私には中国からの留学生との思い出がある。
大学で仕事をしていた私は、ある日通勤の阪急バスの中で一人の女性と出会う。その日、彼女はしんどそうに吊革をつかんでいた。
私は席を譲ってあげた。
彼女との出会いはそれが始まりだった。
彼女は夫と娘さん一人を中国の大連に残して来日した留学生だった。
彼女がしんどそうにしていたのは、この時すでに重い病を患っていたからだった。
話をしているうちに彼女がクリスチャンであることがわかった。
熱心な信仰を持つ母親の思い、願い、祈りが神に届いて彼女もクリスチャンになって救われたことがわかった。
中国大陸に命懸けで来た宣教師たちによって彼女の祖先、祖父祖母は主イエス・キリストを信じる信仰を与えられ救われたのだ。
そして彼女自身も母親を通して魂の救いの恩恵を受けることができた。
彼女の性格は前向きで明るく救われていることを常に喜んでいた。
ある日のこと、裕福な日本人クリスチャンの姉妹の家庭に彼女が招待を受けることとなった。
50名以上の人が家に集まった。中国人である彼女はこの日のためにお手製の水餃子を皆にふるまってくれた。彼女によると中国では餃子は水餃子でいただくのが主流で、焼いて食べるのは古くなった餃子だそうです。
私がいただいたのは、にんにくの使われていない海老が入った美味しい餃子でした。
季節は冬でしたが彼女はいつも薄着だった。高級なダウンジャケットとかは着ていなかった。質素な暮らしぶりであったが、
いつも彼女はクリスチャンであることを心から喜んでいた。ちょうどクリスマスのころでもあったので、私は彼女と手紙の交換をした。「連絡はいつも私から」と彼女が私に不満をもらしたこともあった。
「あのとき、もっと彼女の話を聞いてあげればよかった」と思った。
私たちは「あのとき、ああすればよかった」と思うことがある。でも、「あのとき」では遅すぎる。
イエス・キリストの愛を受け入れるチャンスも、そんなに多くは訪れない。あなたにとって、今がそのときかもしれない。
私は、数年後、大学の教授から彼女が中国の病院で亡くなったことを聞いた。
真にキリストを信じた者には、天に希望をおいているという、不信者にはない特徴があります。
彼女はすでに天に召された。でもこれだけははっきり言える。やがて私たちは天国で再会する。私の両親とともに。私たちは天に永遠の家があることを知っているのです。
「私たちの国籍は天にあります・・・」(新約聖書、ピリピ3、20)
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(新約聖書、ヨハネ第一の手紙3、16)
日曜日にはお近くのキリスト教会へぜひ、行ってください。心からおすすめ致します。
ご覧いただきありがとうございました。