毎日がどんどん過ぎて、書き途中の記事がどんどんたまっていくんだけど、毎日いろんなことが起きるから、また新しく書くことになる。
最近、クラスのママ達とカフェに行く機会が続いて、改めて今のこの環境にいれることがどれだけ貴重な経験かと思う。
子供達を連れて行っても思う。家でも英語の子もいれば、うちみたいに家では別の言語の子もいて。ヒジャブをかぶる子もいれば、タンクトップ短パンビーサンの女の子もいて。
お母さんたちも、よくよく話してみると、
私みたいに英語が中途半端でうまく伝わらない英語を話す人も中にはいて。
でも、そういう者同士で話すとお互いに気持ちが分かるから、妙に伝わったりして。
ずーっと英語ペラペラマザーズといたから、日々自分の英語のヤバさに直面して、半分泣きそうになりながら、日々を過ごしてきたけど、
少し落ち着いて見渡してみたら、今の環境には世界が凝縮されてる気がして、改めて楽しいなと思えた。
で、みんな自分の母国語がありながら、英語で会話する。英語が母国語の人もいるし、母国語でなくても同じように使いこなす人たちもいる。
そして、私みたいにダメな人もいる。
マンツーマンで話す時は、相手と自分の一番得意な言語で会話することになる。だからインドネシア人同士ならインドネシア語、日本人同士なら日本語。
相手が日本人じゃないけど、日本語堪能な場合は、英語と日本語のミックスで。
複数人になったら、英語になる。
時々、日本人以外の人がいても日本語で話してくる人いるけど、それは圧倒的少数で、やっぱりみんなが理解できる言語で話すのが普通。
それは必然的に英語になる。
英語は単なるツールにすぎないと夫がよく言うんだけど、その単なるツールを手に入れることで広がる世界は果てしなくて、選択肢は無限に広がると思う。
母国語が英語でない国で、インターに入れていることに少し不安に思った時期もあった。
それは周りの子供達の英語レベルもバラバラで、先生もいろんなアクセントを持ってる。
でも今日、英語ペラペラマザーズの一人が、
なんで日本人学校があるのにインターにいれたの?
と聞いてきて。
日本にいたら英語を喋れるようにするのは本当に大変。でも、英語を普通に話せるようになれば、学校も仕事も世界中から選ぶっていう選択肢を広げることができて、それはすごく大切だと思ったから。
みたいな話をして。
そのママは、英語圏出身で、英語圏での育児経験もあり。でも、インターで子供達が育つことほど心が成長することはないと思ったと言っていた。
先生や友達がいろんなアクセントの英語で話し、その英語を理解して自分の言葉を伝える。
お弁当だって何を持って行っても、周りの子に嫌なことを言われることはない。
他の国の子の食べ物を見て、その食べ物や国に興味をもつ。
みんながお互いのカルチャーや宗教を尊重することが当たり前で、自分と他人はちがうんだということ、そしてそれが普通なんだと日々の生活で学んでいく。
インターの良さはそこにあると思うと言ってて。
本当に、通学が再開してから、改めてそう思う。
彼女達は自分達の存在を常に『尊重』されてる。
先生からも友達からも、友達の親からも。
大人の世界で、えええええーーーーー!!って思うことがあるように、きっと子供の世界でもいろんなことがあるんだと思う。
だけど、子供の世界も大人の世界も同じ。
英語という言葉ひとつが広げてくれる世界は無限。
うまく話せなくてもどかしかったり、恥ずかしかったり、思いっきり恥かくときもある。
でもどんなに打ちのめされても、どんなに部屋が荒れてても、誘われたら行ってみる。
きっとそれは、少しでも英語を話せるようになりたいのはもちろんだけど、
それ以上に、その人達と話さないと見えない、知ることができない世界があるからだと思う。
やっぱりそれが一番楽しい。