5月もありがとうございました | ☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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マルコの福音書10章17~22節より


イエスが道に出て行かれると、1人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。「良い先生、永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたら良いでしょうか。」イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。戒めはあなたも知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。』」その人はイエスに言った。「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。


この人が言った「受け継ぐ」は、決定的に受け継ぐことを意味しました。この人は確かにまじめな人であったようです。しかし、自分に永遠のいのちが与えられていないと感じていました。それは、彼が永遠のいのちを得るために必要な何かをしていないことに気が付いていたからです。しかし、その何かが分からなかったのです。

もしこの人が、主イエスが、神が人となられたお方であられると知っていたならば、主イエスに向かって「良い人」と呼ぶことは正しいことです。神お一人以外に良い方はおられないからです。しかし、この人は明らかに主イエスをまだ神として認めていませんでした。

この人は「守って来た」と言いました。それは、彼の過去のある時期に彼がこの律法を自分のために守ることを自ら決断したことを、そしてその方針を決して曲げなかったことを意味しています。しかし、彼が律法をそのような意味で守ってきたと断言できたのは、彼が一度も神の御前に出て、神の御臨在の聖なる光で自分自身を照らして、罪に汚れた自分の姿を見たことがないことを意味していました。聖書は、「律法の行いによっては、神の前に義と認められる者が一人もいないからです。人は、律法によっては、罪についての十分な知識が与えられるのみです」(ローマ書3、20)と語っています。

この人は、主イエスが神であられることを認めておらず、良心もまだ明瞭に目覚めさせられていませんでした。このような人に必要なことは、主イエスが神であられることをまず知ることです。主イエスは間接的な方法で御自分の神性を彼に語られました。「あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」これは神しか発することが許されない命令です。この人は、この命令を聞いた時、主イエスが御自分の神性を主張しておられると気が付くべきでした。さらにこの主イエスの命令は、彼の永遠のいのちを得たいという願いが真剣でないことを暴露しました。もし彼のその願いが真剣なものであったならば、そしてこの命令を発せられた主イエスが神であられることを彼が知っていたならば、彼は喜んで自分の財産を放棄したことでしょう。


神を知らない者は、永遠の価値についても無知です。全財産を持ったままゲヘナ(地獄)に行くか、全財産を放棄して永遠のいのちに入るか、どちらに価値があるかは、永遠を知っている者には容易に判断できることです。真実な信仰は永遠に目を向けています。


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