☆人間を死の力によって支配してきた者からの解放☆ | ☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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聖書からメッセージをさせていただきます。イエス様の十字架に関することです。


特に、死に直面していらっしゃる方々に読んでいただきたいメッセージです。


神様のみことば聖書によれば、人間はだれでも罪をもったままでこの世を去れば、地獄に落ちなければならないのです。


今日のメッセージは、新約聖書ヘブル人への手紙、第2章14、15節からです。



【その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。】(ヘブル2:14、15からの抜粋)



「その死によって」とは、主イエス様の十字架の御業のことです。


サタン(悪魔)は、アダムを罪に引き込んで以来、人間を死の力によって支配してきました。正しく言えば、サタンに人を滅ぼす力があったわけではありません。しかし神が聖であり、義であられるために、いかに人を愛されたとしても、罪人を処罰しなければなりません。サタンは、その神の聖さを逆用して、人間に罪を犯させることによって神が人間をさばかなければならないように仕向けたのです。死の棘は罪です。


しかしキリストは十字架の上で、ご自身のからだを「罪のためのいけにえ」として「神に」ささげることによって、罪に対する神の義を完全に満たしてしまわれました。キリストはご自分の死によって、サタンから、神の聖さを悪用するチャンスを奪い取ってしまわれたのです。そして、やがてキリストはサタンすなわち古い蛇を火の池に投げ込んでしまわれます。


キリストの十字架は一生涯、死の恐怖の奴隷の状態で捕らえられていた者たちを解放するためでした。すべての人は死の恐怖の奴隷です。「死ぬのは恐ろしくない。平気だ」と言う人がいます。また「現代人に地獄について語っても意味がない」と言う神学者もいます。しかし、「すべての人間を偽り者としても、神は真実な方であられる」とすべきです。(ローマ書3:4)聖書は神のみことばです。聖書に誤りはありません。すべての人は―――大学教授も、宗教家も、無神論者も、哲学者も、死は恐ろしくないと言う人もすべて―――死の恐怖の奴隷であることに変わりはありません。


では、人々にとって死の何が恐ろしいのかと言うと、肉体の活動が停止しまうことが恐ろしいのではなくて、肉体の死後のたましいのさばきが恐ろしいのです。すべての人は、―――ひとりの例外もなく―――死後に地獄があることを感じています。


「しかし、今やキリストは、死者の中から復活させられて、眠っている者たちの初穂となられました。(第一コリント15:20)地獄について語らない福音伝道者は、福音を語っているとは言えません。キリストの復活を語らないメッセージもまた、キリスト教という宗教の法話であり、キリストの福音ではありません。そのようなものに力はありません。私たちを死の恐怖から解放するのは、キリストの十字架上の御死によって完成された全き贖いと、キリストの復活によって死が全く打ち砕かれた事実だけです。



日曜日にはお近くの教会へ行ってください。心からおすすめいたします。



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2020年12月9日

ネアカ椋田☆寅吉