①大切なことがある~
それは~受験じゃない~
大切なものがある~
それは~学歴じゃない~
*それ~は神さまを信じること~
それ~はみことばを信じること~
ぼくは~それだけでいい~
それ~だけで~いい~
②大切なことがある~
それは~名誉じゃない~
大切なものがある~
それは~お金じゃない~
*くりかえし
作詞作曲、齋藤兄
キリストのことば
「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです」(イエス・キリスト)
私たちに与えられた人生は個々それぞれに違います。しかし、この地上でどんなに苦しくても、失敗してもクリスチャンには死後に天国に入れるというすばらしい希望があります。天国は怠惰な場所ではありません。
クリスチャンは天国において復活されたキリストと同じ朽ちることのない完全な体を与えられ、霊的にも完全なものとなるのです。
人間には「イエス・キリストの十字架の救い」の他に、罪の裁き(地獄)からの救いは与えられていない(聖書の宣言)のです。
私たちが自分の人生においてキリストの福音に出会えるチャンスもそれほど多くはないです。あなたにとって今がその数少ない機会かもしれないです。
人は死ぬまでにイエス・キリストさまの救いを信じないと必ず後悔することになります。
たとえ現在は健康的に経済的に恵まれて豊かな生活をおくっていてもそれは永遠には続かないです。もし、キリストの救いを信じて受け入れないまま死んだならば、地獄で永遠に苦しむ未来がその人を待っています。
「・・・私はこの炎の中で苦しくてたまりません」(ルカの福音書16章24節)
神さまの救いを信じなかった金持ちの叫びです。地獄ではもはや死ぬことはないのです。
地獄では安らぎなど一切ないのです。
地獄から抜け出せる人間はいないのです。
人の犯した罪の裁きがどれだけ苦しくて恐ろしいものか、それは全人類の罪を一身に背負われた罪の全くない神の御子キリストの十字架の苦しみに現されています。
救い主キリストの十字架の死と三日目のよみがえりは、信じる者たちにだけ救いを与えます。
キリストの十字架の目的は、まず第一に神の栄光のため。第二に、主イエスの御父への全き愛を表現するため。第三に、私たち罪人のために死ぬことによって、神の愛を現すため。第四に、私たちを罪のさばきから救うため。第五に、私たちをアダムから解放し、キリストご自身という新しい立場に立たせるため。であるのです。
神さまの愛は、特定の人にだけ向けられているものではなく、遍く(あまねく)人に向けられています。人は、イエス・キリストを自分の救い主と信じて受け入れるならば、人は死んでも天国に入れる者となります。
お一人でも多くの方がキリストを信じて救われますように!
来週も日本中で、世界中で、小さないのちが守られますように!
拙いブログですが、ご覧いただきありがとうございました。
日曜日にはぜひ、お近くのキリスト教会へ!