ダビデとゴリヤテの戦い① | ☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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「ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。」(サムエル記第一第17章1、2節)


ベツレヘム近辺を源流として地中海に流れるエラ川の流域の渓谷をエラの谷と呼んでいました。地中海沿岸地帯を居住地域としているペリシテ人の軍がパレスチナの中央山脈に向かって川を遡って東進し、その川の中ほどの山の上に陣を敷いて、それを阻止しようとしているイスラエル軍と対峙したのです。イスラエル軍はその川の対岸の山の上に陣を敷いて戦いの備えをしました。


その時、ペリシテ軍から1人の巨人が谷に降りて来て、イスラエル軍に一騎討ちを挑んで来ました。その男の名はゴリヤテと言い、背の高さは、約286センチで、着ている鎧の重さは57キロ、手に持っているやりの穂先の重さも約7キロでした。このような大男に立ち向かうことができる男はイスラエル軍の中にいませんでした。ペリシテ対イスラエルの戦いの勝負が、ゴリヤテとイスラエルの戦士2人の勝負によって決定されてしまうのです。イスラエル軍にとって、この上もなく恐ろしい危機でした。ゴリヤテが前に出て来てイスラエル軍に向かって罵り(ののしり)の言葉を発し、挑発することは、毎日の行事となっていました。

ゴリヤテが陣頭に姿を現し、震えおののくイスラエル軍を嘲笑し、罵りの言葉を吐いている時、ダビデはタイミング良く、陣中見舞いにイスラエル軍の陣にやって来ました。実に神のお取り計らいによります。そのゴリヤテの言葉を聞いたダビデは、震えるどころか、「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」と言って、ゴリヤテに対して立腹したのです。これはダビデが傲慢(ごうまん)であるからではなく、彼の神への信仰から出たことであるのです。

このことは、信仰の小さな彼の兄エリアブが言ったように、ダビデの自惚れと悪い心が言わせたものではありでした。しばしば、小心が謙遜と間違えられ、自己顕示欲も信仰による大胆さと間違えられます。またその逆もあるのです。これらの二者の違いは、一方が自分に誉れを帰するのに反して、他方が神に栄光を帰することです。肉は人間を誇りますが、霊は神を誉め讃えます。


この世は、肉の力の発揮を競う戦場です。人々は、この世では、自分をより大きく、より高く見せ掛けようと努力しています。しかし、神の御業の分野においては、神の御名が誉め讃えられ、神に全ての栄光が帰せられなければなりません。このような分野で働いている牧師と呼ばれる者たちが、自分を宣伝し、吹聴している姿ほど惨めで、哀れなものは他にありません。


「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺してしまいます。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」(34~36節)というダビデの言葉からわかることは、彼が王に任命される時に備えて、神が密かに彼を訓練しておられたということです。彼は羊飼いでした。彼は、羊を守るために、いのちを賭してライオンや熊と戦うことによって、イスラエルの民のためにいのちを懸けることを学ばされたのです。同時に彼は、信仰をもって神に自分を委ね、危険から守っていただくことも学んだのです。このようにして、彼は、神の訓練を経て、この時すでにイスラエルの民のためにゴリヤテと戦う心の備えができていました。ダビデは、「このしもべが行って、あのペリシテ人と戦うましょう。」(同32節)と恐れなく、はっきりと言うことができたのです。


ご覧いただき、ありがとうございました。

少しお時間を頂戴しますが、続く②もぜひご覧ください。