新しい朝新しいいのちをくださった父なる神様の深い憐れみと恵みに感謝します。
父なる神様のご計画に従って、私たちの罪を贖うために、私たちの罪のさばきの身代わりとなって、十字架にかかり、墓に葬られた後3日目に、サタンの支配するところの死の力を完全に打ち破り、よみがえってくださったいのちの主、神の御子イエス様の神としてのご栄光を心から誉め称え感謝します。
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聖書からメッセージをお伝えさせて頂きます。
今日はサマリヤの女、夫が5人いても心が満たされていなかった女性のお話です。
ヨハネの福音書4章14節から18節まで。
ほんとうは、1節から記載するのが好ましいのですが、長くなりますので割愛させて頂きます。
14~18節、真昼スカルという町の井戸にて、通りすがりのイエス様と水を汲みに来たサマリヤの女との会話。
イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。』
女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまで汲みに来なくてもよいように、その水を私にください。」
イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。
女は答えて言った。「私には夫はありません。」
イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が5人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」
宇宙の創造主が、人となられて地球の上を歩かれたのには驚かされます。さらに主イエス様は、哀れな女に救いの恵みを与えようとされる御父のご意志に従って、サマリヤの婦人ひとりに会うために、わざわざスカルという小さな町まで行かれたのですから一層驚きです。
時はちょうど真昼ごろでした。それは女たちが水を汲みに来ない時刻でした。しかし、主は、ひとりの女性が人目を避けて、水を汲みに来ることを知っておられました。
人類の祖先アダムが罪を犯したために、人類と神との交わりは完全に断絶してしまっています。
もし神の側から交わりの回復を求めて下さらなければ、人間の側から交わりの回復を求めることは不可能です。それは、神と人間とを隔てている「罪」という障壁が、余りに高く、また、余りに厚く、人間には到底乗り越えることができないからです。
神は義であり、聖なる方です。罪ある人間が神に近づくことは不可能です。
たとえ、このサマリヤの婦人が主イエスに会いたいと願っても、主イエスに会うためにユダヤに来ることは不可能でした。
しかし、何と驚くべきでしょうか。主イエスのほうから水を求められたのです。(同7節)この女性は驚きました。全知全能の神が人となられたとき、主イエスは、人間として同じ肉体を持つ者として「疲れ」られたのです。
主イエスのほうから水を求められた。それは私たちの驚きでもあります。神が人となられて、人間に水を求められたのです。神のほうから人に救いを与えることを求めておられるのです。
神は、永遠のいのちを与える、生ける水を人に与えようとしておられるのですが、人の側も神にそれを求めなければならないのです。
「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」
主イエスは、この女性の問題の核心に触れるために、彼女が最も恥としていて、同じ町の人にとっては周知のことであっても、他人には隠しておきたい問題を表に出さなければならなかったのです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
日本で世界中で、今日も小さないのちが守られますように!