今日も新しい朝新しいいのちをくださった信じる者たちすべての父であられ、私たちの創造主なる神様の憐れみと恵みに感謝します。
私たちの罪のために私たちの罪のさばきの身代わりてして十字架の上で苦しんでくださり、尊いいのちを捨ててくださった神の御子であられ、私たちの救い主であられるイエス・キリスト様の贖いと、死とよみがえりのみわざを心から誉め称え、感謝いたします。
全人類の罪を一身に背負ってくださって、私たちの想像を遥かに超えるところの痛みや苦しみを代わりに受けてくださったイエス様に感謝します。
永遠から永遠に存在されるまことの神であられる父、御子、聖霊なる神様の愛と恵み、ご栄光を誉め称えます。
みなさま3月もありがとうございました。沢山のフォロー、いいね!、コメント、メッセージをありがとうございました。4月も温かいフォロー、いいね!、コメント、メッセージをくださり心から感謝申し上げます。
久しぶりのブログ更新でございますが、温かく見守ってくだされば光栄と幸いに存じ上げます。
私の好きな小説家である三浦綾子さんの遺された手記からあるエピソードをご紹介させていただきます。
三浦綾子さんの作品には「氷点」「塩狩峠」など
すばらしい小説が多数あります。三浦綾子さんはクリスチャンでいらっしゃいます。
『弱い人が大事にされるのは当然ですよ』(三浦光世の母のことば)
夫、三浦光世が私を初めて訪ねてきたのは、忘れもせぬ昭和30年の6月18日であった。私は昭和21年の春に肺結核を発病し、その療養中の昭和26年脊椎カリエスを併発し、27年からギプスベッドに絶対安静の身となった。三浦が訪ねてきた時、私はまだそのベッドの中にあった。
そんな状態の私との結婚を三浦が決意したのは、初めて会った年の翌年、昭和31年の春であった。やがて三浦はそのことを自分の家族にも告げた。当然のことながら、三浦の母は二人の結婚に非常な危惧を抱いた。当時の三浦は旭川営林署に勤務していて、かなりの激務に耐えていたものの、腎臓結核で片方の腎臓を摘出した体であった。その上、私はいつ治るかわからぬ病状である。大手を上げて賛成とはいかない状況にあった。その頃の三浦の作った歌に次のがある。
吾が足をもみつつ母の言い給ふ「一生を弱い人たちに仕へて来ました」
母は29歳の時に夫を失っている。三浦の父は肺結核であった。父の死後間もなく、三浦たち子どもを親戚に預けて都会に出た。ある町では牧師の家に住みこみ、ここでまた牧師の息子を看とることになった。この息子も肺結核であった。
10年を経て、子どもたちと暮らせるようになったが、数年を経ずに三浦が病んだ。腎臓結核であった。病気は手術後も尾をひき、戦後とくに悪化した。本人の苦痛はもとより、周囲の者も大変な難儀をした。その三浦がなんとか元気で働けるようになった頃、今度は三浦の嫂が肺結核で倒れた。母は常に看とる側であった。それだけに、病人を抱えた生活の大変さを骨身に沁みて感じとっていたにちがいない。いや、それだけではない。
4人の子と共に夫に先立たれた母は、病弱な私との結婚を、もっと深刻に受けとめていたにちがいないのだ。
「その病気は治るのかい」母は不安そうに、幾度か私の容態を案じてくれたという。だが、三浦の結婚の意志が固いと知るや、強い信仰の人である母は、すべてを神に委せて安心するようになった。それでも結婚の直前に私は高熱を発し、挙式の前日までベッドの中にあった。こうして、世界最古の自動車のように故障だらけの私が人妻となった。三浦を送り出すと、玄関に錠をおろし、布団を敷いて静臥していた。5丁以上の距離を歩けなかった。そんな私の家に、三浦の母は時々訪ねてくれた。母は私の好きな巻き寿司やちらし鮨を重箱に入れては訪ねて来てくれた。裁縫の上手な母は、「何か縫うものがあったら出してちょうだい」と言い、夏布団や三浦の着物などを縫ってくれたりした。また、「綾子さん、肩をもんで上げますよ。こっているでしょう」と、私の肩や背を実に上手にもんでくれるのである。
「弱いお嫁さんは困るねえ」などとは、決して言わなかった。私が母への茶菓の用意を始めると、「あんまり気を使わないで、疲れないようにするといいわよ」と、私の体を案じてくれるのだった。その時私は、たしか肩をもまれていたと思う。母があまり大切にしてくれるので、
『おかあさん、こんなに大事にしてくださってありがとう』と私が言うと、母はびっくりしたように私の顔を見て、そして言った。
『綾子さん、弱い人が大事にされるのは当然ですよ』すまながる必要はないと母は言うのであった。そして続けて言った。「うちの孫たちにもね、弱い人たちを大事にしなさい、弱い人たちのために祈りなさいって、いつも言っているのですよ。だから孫たちも、あなたたち二人のことは毎日祈っているのですよ」
母としては、弱い人たちを大事にすることは当然のことであって、格別礼を言われるべきことではない、と思っていたらしい。それで私の礼の言葉を驚いたらしいのである。
新約聖書ローマ人への手紙第15章1節に、次のような、みことばがある。
〈わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない〉
信仰篤い母は、この言葉を血肉にして生きていたのかも知れない。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
今日も私たちの創造主なる、生きておられるまことの神様のご栄光が世界中で誉め称えられますように。
今日も日本で世界中で、小さないのちが守られますように!
ひとりとして、一匹として苦しい思いをすることがありませんように。
みなさま、すてきな時をお過ごしください。