みなさま、たくさんのフォロー、いいね!、コメント及びメッセージをありがとうございます!
みなさま残暑お見舞い申し上げます。
お変わりなくお過ごしでしょうか?
おかげさまで私は空元気ですが元気です。
標記のことについて、
みなさまは海外旅行へ行かれたことがあると思います。海外旅行へ行くためには、パスポートが必要ですね。天国へ行くためにもパスポートが必要なのをご存知でしょうか?
クリスチャンはよく「救われる」という表現をします。人は何から救われるのでしょうか。それは、「神の永遠の刑罰」からの救いを意味します。神の永遠の刑罰から救われたらどうなるのかというと、永遠のいのちを持つことができます。
つまり、天国へ行けるということです。ですから「救われる」というのは、「死んでも天国へ行ける」と同義語と言えるでしょう。
では、どういう人が救われるのでしょうか?だれが天国へ行けるのでしょうか。一般的にこの質問をすると「良い人が天国へ行ける」というような答えが返ってきます。良い人。あいまいな言葉です。良い人の基準はなんでしょう。あなたは良い人ですか?あなたは死んだら間違いなく天国へ行けますか。「そんなこと死んでみないとわからない」なんて悲しいことは言わないでください。天国へ行けるかどうかわからないまま生きて行くことはつらいことだと思いませんか?「私はたとえ今死んでも天国へ行けるのだ!」という確信をみなさまにぜひ、持っていただきたいと思います。
そのためには、いくつかのことを知らなければなりません。お金はかかりません。
①まず最初に、私たちが、そのままでは天国に入れない罪人であることを知らなければなりません。「義人はいない。一人もいない」(新約聖書ローマ人への手紙第3章10節)
義人というのは、「正しい人」という意味です。
すなわち、罪のない人はいない。一人もいない。どのように立派に見える人にも人間には必ず罪がある。だからすべての人は必ず救われる必要があるということです。
なぜ、「救い」について説明をするとき、最初にこれほどまでに徹底的に「罪」について語るのでしょうか。それは、人は自分が罪人であるということを認めなければ、「私は救われる必要がある」ということを考えないからです。そして、救いを求めることすらしないまま死を迎えることになるからです。ですから、まず自分に罪があることを認めること。このままだと死んだら地獄に行ってしまう、非常にまずいことになってしまうということに気が付くこと。じゃあ「私はどうすれば救われるのだろうか」と考えること。自分のこととして問題意識を持つことが重要なのです。
聖書はこの「罪」というものを、多くの箇所で「借金」という言葉で表現しています。たとえばよく知られる「主の祈り」ですが、
『私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します』(マタイの福音書第6章12節)
「負い目」というのは、負債のことです。そして負債というのは借金のことです。罪は借金のことなのですね。だれかに対して私が罪を犯したら、その人に対して借金を負っている。その借金は当然返さなければならない、償いをしなければならないのです。
そしてすべての罪は、私たちを造られた神に対するものです。私たち人間は神に対して借金を負っている。その借金は必ず返さなければならない。しかし問題は、自分がどれくらいの罪の借金を神に対して負っているのかということを、ほとんどの人が知らないということです。そして勝手に「まあ500万円くらいかな。なんとか頑張れば返せるかな」くらいに思ってしまうことです。
主イエスは、たとえ話の中で私たちの罪の大きさについて具体的に語られました。マタイの福音書の第18章23節以降に書かれているたとえ話です。ある王様がしもべたちにお金を貸していました。そしてその返済期限が来た時に「さあ返しなさい。清算をしよう」というお話です。
清算が始まると、まず一万タラントの負債のある者が王のところに連れて来られた(マタイの福音書第18章24節)
さぁ借金の額が具体的に出て来ました。1万タラントです。タラントがどのくらいの金額かわかないですよね。このギリシヤ語のタラントという言葉は、今日の英語の「タレント」の語源になっています。ものすごく大きな金額なのです。1タラントは6千デナリもあるのです。1デナリは普通の労働者が1日一所懸命に働いて得られる賃金の額です。計算しやすくするために、1デナリ=1万円と換算しましょう。すると6千デナリは6千万円です。すごい金額ですね。でもさっきの借金の金額はいくらでしたか?1万タラントですよね。
ですから6,000億円です。みなさんに返せますか?これがイエス・キリストがたとえ話の中で語られた神に対する私たちの罪の借金の額です。
毎日一生懸命に善行を積むことによって、毎日1万円ずつ返して行くと16万年以上かかります。
つまり、これは6,000億円という数字よりも、私たちがどんなに頑張っても自分の善行によっては罪の借金を返済できないという、たとえ話であることがわかります。私たちの神に対する罪の借金は、返済不可能だということです。ではどうすればいいのでしょうか?どのようにすれば、このような状態から罪の借金を返済することができるのでしょうか。つまり、私たちはどうすれば救われることができるのでしょうか?
