鹿児島 知覧特攻平和会館 館内

正面玄関脇、植栽の 特攻機と、同じ大きさなのかしら?




出撃命令が下ったあとの2~3日、この半地下の三角兵舎で過ごしたそうです。
その数日間、若き心身を廻る様々な思いを押し殺し、それでもなお、心に溢れ出す「無念」をも
「自分たちの活躍で国民を守る」という揺るがぬ意思に代え、全身を奮い立たせ過ごしたことでしょう。

現在の日本の平和の礎になられたのは、特攻隊のみならず、
各地で戦い尊くも散られた兵士たち、犠牲になられた民間人によって成し遂げられたものです。
戦没者(約310万人)の方々に、深く感謝し、鎮魂をお祈りします。
特攻隊員がひとときの安らぎを求め、慕った特攻の母と呼ばれた鳥浜トメさんの富屋食堂


美味しい知覧茶をいただきました。

召集された江戸の帰りに立ち寄った京都で見た日本庭園を模し、
さらに中国、琉球の様式が取り入れられてありました。


確かに三叉路の突き当たりです。

このように、どのお宅も、生垣に特徴があります。


佐多直忠庭園(1741~1744作)

2段になった生垣は、外から見えず、中からは外が覗えるようになっているそうです。

こちらの佐多宅では、住人の方がお掃除をされているところに出くわし、
ガイドさんでは聞けない解説を丁寧にしてくださいました。
庭を見る位置、高さが重要で、お庭の様々な位置から見た解説をしてくださり
当主が座敷から見たときに一番美しく見えるように、
つまり、その高さで見れば、余分な周り(ご近所)の木や塀が見えず
さらには、遠くの山を(母が岳を、京都から見える比叡山として)借景にし、
ひとつの水墨画に見えるようにつくられたという、当主の思いや
それに応える職人の「技」を、話してくださいました。
パンフや、ただただ手入れの行き届いた庭園という上辺ではない
奥深いお話を聞かせていただき、楽しい時間でした。