つれづれドバイ。 -3ページ目

つれづれドバイ。

2009年5月ドバイ入り。
ドバイでの日常、そしてドバイでの子育て、息子のことをつれづれに。
2012年3月日本へ帰国しました。

OHSSのことも記録しています。

入院7日目、8日目とだいぶ体調がよくなってきて、

首の点滴を取れるかも、とか一般病棟に移れるかも、と言われて期待していたんですが、

8日目の夜、また体調が悪化。

腹痛がひどくなって吐き気も。




入院9日目(HCU8日目)。


順調に低下していたHCG値がなぜか再び上がってしまったとのこと。

一般病棟に移れる話もなし、首の点滴もつけたまま。。。


中絶手術をしたときに子宮内の細胞を採取して、それを病理検査にまわしていたんですが

その結果、子宮内で妊娠していた形跡は確実にある、と。


でもHCGが上がっている(数値は確か500ほど)ので、妊娠組織を取りこぼしたのか?

子宮外妊娠の可能性もあるかも、と言われました。


中絶手術というのはエコーで妊娠組織の場所を確認した後に、

先生が手探りで組織をかきだしていくんだそうです、見えないから。


私としては取りこぼしでもなんでもかまわないから(いいことないけど)、

なんでHCGが上がったのかはっきり知りたかったし、

HCGが上昇してるからか吐き気もひどかったので、それもどうにかしてほしかったことを覚えています。




入院10日目(HCU9日目)。


夜は体調が悪くなり寝られないものの、昼間はだいぶ気分がいい、の繰り返し。


HCG値は500から600にまた上昇。





つづく。


入院6日目(HCU5日目)。


この日は金曜日だったんですが、朝いきなり腹水と胸水を抜く話になりました。


体から抜いた腹水や胸水の中には養分がたくさん残っていて、

それをそのまま捨てるのはもったいないので

養分だけを抽出してまた点滴で体内に戻すんですが、

土日に体調が急変して腹水と胸水を抜くことになると、

土日はその養分だけを抽出する作業をしてくれる部門がお休みで捨てるしかなくなるので、

今日抜いときましょう、てな話になり。。。


ほんと針を刺されるのは痛いのでかなり嫌だったんですが。



結果的に胸水は1,5リットル、腹水は2,5リットル抜きました。

水を抜いてる間は波のように吐き気が襲ってきてつらかったんですが、

抜いた後はやっぱりだいぶお腹の張りもマシになりました。



そして栄養分だけ濃縮された点滴袋の大きさをみてびっくり。

けっこう小さい袋なのかなと思いきや、4リットル抜いたものの半分2リットルくらいあったように思います。


腹水や胸水は血管から水が漏れ出ていてたまっていきます。

それが減っていくにはもう一度血管に水が戻って、

それが尿として出て行くことで減っていくんですが、

私の場合は濃いものが水として血管から漏れ出ていたので

なかなか血管へと戻ってくれなかったようです。


なのであのまま水を抜かずにいても、体内の水が減る可能性は低かったので、

結果的に水を抜いてよかったんじゃないでしょうかと先生はおっしゃってました。



体調は最悪の状態からは脱したような感じ。

動悸が不定期にあってしんどくはなるものの、少し食欲も出てきて、入院も1週間になろうというときに初めて夜まともに寝られました。



入院4日目(HCU3日目)。


前夜の体調悪化を引きずって、朝も体調不良。


朝の巡回である先生から

「普通血圧が100~110の人が使ったら200まで上がるような強い薬を使っても

やっと血圧が100いくかいかないかの状態で、

若いからまだ大丈夫だけど、この薬やめたら意識なくなるんだよ。


まだ妊娠4週で、あと6週間はHCGが出続けるんだよ。

上の子もいるんだから(中絶するかどうかを)よく考えた方がいい」

とはっきり言われました。



入院4日目にしてこのとき初めて意識した中絶。

それまではまだどこかで出産できると信じていて、他人事だった中絶という選択を初めて真剣に考えました。


この先生にはっきりと言われた時はほんとにショックだったんですが、逆に踏ん切りがつきました。



そのまま担当ドクターに「中絶してください」と伝え、夕方4時には手術室に行きました。


「眠くなる薬を使いますからねー」と言われ、一瞬気持ち悪くなって直後に意識はなくなりました。



「終わりましたからね」と言われて「ハイ」と答えるものの、目が開かずずーっとぼーっとしてました。


夕食もぼんやりとしていて食べられず、吐き気もあり、夜寝られないのも相変わらず。





入院5日目(HCU4日目)。


術後1日目、まだ体調は戻らないんだけど、血圧の薬は少しずつ減らしていけました。


体調は山あり谷ありで、主人が来てるときは比較的体調が良好なのに

母が来てくれてるときに限って体調が悪いので、ほんとに心配をかけました。


主人は楽観的で母は心配症なので、これが反対だったらいいのに・・・とずっと思ってました。



夜は相変わらず寝苦しく、手術した次の日だから仕方ないのに

「手術してもちっとも楽にならない」とイライラして、叫び出したい衝動にかられたことを強烈に覚えてます。




つづく。