ようこそ!
旧吉田邸は、平成21年3月22日に、原因不明の火事により焼失しましたが、
神奈川県、大磯町が一体となり再建しました。その室内を観覧しました。
再建した建物は、昭和20年代に木村得三郎の設計した応接間棟、及び
昭和30年代に、吉田五十八(いそや)の設計した新館棟からなります。
応接間棟は1F応接室(楓の間)と2Fの私室があります。
新館棟は、1Fのローズルームと2Fの金の間、銀の間を含みます。
吉田五十八は、玄関・玄関ホール・中庭の設計も手掛けました。
良かったら お付き合いください。
^^*
楓の間
昭和20年代に建てられた棟の一部で、応接間として利用されていた。
首相時代には、白洲次郎らをはじめ多くの政治家たちが訪れたという。
吉田茂の肖像画
吉田 茂=東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、
内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日から1947年5月24日、
および1948年10月15日から1954年12月10日まで在任しました。
優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を
盛り立て、戦後日本の礎を築きました。ふくよかな風貌と、葉巻をこよなく
愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれました。-ウィキペディアより-
書斎の北側の浴室。
舟形の湯船の作成には大磯の船大工が関わったと言われています。
書斎の窓
吉田茂の私室で、限られた身内以外は許可なく入れない部屋でした。
書斎
金の間
賓客を迎えるための応接間として利用されていました。
「金の間」という名称は、部屋の装飾に金を用いたことから来ています。
この部屋から箱根山や富士山、太平洋を一望でき、吉田茂はここから
見える富士山を大層気に入り、毎日のように眺めていたそうです。
金の間、銀の間から見える富士山
銀の間
吉田茂が寝室として寝起きをしていた部屋。
寝たまま富士山が眺められる部屋
食堂(ローズルーム)
食堂として使用されていた部屋で、アール・デコ調の室内が特徴です。
食堂から見えるサンルーム
先日紹介した庭園、室内からの風景
※ 立札、ウィキペディアを参考にしました。
◇窓と窓のある風景◇
今日もお出で頂き、ありがとうございました。
明日も、良い日でありますように。
Copyright(c) 2019~ Green Season All Rights Reserved.
☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