今日も新しい朝新しいいのちをくださった父なる神様の憐れみと恵みに感謝します。
御子イエス様の十字架の贖いのみわざ、3日目の復活のご栄光を誉め称え感謝します。
みなさま、たくさんのフォロー、いいね!、コメント及びメッセージをありがとうございます!
今も地震や大雪など災害で苦しい立場に置かれている人々が、速やかに平穏な日常を取り戻すことができますように。
標記のことについて、聖書からメッセージをさせて頂きます。
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって祝福してくださいました。」(新約聖書エペソ人への手紙第1章3節)
私たちの主イエス・キリストの神であり、かつ父であられる御方こそ誉め称えられるべきです。
神は私たちをキリストによって(キリストにあって)、天にあるあらゆる霊的祝福をもって祝福して下さいました。
人となられた主イエスが、この地上において第一に求められたことは、ご自分を世に遣わされた御父の栄光が表わされることであり、それゆえに人としての主イエスは、御父をご自分の神として常に崇められたのです。私たちも神に栄光が帰せられることを第一に求めるべきであることは当然です。
私たちは、アダムにあっては、のろいとさばきの下にありました。アダムの中にある者には、死と永遠の火の刑罰しかありません。カインのように人間は自分の力によって、何とかしてアダムの中に祝福を造り出そうと努力してきました。その結果はノアの大洪水であり、バベルの塔の崩壊であり、最後がハルマゲドンでの偽キリストによる、神に対する大反逆です。そして偽キリストとその偽預言者は、真のキリストの怒りに満ちた御口からの一息によって、一瞬のうちに吹き飛ばされ、永遠の火の池の中に叩き込まれ、偽キリストによって世界中から集められた軍隊は、焼き殺されます。そのようにして、神に対する人類の空しい反逆は終わります。これが、神なき世界の文化、文明の、そして神なき人間の、あらゆる努力の終局です。
しかし、神はご自分の御子を処女を通して人間とならせ、この御方に十字架の上で罪のための完全な贖いを成就させ、その後にこの御方を死者の中からよみがえらせて、さらにこの御方を天高く引き上げ、天の栄光の御座に着座させて、最後のアダム、第二の人(コリント人への手紙第一、15章45、47)とならせてくださったのです。
神はこのキリストによって、キリストにある者を祝福することを天地創造の以前から決定しておられたのです。
神の祝福は、キリストによる以外にはありえず、また神の祝福は、キリストの中にのみあるのです。神は、キリストによって、キリストにある者のみを、祝福することがおできになるのです。
さて、その祝福の量はいかほどでしょうか。それは「あらゆる」であるのです。人類はアダムの罪によって全てを失いました。しかし、神は御子によって「あらゆる」祝福を与えてくださったのです。その「あらゆる祝福」の「あらゆる」とは何を意味しているのか。その祝福の質は、天にある霊的祝福、すなわち永遠の祝福のことです。
クリスチャンは、この世においては「旅人であり寄留者」(ペテロ第一の手紙2、11)です。クリスチャンの永遠の住まいは天にあります。私たちは、天にあるあらゆる霊的祝福をもって祝されてしまっているのです。
この地上を旅人として歩んでいる私たちにとって、このことをしっかりと意識していることは非常に大切であるのです。この意識が薄れて来ると、私たちは世的になり、この地上の物を求めるようになってしまうのです。
では、私たちが神に祝福を求めることは間違いなのでしょうか。いいえ、そうではありません。神は私たちの祈りに答え、祝福をお与えになります。しかし、神は、決して私たちがこの世の生活を最も価値あるもののように思うことをお許しになりません。神が私たちに求めておられることは、一時的で、すぐ消えてしまうこの世の富、健康、楽しみ、生活よりも、天にある朽ちない永遠の富、誉れを求めることです。そのために私たちは常に、自分がキリストにあって、霊的永遠の祝福の全てをもって、祝福されてしまっていることを覚えていなければならないのです。
今日も日本で世界中で小さないのちが守られますように!
ひとりとして、一匹として苦しい思いをすることがありませんように。
クリスマス、私たちの神であり救い主である御子イエス・キリスト様を世に遣わして下さった父なる神様に栄光が世々限りなくありますように!
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。