね、昨日の舞台にテレビ局のプロデューサーを呼んでたんだよ。で、そのプロデューサーが君の演技気に入っちゃってね。来年放送予定のドラマに使いた言ってるんだけどどう?」
願ってもないチャンスだった。
座長の濱本さんも神様を拝む感じで僕をみている。そりゃそうだ。
『劇団スマイル』の名が世に出るBIGチャンス、座長としてもこのチャンスを是が非でも掴みたいところだ。入団面接の時「一緒に上を目指そう!」と濱本さんに言われたことを思い出す。
心が揺れた。
「一日考えさせてもらっていいですか?」
今回はすぐに答えれなかった。あの役を演じてなければ確実に二つ返事をまたしていたに違いない。
よく『役がなかなか抜けなくて困る』と言っている役者さんを目にすることがあるが、今回の僕の場合はそれではない。シンプルに麻美と凛が気になってるのだ。
帰宅し一段落した頃、三人との生活を思い出した。
無邪気な凛、陽気な麻美、絶対真似できなかったハンバーグ、そのどれもがかけがえの無いものばかり。『座りション事件』から段々と関係は悪くなっていったけど、、、(嫌なことを思い出してしまった)そう思うと今回の小野さんの話は魅力的に感じる。
ドラマが当たれば僕はおそらく一躍有名人だ。田舎の親父やお袋、友達、バイト先で出会った人達、みんなびっくりするだろう。考えれば考えるほど今回の選択は重みが今までとは全く違う気がしてきた。
小野さんの話を受ければ、もう麻美を探すことすらしなくなり結婚することもないだろう。。。そう考えた時ある一つのことを見失っていたことに気づいた。
「待て。。よ、、、麻美と結婚しないということは、、、凛は、、、凛はどうなる、、、?」
首筋に汗が流れた。冷静に考えばわかることだ。
仮に麻美が他の誰かと結婚し子供ができても、それは凛ではない誰かだ。その逆も然り。
僕が別の誰かと結婚して子供ができてもそれは凛ではない。
全ては僕の選択次第だ。
別れ際のブランチさんの言葉が頭をよぎる。
『未来は諦めずに想像し続けることができればきっと変えられます。何か見つかるといいですね。それでは。。良き旅を』
僕の腹は決まった。
次の日小野さんに電話を入れた後『劇団スマイル』を去ることにした。
濱本さんや劇団のみんなは昨日一日で何があったの? と言わんばかりの表情だったが、その時の僕は一分一秒が惜しかったので挨拶も簡単に済ませ、東京で二回目の引っ越しの準備に取り掛かった。
使わずに取っておいた仕送りをこの引っ越しでほぼ使い果たすことになるがそんなことは言ってられない。
言ってられないついでに一つ言い訳を足すと、ただ単に凛を誕生させたいから麻美を探すのではなく、『麻美ともう一度やり直したいという気持ちも大きかったから』ということも足しておく。
麻美を見つける為に何をどうすればいいのか全くわからなかったが、記憶を頼りに麻美と出会った街まで戻ろうと思った。
クローゼットの奥に封印するかのようにしまっていたシザーケースを手に取り美容師に戻ることをこの瞬間決めた。
僕のリスタート人生でこれが最後の大きな選択になると感じずにはいられなかった。
移動中、不安がどんどん押し寄せてきていた。
麻美に会えるのか?
もし会えなかったら?
仮に会えたとしても結婚まで辿り着けるのか?
もう時すでに遅しなんじゃないのか?