②私たちが罪の借金から解き放たれる方法。それはキリストの十字架と復活を信じる信仰です。
「自分の犯した罪よりも、もっと多くの善行を積めば私の罪は赦される」というのが、一般的に考えられる救いだと思います。しかし、そうするためには自分の罪がどれくらいであるかを知らなければなりません。聖書は、この罪を借金で説明しているとお伝えしました。そして私たちの借金は返済不可能な額であることを主イエスのたとえ話から知りました。では「だれも救われないのか。だれ一人天国へ行くことはできないのか」という疑問が起こりますね。あのたとえ話の続きにその答えが記されています。当然そのしもべは返済できなかったのですが、主人はそのしもべに対してどのような態度を取ったでしょうか。
家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった(マタイの福音書第18章27節)
さらっととんでもないことが書かれています。この王様は6,000億円という借金を免除してやったというのです。そんなに簡単に免除していいのかという気持ちになりますね。「神様、そんなに簡単に私たちの罪を赦しちゃっていいのですか?あなたはそんなにいい加減な方なのですか」と思ってしまうかも知れません。いいえ、赦しとはそんなに簡単に、その時の王様の気分で与えられるものでは決してありません。赦しを得るためには、それだけの代価が必要なのです。
罪の借金の肩代わりできるお方は、罪を全くお持ちでない、私たちの罪を代わりに返済できる資格を持った方でなければなりません。聖なる神は、ご自分の罪の借金を全く負っていない聖なる神の御子イエス・キリストをこの地上に送って下さったのです。
キリストが私たちの代わりに払って下さった借金はいくらでしょうか?1人につき6,000億円です。いくら払ったら完全に返済できるのですか?イエス・キリストは私たち一人一人の罪の借金を返済して下さるために、十字架の上でご自分のいのちを捨ててよみがえって下さったのです。
主イエス・キリスト様は、ご自分のいのちという代価をもって、私たちには返しきれない罪の借金を返済してくださったのです。
イエス・キリストは十字架にかかる前から「わたしは殺されるけれども3日目によみがえる」と弟子たちに語っておられました。そして、もし復活されなかったならば「あぁ口先だけの人だったか。優しい人だったけれど我々を救う力はなかったのね」で終わってしまうところでした。しかしキリストは約束どおり3日目に復活されることによって、イエス・キリストには死を打ち破る力があることが明らかになり、キリストの十字架の死は確かに私たちの罪の借金返済をもたらす力があることを証明されたのです。
イエス・キリストはあなたの罪の借金を返済するために十字架の上でいのちを捨ててくださいました。その瞬間に全人類はみな罪を赦されて救われたのでしょうか?そうではありません。イエス・キリストは父なる神様の御心と聖書の預言にしたがいご自分のなすべきことを全部してくださいました。私たちの救いのお膳立ては整いました。そして今度は私たちの番です。イエス・キリストは私たちに対して「あなたの罪の借金は返済したよ。これが返済証明書です。さぁ受け取ってサインしなさい」と差し出しておられるのです。それに対して「いや、自分の罪ぐらい自分で責任を持ちます!」と拒絶するか「本当ですか!ありがとうございます!いただきます。サインします。」というか、そこに私たちの反応の分かれ道があります。その返済証明書を受け取ってサインするとは具体的にどういうことなのでしょうか?それは、最も大切な「信じること」です。キリストは私の罪のために十字架で死んで復活してくださった。あれは私のためだったと信じて、受け入れることです。それによって私たちの罪は赦される。
聖書が語る「救い」とはキリストを信じるという「信仰による救い」なのです。
私たちの世の中には信じてはいけないものもあるのは事実です。しかし、私たちは何を信じれば良いのか。私たちを愛し、私たちの罪のために身代わりとなってご自分のいのちを捨てて死んでくださった神の御子イエス・キリストは、私たちが十分に信じるに値する御方であると私は確信しております。
ご覧いただき、ありがとうございました!
日曜日には、ぜひお近くの教会へお越しください。あなたもキリストの救いを信じて、たとえ死んでも天国へ行ける者となってください。
今日も日本で、世界中で小さないのちが守られますように!
今日もひとりとして、一匹として苦しい思いをすることがありませんように。