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☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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最近はセミの鳴き声が少なくなり、朝晩にはコオロギの鳴き声が聞こえるようになりました。少しずつ秋の気配がいたします。みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?おかげさまで、私は空元気ですが元気です。


標記のことについて、


日本は世界で唯一、原子爆弾の被害にあった国です。本当に多くの方が戦争の犠牲となられ亡くなられました。原爆は明らかに人体実験が目的の罪深いものでした。核爆弾投下は決して許されるべきものではありません。

原爆で被爆された患者さんの治療にあたっておられた広島のお医者さまが残された言葉ですけれども、「人や動物に対して、どこまでもやさしくなれるのが人間であるならば、どこまでも残酷になるのもまた人間なのであります。」


なぜ今も世界中で核開発が止まず、世界から戦争がなくならないのでしょうか?その答えは今も私たちの自由と権利を守っている憲法の礎ともなった聖書に記されています。


憲法は聖書の教えが基礎となって作られているので、自由と権利、人権の保証などの基礎が、しっかりと国民を守るためにできています。憲法は国民一人ひとりを国家権力や様々な権力から守るためにあり、政治家と国民が今やっている不正を止め、限りなく守るべき存在なのです。

自民党の憲法改正草案、参政党の憲法改正法案は政治家と国家権力にとってまことに都合のいい、国民から自由と権利を、基本的人権さえも奪うものです。憲法は、裏金作りや日本の戦前回帰をうたっているような政党、政治家によって、めちゃくちゃにされてはいけないのです。日本が国家ごとめちゃくちゃにされてしまいます。国民みんなで力を合わせ憲法を守りましょう。憲法は、この先時代に合わせた改正も必要になってくるかもしれません。しかし憲法は国民を守るためにあり、政治家にとって都合のいい利権などに利用されてはならないのです。改正には、道徳的にも極めて優れた人格者たちによって非常に慎重な議論が必要です。



聖書から

ローマ人への手紙第3章10~18節です。

ここに、人類から、この地上から核爆弾と戦争が永久になくならない理由が記されています。



それは、次のように書いてあるとおりです。

「義人はいない。ひとりもいない。

悟りのある人はいない。神を求める人はいない。


すべての人が迷い出て、

みな、ともに無益な者となった。

善を行なう人はいない。ひとりもいない。」


「彼らののどは、開いた墓であり、

彼らはその舌で欺(あざむ)く。」


「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」

「彼らの口は、のろいと苦(にが)さで満ちている。」


「彼らの足は血を流すのに速く、

彼らの道には破壊と悲惨がある。

また、彼らは平和の道を知らない。」


「彼らの目には、神に対する恐れがない。」



これが私たちの姿の真実な描写です。聖なる神の御目には私たちはこのように見えているのです。

神なき人の生涯の終わりには、廃墟と悲惨しかないのです。しかも、彼らの死後には、永遠の火が燃えるゲヘナの中での永遠の苦しみが待っているのです。


人類はすべてアダムの子孫です。ですから全て罪人であり、神の御怒りを受けるべき子らです。神は義をもってこの世をさばく日を決めておられるのです。(新約聖書、使徒の働き第17章31節)



ユダヤ人に律法が与えられたのは、ユダヤ人が律法に反逆する罪人であることを明らかにするためでした。またそれによって神に逆らう者であることが明らかにされたのです。


このみことばは、人間に下された神の診断書です。「彼ら」ということばの変わりにご自分の名前を入れるとあなた自身の本当の姿がわかります。

たとえば、あなたの名が佐藤としましょう。

「佐藤は迷い出てしまった。佐藤ののどは開かれた墓である。佐藤は、舌で人をだます。佐藤のくちびるの下にはまむしの毒がある。佐藤の口はのろいと苦さで満ちている。佐藤の足は血を流すために素早く動く。廃墟と悲惨が佐藤の道にある。佐藤は平和の道を知らない。佐藤の目の前には神への恐れがない。」だれの名前を入れても同じです。ここに名前の当てはまらない人物は、すなわち、この地上で唯一罪を犯されなかった御方は、聖なる神が人の姿をとって来られた主イエス・キリストだけです。


世の中には、「私は悟った」とおっしゃる人々がいます。しかし、その人々は何を基準にして自分が悟ったと判断されているのでしょうか。自分の考え、あるいはだれか他人の考えを基準にされているにすぎません。人間が持っている基本的哲学は無神論と、それに基づく唯物論や不可知論か、あるいは有神論の2種類しかないのです。もし人が無神論を受け入れるならば、万物に存在の理由がないとしなければなりません。そうならば、哲学にも存在の理由がなくなり、「なぜか」と考えることさえ無意味になるのです。しかし、もし神の存在を認めるならば、その神は宇宙の創造主でなければなりません。そしてその神はあまりにも偉大であられるので、人間の知能では到底(とうてい)理解し得ない方です。それで、もし人間が神を知りたいならば、神からの御自身についての啓示を受け入れる以外に方法はないのです。そして、その啓示の書こそ聖書であり、人となられた御子なる神イエス・キリストこそ神の完全なる啓示であられるのです。



不信者の特徴は、神への恐れがないことです。母親が幼児を叱るとき、「神様はだませません。神様はすべてを知っておられます。神様は見ておられます。」と言うことがありますが、幼児にはたいへん有効です。しかし、大人(おとな)には無効です。大人の良心は鈍く(にぶく)なっており、神への恐れがなくなっているからです。真の信仰者の特徴は、心に神への恐れを持っていることです。神なき人の生涯の終わりにあるものは、永遠の地獄のみです。イエス・キリストはあなたの罪を背負ってあなたの身代わりに罪のさばきを受けて下さったあなたの救い主です。キリストは十字架の上で死なれましたが、死の力を打ち破り3日目によみがえられました。死もキリストの前では無力なのです。もしあなたがご自分の罪を神様の前に認め、キリストの十字架の救いを信じ、受け入れるならば、あなたの罪はキリストの十字架の贖い(あがない)のゆえに赦され、永遠の天国へ行くことが出来るのです。絶望から希望へとあなたの人生は変えられるのです。



あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ創造主(神様)の栄光を現わすためにしなさい。(新約聖書コリント人への手紙第一10章31節)


今こそ価値ある決断を!

人生は聖書に書いてあるとおり、1度しかありません。過ぎ去ったものは取り戻せません。

ですから、残りの人生は勇気をもって価値ある決断を!あなたも創造主に喜ばれる人生を目指して新しい生き方をさがしてみませんか!


日曜日には、お近くの教会へお越しください。



ご覧いただき、ありがとうございました!



今日も日本で、世界中で小さないのちが守られますように!


今日もひとりとして、一匹として苦しい思いをすることがありませんように。