前記事に、改めて、インドネシアてわ行ってる学校の環境の良さを感じたわけだけど。
このコロナ禍で、本当にいろんなことをみんな考えたと思う。
人生で初めて、こんなに長い期間をスーパーと家の往復だけっていう生活。
周りでは予定になかった本帰国になった人もいるし、今は私も含め一時帰国。
でも住んでた国にいつ戻れるか分からないっていう人もたくさん。
次女なんて3歳だから、1年間、学校がオンラインになったら、次に対面でクラスメイトに会ったらみんなの成長が凄すぎてほんとビックリするだろうなーとか、思う。
やはり、学校どうしよう?問題は、
私もいろいろ考えたところだった。
子供達が今、学校に通う意味って、
学業ももちろん大切ではあるんだけど、
それ以上に人との関わり方を学ぶ場所なのかなって思う。
今は、日本に帰ってきて何ヶ月も経って、
私もジャカルタにいた時の感覚と少しずつ変化してるはずで、なにも思わなくなったけど、
一時帰国して、学校もオンライン対応になって。
長女はzoomで授業があるものの、
友達と自由に会話するみたいな時間はなくなり、
発話時間が圧倒的に減った。
次女はもっと顕著で、
二人の遊びも最初は英語で遊ぶ時間が長かったのに、
今はほとんど日本語で過ごしてる。
これは、夏休みだったのもあって、
オンライン授業もないから、
毎日ちょこっとやる英語のワークくらいで、
他は日本語での生活。
学校が始まれば英語も増えるのか?
子供達の順応していく様子をこうやって見てると、
本当に分かりやすく、変化していく。
今、私たち家族の会話ってやっぱり自然といろんな国の話がでてくる。
それは、学校でもいろんな国籍の友達、先生がいて、みんな宗教も人種も違う。
そして、父親の働く姿を見ても、話を聞いても、いろんな国の話が出てくる。
自然と子供達は、どこの国がどんな国で、
どんな文化があって、
宗教とは何なのか、
肌の色や目の色や髪の色の違うこと、
生活習慣の違いがあること、
そういうことが毎日自分の目の前で見たり聞いたりして生きてる。
そうすると、興味もわくから、
何も教えてなくても、
何もしなくても、
読んで
と、もってくる本はいろんな国に関するものが多い。
それは当然国だけにとどまらず、
今なら日本にいるから、都道府県の違いの興味に繋がっていったりする。
けど、そういうことを当たり前の環境として、自然に生きていける環境って実はすごくすごく貴重なのかなって思う。
日本は世界の中でも、移民が本当に少ないし、外国人労働者の受け入れも厳しいし、
日本という独特な文化がすごく強く根づいてる。
それは日本の強みであり、時に脆さなのかなとも思う。
日本で国際教育に力を入れてる学校は、
英語で授業する学校とかもあるけど、
当然ながら通ってる子供達は日本人がほとんどだから、話す英語のイントネーションも日本語訛り。
訛りがダメなんじゃない。
多国籍の生徒がいて、先生がいると、
みーんないろんな英語を話してる。
今までそこって私にとっても普通のことだったというか、それしか知らなかったから気づかなかったけど、日本でそういう学校に入ると、
子供達はもちろん個人差はあるけど、
日本語訛りの英語からネイティブみたいな英語の間の振り幅しかない。
そして、そういう学校は、英語教育に重きを置いてるから先生はネイティブ。
たぶん、アメリカンイングリッシュの先生を好んで集めるのかな。
世界で英語を話す人口の数ってものすごくて、
いろーんな英語がある。
テクノロジーの進化で、世界が近くなればなるほど、きれいなアメリカンイングリッシュじゃなきゃ恥ずかしいみたいな感覚ってどんどんどうでも良くなるだろうなって思う。
正しい英語を話すことは大切だけど、
正しい発音で、全然表現できないより、
伝わる発音で無限に表現できたほうがいいし、
聞き取る力もまた、同じなのかなと思う。
そういうことをすごく感じて、
ダイバーシティ環境を求めるとなると、
日本でそこを求めるのは本当に難しいのかなって思った。
インターに入れられればいいのかもしれないけど、それは金銭的にごく一部の人しか無理だと思うし。
子供達にとって、
生き抜いていく逞しさを身につけるには、
どんな環境がいいのか、
安全もできる限り確保しながら、
模索中。