皆様おはようございます。
数あるブログの中から、訪問ペタ、いいね、読者登録、コメント、メッセージに感謝申し上げます。
皆様お元気ですか。私は何とか昨日まで与えられた仕事を終えることができました。気の抜けない一週間でした。
今朝は週の初めの日曜日です。主イエス・キリストが死の力を打ち破りよみがえられた朝です。
神の主権を認めなかった私たちが、地獄から救われるために、私たちの当然受けるべき罪のさばきの身代わりとなって、十字架の上で苦しまれ、尊いいのちを捨てて下さった、主イエス・キリストの深い憐れみと恵みに感謝します。墓に葬られた後、三日目に復活された御栄光をほめたたえ、今も天から私たちを見守り導いて下さる恵みに感謝申し上げます。
聖書が明らかにしている神は、ただ単に愛だけの方ではなく、罪に対して怒っておられる方です。そして聖書は明瞭に、神に逆らった者たちが火と硫黄の中で永遠の苦しみを受け、日夜休みを得ないと語っています。
世界中、何処に行っても必ず宗教があります。すべての人々は死を忌むべき事とし、死んだ者のために何かをしなければならないと考えています。彼らは、死んだ者が消えていない、悪い所に行っている、だからその者のために盛大な葬儀を行ってやるとか、死んだ者に代わっていけにえを捧げる、犠牲を払うとか何かを行うことによって、苦しんでいる死者を慰める、あるいは助けることができると考えています。このようなことは、全ての人が、人間の死後には罪の刑罰があることを知っていることを示しています。
人が安直に平安を得る方法は、罪をさばく神が存在しないと思い込むことです。それで、多くの者たちが、自分は神の存在を信じない、認めないと言っています。しかし、聖書は、すべての人間が神のご存在を知っていると語っています。知っていながらその神を神として崇めたくないので、偶像を礼拝するようになってしまったのだと語っています。
【それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。】(ローマ一、二一~二三)
ですから彼らの偶像礼拝が、彼らがまことの神を知っていることの証拠であり、真の神を礼拝することを拒んでいることの証なのです。聖書が語っているとおり、彼らには弁解の余地がありません。
しかし、地獄を説かない福音は、福音ではなく、偽りの宗教談話に過ぎません。単なる上品な宗教、信心の宣伝に過ぎません。そして、それは決して人々のたましいの真実な要求にも応えていないのです。偽りの宗教談話は、人間のたましいを永遠の地獄から救うことができません。
永遠の地獄が、もし(百歩譲って、「もし」ということばを使わせてください。)これがすべての不信者の前にある避けられない運命であるならば、そしてそれを知る者に、彼らに対する愛が少しでもあるならば、彼らに警告しない訳にはいきません。彼らにそれを警告しないことは、私たちの心の、恐ろしいほどの冷たさの表れです。
自分の子を永遠の地獄に失うことほど、親にとって悲しいことはありません。しかし、もし人が、救われていない自分の子の死を悲しんでも、救われていない他人の死を悲しまないならば、それは恥べき冷淡さと恐ろしい無関心さの表れです。
神ほど、人が火の池の中で苦しみながら永遠を過ごすことを悲しんでおられる方は他にありません。
どうかあなたも主イエス・キリストの十字架の救いを信じて永遠の地獄から救われてください。
☆キーママさんのゆめ院の尊い働きに御協力をお願いします。詳しくは私のプロフィールのキーママさんに関する文章をご覧ください。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
2018年11月18日
ネアカ椋田☆寅吉