この内容、人に公開するブログに書く内容ではないけど、
私の日記として、出産の記憶が薄くならないうちに残しておきたいと思って
書いておくことにします。
ヒッポのこと。
ケニアに来てヒッポは7カ月が経ち、
私は3カ月が経った。
妊娠が分かったとき、
私はそのときからケニアで産むつもりだった。
理由は私には当たり前のことで。
家族なんだから一緒にいるべきだし、一緒にいたかった。
私自身がヒッポを必要としているし、
ヒッポにも一緒に妊娠期間の変化を見て少しでも実感してもらいたかったし、
産まれたとき、
産まれたその日から、レイラにもパパをちゃんと感じてほしかった。
それに、きっとヒッポも私を必要としてくれてる気がした。
ケニアで産む覚悟がないなら、
避妊すべきだと思ったし、私はそれを去年の8月に赴任が決まった時点から
考えて、私なりに、ケニアの医療を調べ、
決めた覚悟だった。
結果、いろんな意見はあったものの、
私はケニアに来ることを選び、ここで出産することを決めた。
結果論でしかないと思う。
こうしてレイラを無事に産むことができたから、
ケニアで産んで良かったって言えるけど、
もし何かあったら、日本で産めば良かったと思ったかもしれない。
でも、それはベストを尽くすしかなくて、
自分の決断に責任を持つことでしか立ち向かうことなんてできない。
誰も未来を確実に予測することはできない。
ヒッポは、とても仕事熱心だし、まじめだし、
スーパーおちゃめだし、尊敬するところと、
まじで理解不能なアホなところがあるけど、
私は誰よりも彼を理解したいと思っているし、
彼の弱さを、人に見せることのできない弱さをくみ取るのは
自分の役目だと思ってる。
ヒッポは、私に日本で産むもケニアで産むも自分の意志で選んだらいいと
言ってた。
でも、出産経験者が日本のほうがって言うのには、それなりの理由があって、
意味もあって、だからむげにはできないと
いつも言っていた。
私は、レイラのことももちろん考えているけど、
あのタイミングでケニアに来て、本当に良かったと思う。
ヒッポの生活は、私から見ていて、ものすごくきつかったんじゃないかと思った。
海外でいつか仕事をしたい。
それは彼自身が言っていたことでもあり、
私もそれを望んでいた。
だから、今回の経験は本当にいい経験だと思ってると思う。
でも、それとはまた別の問題として、やっぱりきついもんはきつい。
ヒッポはアメリカに3年近く住み、そこではいろんな別の大変さがあったと思う。
学生ならでは、先進国ならでは、アメリカならではの大変さが。
ケニアはまた全然別で、
仕事のこと、途上国であること、情報の少なさや文化の違い。
うまく言えないけど、
ケニアの「普通」や「常識」は、日本のそれとはあまりにも違っていて、
私自身が大きく戸惑った。
そこで、日本基準での「結果」を求められる生活は、
どんな心境だろうと思う。
私には一生理解してあげることはできないその重圧は、
まともに顔を見て日本語で思いっきり話す相手もいない彼にとって
どれだけ苦しかったろうと思う。
そして、それを家族にも、私にも言えなかっただろう。
私が「出産は日本でしようかな」
って言ったら、きっとヒッポは何も言わずに
「それがいいね」
と言ったと思う。
そして、年末の一時帰国まで、一人でケニアでの生活と仕事を続けることに
なった。
私が何かをしてあげられているかって、
それは分からないけど、
私が来たことによって、負担だって増えたのも事実。
病院には一緒に行ってもらわなきゃ英語が追いつかないし。
なんもかんも忘れて、クラブ行ってお酒飲みまくりたい気分の夜だって
きっとあったはず。
でも、妊婦の酒の飲めない私にそんなこと言えなかったはず。
ま、言われたら確実に不機嫌になるけどねw
でも。
それでも。
きっと、言葉にできない孤独感を少しは埋めてあげられているはず。
仕事上のことは別として、
そうじゃない部分はきっと。
そして。
私自身が、やっぱりここに来てよかったと思う。
私は、もう6年ヒッポと一緒に生活してるから、
その生活スタイルが一番自分が休まる。
くだらない話をしてバカ笑いをしたり、
