【七里の渡跡(しちりのわたしあと)】


5/8に、本多忠勝のお墓参りの後、忠勝の銅像を見る前に訪れた「七里の渡し」。(★に説明あり)


説明に「海路で」とありますが、見えているのは川です。ちょうど長良川と揖斐川の2つの川が並行して流れており、そのすぐ先が海になるので水量も多く、風が強く波が立っていたので、確かに海のようではありました。


お城のような建物は、昔の櫓を模して建てられた管理棟で、15時までなら中に入れます。この建物を桑名城と言う人もいますが、桑名城自体は明治維新の時に焼かれてしまい、残念ながら残っていません。


七里の渡しに繋がる九華公園が、桑名城跡ということなのですが、建造物はなくても、いかに広大な城だったかが分かります。


前にも書きましたが、桑名城は水城だったので、周囲の川と、お堀の跡を利用した豊かな水に囲まれた公園は、とても気持ちの良い場所でした。お城が残っていたら、素晴らしい眺めだっただろうと想像できます。


このあたり、観光地ではありますが、外国人が全然いないのも穴場的でいい感じです。日本のこんなコアな歴史を知っている外国人は少ないでしょうね。



★七里の渡し(しちりのわたし)は東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海路で、かつての官道。この渡しの宮宿側、または、桑名宿側の渡船場のみを指して「七里の渡し」と呼ぶことも多い。


★熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡し」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。