新しい一日新しいいのちをくださった、真の神さまの憐れみと恵みに感謝します。
聖書から
「それから、イエスは群衆を弟子たちといっに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコの福音書8章34~35節)
自己責任論社会とは、困窮に陥ったその原因も、またそこから脱することも、すべては本人次第、本人の責任であるという考え方である。
自己責任が徹底されるとき、その結末にあるのは社会の崩壊であるのに、現在の社会は、この自己責任論がまかり通っている。
私たちは、食べるとき、住むとき、働くとき、あらゆる場面で他人の存在を必要としている。
最終的に自己責任論が徹底されると、他人の存在は否定され、同時に社会は崩壊する。
私たちが、だれかのために、だれかと共に生きようとするとき、自分だけということを捨て、「自分だけで生きる」ということを否定しなければならない。
私たちが、だれかのために生きようとするとき、私たちの負うべき十字架は増え、重荷は増す。
イエスさまは、私のために生まれ、私の十字架を負ってくださった方。イエス・キリストの十字架は、イエスさまご自身の罪のさばきの十字架ではなかった。イエス・キリストの十字架は、イエスさまにとって他人の罪、すなわち私の罪のためのものであった。
神の御子イエスさまは、十字架で死なれただけでなく、三日目に、死の力を打ち破り、よみがえってくださった、人間を罪のさばきから救うことのできる、今も永遠に生きておられる、私たちが信じ、信頼すべき、唯一の真の神さまでいらっしゃいます。
この御方に信頼するとき、私たちは失望させられることがありません。
全知全能であられ、聖であられ、義であられ、愛であられる、宇宙を創造された、永遠に生きたもう唯一の神さまに、父なる神さまと御子なるイエスさまだけに永遠から永遠に栄光あれ!
今日も小さないのちが守られますように!
ご覧いただき、ありがとうございました。
年末、みなさま、すてきなお時間を!