隔離生活を終えて、自由の身になったー!
やっぱり自由に動けるってさいこー
で、私は最近気付いたことがある。
子供達がある程度大きくなって、夫が一人で見ることもそんなに大変じゃなくなって、
気軽に「出かけてきていいよー」なんて言ってくれる年齢になった。
これで晴れて私も自分の友達と心置きなくランチしたり、
飲み行ったりできるじゃんって思ったら、
周りの友達も同じようにお母さんだから、そんな簡単に一人で出かけられるほどに
まだ子供が成長してなかったり、
成長しててもなかなか預かってくれる人がいなかったり、
そのタイミングをピンポイントで合わせるっていうのは
結構難しかった。
そうなると、私に時間ができたところで、
友達と過ごせる時間はそんなに増えてなくて、
結果一人タイム。
それでもめちゃくちゃ嬉しいのだけど。
でもやっぱり、友達とどっぷり話したいなーって最近よく思う。
それもそうだよね。
6月にジャカルタに戻ってから、どんどん状況悪くなって、
この2ヶ月、リアルで友達に会えてない。
だから、ほんの少しの時間だけわざわざ飛んできてくれた友達との
子供たち起こさないように暗闇で話した数時間がどれだけありがたかったか。
生後3ヶ月のベビーがいるのに飛んできてくれるフットワークの軽さったらすごい。
どんなにテクノロジーが発達しても、
やっぱりリアルにはかなわない。
そう思った貴重な夜だった。
友達ってほんと最高。
そんな私の最近の気軽に誘って絶対に断られないから
めちゃくちゃ仲良しなのが本。
そして。
すっごく考えさせられる本に。
ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー
これ、なんだろう。
全てのお母さんに読んでみてほしいと思うほどにオススメ。
著者は日本人で、アイルランド人の旦那さんと息子が一人。
息子さんの中学校でのいろんな出来事と、そこから著者が考えたことが書いてあるんだけど。
私が、どうしても日本の教育がしっくりこない、
なんでしっくりこないのか、
どこが他国の教育とずれてるのか、
そういうところで共感できるところがたくさんあるのと、
同時に、私が普段考えてることの矛盾みたいなものもたくさん考えさせられた。
この本の中では、イギリスの貧困層の人たちのエピソードがたくさんでてくるんだけど。
私が今、自分の子供達を通わせている学校では無縁だろうと思うような環境であり、
一方で、インドネシアでは同じような環境ってすごくたくさんあると思う。
私は、どこかで自分の子供たちには、こういうガラの悪いといわれるような地域の子供たちと
深く関わるようなことがあってほしくないと思ってるのが正直なところ。
そう思いながら、私は自分がジャカルタに戻ったら、
教育環境に恵まれてない子供達に自分ができることは何かないだろうか、
私にできそうなことはなんだろうかと、
この1年くらいずっと考えてきた。
それは、教育を受けるということがどれだけ人間が育つ上で大切かということを
自分が育児をする中で、そして社会人として生きる上で痛感している。
教育を受ける環境がない子供達は能力がないのではなくて、
機会が与えられていないだけ。
そう思ったから。
私は、自分自身も恵まれた環境でずっと生きてきて、
満足に学校に通うこともできないとか、
通えても制服を買うお金もないとか、
そういう経験がない。
さらに、そういう友達が自分の身近にいたこともない。
小中高と公立なので、もちろんそれなりに家庭環境の差はあったし、
それは子供ながらに感じるところはあったけれど。
自分の育ってきた環境では、そこまでの生活環境の差を感じることはなかったけれど、
大人になってケニアに住んだ時に、
教育を満足に受けてこなかった大人にたくさん出会った。
そしてショックを受けた。
インドネシアでもそう感じる出来事がこれまで何度かあった。
頭が良くなることが、
バリバリ働くことがいいことかどうかは分からない。
でも、そうしたければそのチャンスを掴めるように頭の中で思考を展開させる能力って、
きっと、教育を受ける中で育つ。
私はそう思った。
だから、ここで自分にできることをと考えていた。
考えれば考えるほど、矛盾するところがある。
私は、娘が学校で勉強してきた様々な地球環境問題をきっかけに、
家族の健康と地球の未来について深く考えるようになった。
健康について何冊も本を読んだし、
環境についても勉強した。
そして、私が家族の食事に選ぶものも作るものも変わった。
食材は成分を必ずチェックするし、オーガニックを選ぶようになったし、
添加物を避けるようになった。
日本では食品に分類される添加物についても避けている。
子供達の味覚は変わってきていると思う。
けど、この選択をするのにはお金がかかる。
正直、お金の余裕があるからできるとこだという事実。
でも、私が本当に救うべきは、教育を受けられないがために、
大人になってもそれ相当の思考を展開することができない人たちに
何かしたいはず。
だったら、私が家族に使っている贅沢な選択を辞めて、
その分を彼らのために使ったらいいのかもしれない。
今、子供達が通っている学校の学費なんてめちゃくちゃ高い。
そうじゃないもっとお金のかからない学校に入れて、その分を他に使ったらいい。
結局、自分が心を痛めるポイントと、
自分の行動があっていないような感覚になることがしょっちゅうある。
それはきっと普通の心理なんだろうなってどこかでは思いながら、
腑に落ちない自分もいて、
だけど、家族に出す食事や子供達の学校や夫との時間を、
変えようとは思っていない自分も確実に今ここにいる。
ときどきそんな自分に、
口だけだな。とか思う時がある。
でも、インドネシアに住んで、
子供達の学校での教育を見ててひとつ変わったことは、
矛盾してたっていいじゃん。
人間ってそんなもんでしょ。
って思えるようになっていること。
日本で植え付けられた
こうあるべき
っていう考えが、
自分の中にいかに根強く残っているのかがよくわかる。
で、今になって、
え?どうあるべきなのよ?
って思うことがたくさんある。
というか、思えるようになったことがたくさんある。