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標記のことについて、聖書からイエス・キリストのことば。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書第14章6節)
これは、主イエス・キリストが弟子のトマスに言われたことばです。ですが、同時に私たちに言われたことばでもあるのです。
キリストが言われたことばの意味を考えてみました。仮に私が田中という人物だとしましょう。すると「田中が道であり、田中が真理であり、田中がいのちです・・・」と言ったことになります。
私を知る人は、田中さんどうしたの?頭おかしくなったの!と周囲の人から思われてしまいます。
しかし、イエス・キリストはそのようなことを言われました。またキリストは「わたしと父(神)とは1つです」とも言われました。すなわち、聖書の預言どおりに、十字架の上で死んでよみがえられたイエス・キリストは、ご自身を万物の創造主であられる『神』であると仰せられたのです。
永遠から永遠に存在され、地球と全宇宙の秩序を保っておられる万物の創造主であられる神が、今から約2千年前、なんと人の姿を取られ、人類の歴史に介入されたのです。時間も神が作られました。時間の制限を全く受けない神にとっては、2千年前も現代も同じこと。キリストの十字架の救いは今も全人類に対して有効なのです。キリストを真に信じる者は神の恵みによってだれでも救われます。人知を超えた神の驚くべき御計画です。
私はキリストを信じた時に、この大切な救いを世話になった親に伝えました。家の宗教は浄土真宗でした。最初は私の信仰に反対していましたが、父親も母親もキリスト信じて救われました。身近な人物で私にとっていちばん大切な人は、私にとっての恩人、私を産んで育ててくれた親でした。
私は公務員をしながら夜間大学に行きました。そこで福音を伝えた友だちも救われました。夜間大学のクラスメートはなぜか新興宗教の信者でいっぱいでしたが、私は彼らに大胆にキリストの十字架の福音を伝えました。キリストは彼らのためにも十字架にかかって死んで復活されたのです。
ひとことで言うならば、「十字架に命を捨てられるほど、私たちは神から愛されているのです」
このイエス・キリストの愛を知り、心に受け入れた者は、だれでも救われるのです。
人類の救い主イエス・キリストは言われました。
「だれでも疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。あなたがたを休ませてあげます」(マタイの福音書第11章28節)
今、多くの人々が、だれによっていのちを与えられ自分が生かされているのか、どこに向かって自分は生きてよいのか、真理を知らず、暗中模索の中生きています。私たちは学校で、人間は猿のような動物から進化して今の人間になったと教えられました。本当でしょうか?人間は、たましいと霊と肉体の3つで形成されています。動物はたましいと肉体で形成されています。霊は神様と交わるためのもので人間にしか与えられていません。
人間は死んでも霊とたましいは存在し続けます。人間のたましいと霊は、死んでも消えることなく、肉体が死ぬと神様の審判を受けることになり、永遠を天国か地獄で過ごすことになります。動物たちのたましいは肉体が死ぬと消えてしまいます。ですから、家畜を殺して人間はその肉を食べることができるのです。
もし人間が動物と同じ生き物であるなら、肉体とともにたましいも消えてしまうのですから、今を動物と同じように本能だけで生きてよいことになります。しかし、動物たちは悪意のある感情や悪い考えをもったりしませんが、人間は、法律に違反する殺人や窃盗(私は個人的に、国会議員などの政治家による裏金作りの問題は、脱税要素も含み、この窃盗罪にあたると思っています)などの犯罪は犯していなくても、私たちの心の中には、「あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、妬み(ねたみ)、殺意、争い、欺き(あざむき)、悪巧み(わるだくみ)にまみれています。また、陰口(かげぐち)を言い、人を中傷し、神を憎み、人を侮り(あなどり)、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み(たくらみ)、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、わきまえのない者、約束をやぶる者、情け知らずな者、無慈悲な者」これらの暗闇がすべて神の律法に背く罪なのです。(ローマ書第1章29~31節)これらの罪のために、人間は死後に聖なる、聖なる、聖なる神によって審判が下るのです。あなたは、天国ですか?地獄ですか?
このローマ書を読んで「私は罪を犯したことがありません。私は罪人ではありません。」と言える人間は一人もいないのではないでしょうか。
この地上で、「わたしは罪を犯したことがありません」と言える人間は、聖なる神が人となられたイエス・キリストのほかにいません。聖書に「義人はいない、一人もいない」(ローマ書第3章10節)と書いてあるとおり、どのように立派な人間でも必ず罪を犯しています。私たちの心の中も全知全能の神はすべてをご存知です。神の御前ではすべてが裸です。ごまかしは効きません。
私たちは神の御前に、自分自身の努力では改善の余地のない罪人であることを認めなければなりません。私たちの性質はどんなに努力しても神の聖なる合格ラインには達し得ないのです。私たちの持って生まれた罪の性質が必ず表に出てきます。
しかし、私たちにできないことを、神様はしてくださいました。神の大切な御子を十字架に付け、私たち罪人の身代わりとしてくださいました。
聖書が宣言しているとおり、罪から来る報酬は死です。すなわち、人間が死ぬのは罪を犯したからです。しかし、イエス・キリストは、この死の力をも打ち破り、よみがえられました。つまり、死もキリストの前では何の力もないのです。
私たちは、神様の御前に自分自身の罪を認め、この人類の救い主イエス・キリストが用意された「十字架の福音」を心から信じる時、神様から、過去、現在、未来の全ての罪を赦され、救われた者だけが得られる心の平安と喜びをいただくことが出来るのです。だれにでも出来るのです。
みなさま、日曜日には、ぜひお近くの十字架の福音を語っているキリスト教会へお越しください。
日本で、世界中で、今日も小さないのちが守られますように!
ひとりとして、一匹として、苦しい思いをすることがありませんように。
世界の迫害下にあるクリスチャンが守られ、彼らによって主のご栄光が現されるように
世界で自由と人権を奪われ、滅ぼされようとしている人たちが守られるように。
今日も一人でも多くの方がキリストを信じて救われますように。主の御名とご栄光が誉め称えられますように。
ご覧いただき、ありがとうございました!
みなさま、すてきな1日をお過ごしください。