まるで今までの僕の選択を全て否定するかのような負の思いが押し寄せてくる。
人生をやり直すために過去に来たものの、沢山の選択肢があったはずなのに結局僕は美容師を最後に選び、家族ともう一度家族になることを選んだ。
「結局こうなるんだ」後悔の言葉ではなく安堵の言葉に近い気がした。
街につき、本当なら就職してたであろう『Hare Creation TOKYO』に行くことにした。別の理由もあったがとりあえず向かった。
道を挟んだ真向かいに僕は陣取り、中の様子を伺った。ガラス張りのお店だったので店内は容易に見ることができた。
タイミングがいいことに同期? のゆっこがお客様をお見送りする為外まで出てきていた。懐かしい気持ちが僕の心を包んだ。
スタイリストになる為に二人で夜中までレッスンしていたこと、仕事のことで衝突したこと、お互い笑ったり泣いたりしてやっとこさスタイリストデビューできたこと、そのどれもが掛け替えのない思い出。
でも、、、そんな思い出も僕の中にあるだけで、目の前のゆっこには僕と作ったその『かけがえのないもの』は1ミリもない。
お見送りを済ませたゆっこと目があった。
僕は思わず『ゆっこー!久しぶりー!』と言って手を振りそうになったが、それをするとかなりの不審者になるので寸前のところで止めた。
そんな挙動不審の僕を見てゆっこは満面の笑みで軽くお辞儀して店内に戻っていった。
それをただ僕は見送るだけしかできず「髪切ってもらうならゆっこだな」と呟き、もう一つ行きたい場所へ行くことにした。
「確かこの辺りだったような。。。」
薄れた記憶を頼りに次に僕が向かったのは、全ての始まりの場所『Time-Blanch相談所』だった。
会ったところで現状が変わるわけでもないことはわかっていたが、行かずにはいられなかった。
おそらくの場所まで来て足を止めた。
目の前にはあの時みた扉は見る影もなく、コンビニになっていた。
「マジか。。。」僕の今の状況を一番理解できる人の唯一の手がかりが絶たれたという事実に思わず出た言葉だった。
まぁここまで新しい人生を思いつくままにやってきて今更感は否めなかったから、気を取り直し職探しをすることにした。
幸いなことにすぐに就職先は見つかった。『Hair Creation TOKYO』から自転車で五分の所に就職できた。
『Hair salon Ant-Eat』僕の美容人生が再スタートする場所だ。
今は美容師の成り手が少しずつ減ってきているので僕的には渡りに船、会社的にはカモネギだった。問題があるとすればいつスタイリストになれるか?だが、ブランクはあれど一週間もすれば勘を取り戻しバリバリ動けるはずだ。
入社して一年。
僕は驚異的なスピードでスタイリストになるためのテストをクリアしていった。社長の久保田さんは「こんなやついる?頭の中どんなシステムなの?」とテストの度目を丸くして言っていたが、僕としては長年やっていたので当然の結果だった。
「一馬、来週からデビューね」そう久保田さんに言われたのは最終テストに合格して三日後だった。周りから見たら早すぎるだろと思われるこの言葉だが、僕は「やっとスタートラインに立てた」という思いでこの言葉を噛み締めた。麻美と凛の顔が浮かぶ。ここからが本番だ。
奇跡はそう簡単には訪れない。
だから奇跡と言うんだと思う。
でも『自分の行動次第でその奇跡が起きる確率は上げれるはずだ』と思っていたので店の前で道行く人に名刺を配った。
舞台のチケットを手売りしていた時を思い出す。「デビューしました!よろしくお願いします!」「名刺持ってきてくれたら割引します!」「シャンプーブローでも大丈夫です!」手慣れたものだった。
そんなティッシュ一枚ほどの積み重ねの毎日だったが、少しずつお客さんがついてきた。デビューして一年ほど経った頃、全く予想もしていなかった角度からの奇跡が訪れた。
麻美が来店してきたのだ。
時が止まった。涙が出るのを堪えるので必死だった。
「ま、、、」思わず名前を叫んでしまいそうだったが寸前のところで少し大きめの咳払いをして誤魔化した。
そして神様はいるんだなと思った。なぜならこの時手が空い手いたのが僕だけだったからだ。
「こんにちは。ご、ご予約されてますか?」ぎこちない会話だった。
「あ、いえ…あのぅ…シャンプーブローだけでも大丈夫ですか?」
僕のぎこちなさが相手にも伝わってしまったらしく、麻美もどことなくぎこちない感じだった。このままだと永遠喋ってしまいそうだったので受付を済ませる為に予約表を取りに行こうとした。
ふと麻美の肩上のボブに目が行った。
アイロンできちんとスタイリングしてる感じだったが、右耳あたりが白く汚れていた。
「あの…そこ汚れてませんか?」
「あ…これ、、どうやら、、、鳥のウンコみたいで。。。なんか降ってきたなぁ~と思って触ってみたらこのザマでした…で、これはマズいと思ってキョロキョロしてたら運よく目の前に美容室があったんでシャンプーしてもらえないかなぁ~って… 藁をも掴む思いできました」
『鳥のフン』と言わず、『鳥のウンコ』と言ってるところが麻美らしかった。
鳥よ。グッジョブだ。
僕はゆっくりと、そして今までやったことないくらい丁寧にシャンプーをした。
ほぼ極上ヘッドスパだったと思う。久しぶりに麻美に触れた。
懐かしくもあり、どこか切ない。あの『座りションの乱』がなければこんなに遠回りしなくてよかったはずだ。
鳥のウンコを投下されたのに今はシャンプーされながら眠ってしまっている麻美を見てそう思った。凛の顔も浮かぶ。
「凛。必ず三人でまた会おうな」
そう改めて誓い麻美との一時間三〇分を全力でやり切った。
つづく