☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆ -38ページ目

☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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みなさま、暑中お見舞い申し上げます!

みなさま方には、お変わりなく元気でお過ごしでしょうか。私はおかげさまで、いつも空元気ですが元気です。


標記のことについて、聖書からメッセージをお伝えさせていただきます。


「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、」(ローマ人への手紙第1章1節)


パウロは自分をキリスト・イエスの奴隷(しもべ)と呼んでいます。律法も人を奴隷にします。しかし、その奴隷は強制的にならせられたもので、喜びのない、苦しいだけの奴隷です。パウロはキリストの愛のゆえに、キリストの愛に攻め立てられて愛の虜(とりこ)にされ、自発的に奴隷となったのです。そのパウロの姿を見たある人は、彼は気が狂ってしまったとさえ思いました。


それに対してパウロは次のように言いました。

「もし私たちの気が狂ってしまっているならば、神のためにです。もし気が確かであるならば、あなたがたのためにです。なぜならば、キリストの愛が私たちを攻め立てているからです。私たちは、実にこのように判断しています。

ひとりの人が全ての者のために死なれたのですから、全ての者が死んだと、そして、その方が全ての者のために死なれたのは、生きている者たちが、もはや自分たちのためにではなく、自分たちのために死なれ、またよみがえられた御方のために生きるためであると。」(コリント人への手紙第二5章13~15節)



パウロは神の愛があまりにも大きすぎるので、私を狂気に見えるほどにしてしまっていると語りました。

この世の人々は、神の主権や義を無視して、人間中心に物事を考えています。しかし、もし無神論者の言うように神が実在されないならば、人間はただ単なる偶然に存在を始めた、存在の理由のない、目的もない、ただ短い地上の時間を自分の欲望を満足させるために生きている。肉欲の塊(かたまり)にすぎなくなります。このような人間に生き甲斐(いきがい)とか希望などは全くないのです。


ところが、神の御子、主イエス・キリストが私たちのために十字架の上でご自身を捨ててくださいました。そして、死を打ち破り、復活されたのです。「これを知った者が、どうして気が狂わんばかりに喜ばずにおれようか。正気でいられるはずがない。もし、キリストを信じていると自認している者が、キリストを愛さずに、世を愛しているならば、そのほうが狂気沙汰なのだ」とパウロは言いました。


ご覧いただき、ありがとうございました。


今日も明日も、日本で世界中で、小さないのちが守られますように!

ひとりとして、一匹として、苦しい思いをすることがありませんように。