ジャカルタの学校がちらほらと、対面をスタートしてる。
我が家はまだ日本にいるから今すぐにどうなることもないけど、今度こそ、ジャカルタに戻ったら子供達の学校生活もリスタートできるのかと思うと、もう感動するレベルで長い期間だったと思う。
2020年3月の上旬、インドネシアで初の感染者が発表され、中旬のタームブレイクからそのまま休校。
当初、日本に帰る気はなかったけど、母として、どう決断するべきかを当時、海外在住だった人たちは同じように悩み、迷い、情報収集に奔走したと思う。
物流停止を不安がって、買い占めが問題になったけれど、海外で外国人として生きながら、幼い子供達を抱え、間違えだったとしてもそれが正しいことか間違えたことなのかを自身で精査する心の余裕はなく、私はいろんなものを買いだめした。
そして、結果、物流が止まることはなかったから必要なかったんだけど、あの時の判断が間違ってたとも思えないし、人としては良い判断でもなかったと思う。
日本に一時帰国してからは、本格的にオンライン授業へ移行していった。
当時、6歳と3歳の娘たち。
今では、私以上にGoogleを使いこなす長女と、指摘されても言い間違えても通じなくても一切気にせず鋼の心で英語を喋りまくる次女。
この1年半の成長は、凄まじいものがあったと思う。
だけどやっぱり、対面には敵わないと思う。
登校初日には私が泣いてしまいそうだわ。
親子で、24時間過ごす年齢でなくなっても24時間一緒に過ごしたこの1年半。
たくさんけんかもした。
理不尽なことをぶつけてしまった日もあった。
自分の人間としてのキャパを試された前半だったと思う。
子供だけじゃなく、夫も家で仕事をするようになって、今では慣れたけど、最初はお互いにやりにくくて小さなことでイライラしてたと思う。
家族以外の人と会えないこと、
会って話せないことも、私と夫にとってはすごくきつかったなー
子供達もそうだったと思うけど、やはり姉妹はいいもので、そう感じさせないほど毎日遊ぶのに忙しそうで楽しそうだった。
それから、夫が一人でジャカルタに帰り、私は子供達との生活になって。
本当にジャカルタに戻れるのか、怪しいかもって思うようになり、日本の学校について調べまくってた。
最終的にはジャカルタに戻るときに自宅を売却したのも、この時のことが大きかったと思う。
今後、日本で不動産価値は暴落すると言われているし、日本で、良いな!と思う学校は通学圏内に見つけられなかった。
自宅を持ってると、子供達の教育において足枷になってるわーって何度となく思って。
あとは、子供達の年齢とともに、ベストな家のスタイルも場所も変わる。
家を買うとしたらそれは、子供達が巣立った後、夫婦で住む家をまた買ったらいいのかも。
最終的に自分達がどこに住みたいか分からないし。
そして、オンライン授業をずーっと見てきて聞いてきて、子供達の積極性とか、授業を楽しんでる姿とかを見てて、本当に自分の子供時代に学校で受けた教育との違いにびっくりするばかり。
インターで育てるということは、リスクもあると承知してるけど、私の子供たちは今のところこっちが合ってると確信があるし、何より、人生を楽しめる大人に育つ環境としては圧倒的にこっち。私は自分がそれを知れたことがこのオンライン生活での一番の収穫であり、それは今後の子供達の生きる道を探していくにあたって本当に大切なものだと思えた。
同時に、日本語でも同レベルのことができるようにするっていうのは子供達にはかなり負担だなっていうのも思ってる。ただ、今のところはたまに他人から外国語ができてすごいねと褒められることがすごく嬉しいのと、ママが知らない言葉を自分が知ってるのが嬉しいのと、いろんなところでモチベーションも保ててる様子。
今はもう、長女も8歳、次女も4歳後半戦で。
学校のワークも次女のやつは長女が見てくれることが増えてるし、長女のことも2年生の時は私も録画授業を見て取りこぼしてるところとか、さすがに難しいところとかはフォローしてたけど、今年はノータッチ。
本当に本当に楽になってる。
まだまだ規制が厳しいインドネシアで、普通の日常に戻るのは時間がかかると思うけど、インドネシアでしかできないことを楽しめたらいいなと思う。そして、インドネシアに少しでも還せるものをここからは探していきたいと思う。
まずは早く帰って、スイカとマンゴーとパパイヤとパクチーとクレソンとパセリをモリモリ食べるのが楽しみ。
今の近所のスーパー、パクチーもクレソンもパセリもちょびっとで200円とかする!
ジャカルタならぎゅうぎゅうのひとたばが20円とかなのに。
パクチーでも80円くらい。
パッタイの上にてんこ盛りにパクチーのせて食べたいなー
最後の最後で見つけた、めっちゃくちゃおいしすぎるキーマカレー早くたべたいなー
何より、自分たちの家に帰りたい。
今は京都に。
久しぶりの西日本生活中。
