オーストラリアにいた時、東日本大震災が起きた。
7月までオーストラリアにいる予定だったんだけど、夫が急遽大阪に転勤になり、同棲してたアパートを引き払わなくてはいけなくなった。
引越しは夫と両方の母が手伝ってくれて。
私は予定通りのスケジュールでもいいと言われたけど、夫と話し合って、5月に帰国した。
オーストラリアでの生活は周りの人の助けなしに終われる日はなく、毎日数え切れないほどのヘルプをもらっていた。
人の優しさに触れて、心が熱くなったり、
現実の厳しさを知って、心がギューっと握りつぶされそうになったり、
とにかく毎日、私の心は忙しかった。
だけど、オーストラリアでも毎日、新聞の一面に東日本大地震のニュースが続いた。
仕事もない、まだ結婚もしてない、
独身時代の自由な残された時間を、私は自分が助けられた多くの日々を思い出して、
被災地へボランティアに行こうとしていた。
当時は、人手不足は瓦礫の掃除だと言われていた。
物資は、生活に本当に必要なものだけを!と叫ばれ、千羽鶴などが迷惑がられているとニュースになってた頃だと思う。
でも、家族全員から反対された。
夫からも反対されて、
オーストラリアから見てる日本は違うから。日本にいる家族の言うことを聞いて。
と夫に言われて、何も言えなくなった。
だけど、このことだけは、やっぱり行けばよかったと、今でも時々思い出す。
それが自己満だとしても。
私は、それから日本よりも経済的に貧しい国に住むようになって、すごくすごくいろんなことを考える。
少しずつ勉強して、世界への理解を今、少しずつ深めてる途中。
そこで思うんだけど、結局のところ、同じにんげんなんだよなって思う。
娘たちをインターに通わせているのは、日本の戦後に作られた古い基準のままの教育を続けていることにどうしても理解ができないのと、それより大きいのは、いろんな国の人たちを見ていて、日本人は幸福度が低いと体感してるからだと思う。
でも、自分の周りの人たちの選択に、私は何も思わない。みんなもインターに通わせたらいいのにとか、そういうことは一切思わない。
一人一人みんな違うから。
違うから、話してて楽しいし、学ぶことがたくさんある。
けど、日本の教育にネガティヴな意見を言うと、日本にいる友達で子供がいる子のことを不快にさせてしまいそうで、私は自分の子供達の学校のことは聞かれたことにしか答えなくなっていったと思う。
そこらへんが、難しいなと思う。
いや、誰もお前の考えなんて興味ねーわって感じなんだけど 笑
自意識過剰かもしれないけど、んー。私が逆だったら、なんか不安になるなーって思う。
不快というか、不安?
で、教育はめちゃくちゃ大事。
もうこれは確信。
世界中、人間のやってることってだいたい同じだなと思う。
もちろん、慣習や文化の違いなんかはあるけど、みんな寝るし食べるし。
学校とか仕事とか。
大まかには、人種も国籍も関係ない。
だから、すごくちゃんとすることを求められて生きているように見える日本人も例外ではない。
人は基本的には優しい。
困っている人を見ると手を差し伸べたくなる。
インドネシアでは、スーパーで野菜とか計り売りだから、手が乾燥しててビニール袋が開けないと、店員さんがスッと寄ってきて、開いてくれる。
日本は日常生活で、あんまり手を貸す文化がなくて、ベビーカー生活には辛いこともいろいろあった。
でも、本当に困ったことが起きた時、それは周りの人が察してくれて、手を差し伸べてくれる。
私は今でも、挨拶でキスやハグをする文化に慣れない。もちろん、相手がそういう感じできたら合わせるけど、いまでもあの身体の内側がかゆくなる感じから解放されることはない 笑
けど、そういう細かいことって、実はどうでもいいことなのかもしれないって、本を読んでて思った。
きっと、細かく見たら大きく違うんだけど、ざっくり見たら、みんな本当におんなじなんだと思う。
めちゃくちゃかっこいい人だなと思っても、きっとめちゃくちゃダサい部分がある。
すごい人だなと思っても、こいつ終わってんなって思う部分もきっとある。
今まで、ものすごーーく大きい広いものだと思ってた世界は、私が思ってたよりも、身近で、小さいものなのかもしれないと、最近になって考えるようになって。
今も周りの人の助けナシには生きられないから、インドネシアに感謝したいし、日本人である自分を楽しみたいと思う。
うーん。
なんか、頭の中でぐるぐると考えてたことを、整理したかったんだけど、まとまらないわー
けどなんか、今日の本を読んでて、
日本人って普段は他人との関わりをあまり好まないけど、いざという時の底力が、すごい。と思って。
震災のこととかって、話に出すのが難しいデリケートな部分もたくさんあるから、表現難しいけど。
人って経験したことのないことってやっぱり分からないから。
体験することから学ぶこと、感じることが大切。
だから何歳になっても、新しく経験できることを大切にしたいし、その積み重ねが、いつか誰かを救えるかもしれない。