真剣な話をして将来を考えたり、
今でも、ケンカをすることもあるけど、
っていうか私がいらっとして怒るときもあるけど、
それでも、私は、ヒッポといるだけで、
一番自分が素になれる。
そして、どんなときも前向きに頑張る彼を見ていて、
本当に背中を押される。
私のホームは、ここにあると思った。
そして。
もう6年も一緒に住んでいるのに
知らない彼の一面を、この数カ月でたくさん見たと思う。
たまねぎを入れただけで、
「野菜を使ってる」と言ってたヒッポが、
ヒッポ的にあまり興味のない野菜をたくさん入れて、
毎晩夕飯を作ってくれた。
それも、深夜12時とかに帰ってきて。
私がシャワーから出ると、もうご飯は食べるだけの形になっていて、
二人でコナンさんを見ながら食べた。
通算、両手に確実に収まるくらいしか料理なんてしてくれなかったヒッポが、
自らそうしてくれたのには本当に驚いたし、
何より、助けられた。
お腹が大きくなってからは、本当に貧血とか、
圧迫感とか、いろいろしんどくて
でも、ベビのためには野菜をちゃんととらないとって思ってて。
本当は、私がそんなに遅くならずに先に帰って食事の支度をすることも
できたと思う。
でも、産休に入る前の仕事はできる限りやっておきたいっていう
私の気持ちも汲んでくれたんだろうと思う。
実際、担当のケニア人が全然仕事できないっていうのもあったけどw
そして。
今回の出産。
ドクターが何を言っているのか分からないと困るから、
立ち会いは最初から決めていたのだけど。
私は、頭側から応援してくれるもんだと思ってて。
でも、実際には、
ドクター、助産師、ヒッポ
と横並びだったw
私が嫌だったとかじゃなくて。
さすがにそれはヒッポもできるタイプではないと私は思ってて。
だって、本当に今までの人生で出会ったことのない衝撃だと思うし。
彼が感動が薄いタイプとかそういうんじゃなく、
なんとなく、そこまで踏み込んでくるタイプではないっていうか。
でもあの日、私がレイラを無事に出産できたのは、
ヒッポが隣にいてくれたからだって、間違いなく思う。
お母さんにもついてきてもらってのはずで、
計画出産を予定していたのに、
予定日よりも9日早く産まれてきたレイラ。
ドクターや助産師の、ネガティブな発言だけは、
悲しいことに鮮明に理解できる。
自分の中途半端な英語力で、
何も分からない異国の地で出産するっていうことは、
こんなにも不安なもんかと、
もう陣痛もMAX、どうにも引き返すことができない状況になって、
そう思わされた。
英語だと、微妙なニュアンスが分かりにくくて、
私には、もう産めないんじゃないかって思うくらい
きっと陣痛も短く、
それによっていきみも短く、
パニック状態だった。
ドクターも助産師も、
もう赤ちゃんが産道に入っているからと、
めっちゃ厳しくなって。
「もっと力入れて!!」って言われて。
「やってるけどできないの」と泣きそうな私に、
ヒッポだけが優しかったのが救いだった。
ドクターたちが厳しくなったのには意味があると分かってはいるけど、
あの状況の中、
初めてのことでパニックになってる私に
「大丈夫だよ。もう頭は見えてるから。
あと少しだから頑張ろう。絶対できるから大丈夫」
そう言ってくれて、
表現のしようがない安心をもらった気がした。
そして、無事にレイラを出産。
それから、毎日病院にも来てくれて。
何度も出産の日の話をした。
退院の日。
またその話をしていて。
「私は必死すぎて、自分の身体からレイラが出てくる瞬間って見てないけど、
それってやっぱ感動するもん??」
って聞いたら
「うん。感動するよ。
でも、俺は立ち会い出産の感動って別のところにあるんじゃないかって思ったよ。
だってさ、自分の奥さんがあんな生死をかけて必死になって
子供を産む姿って本当にすごいと思うよ。
俺はそこにすげー感動した。俺も最後の方無我夢中だったよ。」
そう言われて、
そのとき心底、ケニアで産んで良かったと思った。
そして、
「でもさーぁ( ̄▽+ ̄*)
いっこだけ言ってもいーい??」
ってニヤニヤしながら言ってきて
「何( ̄ー ̄)?」
って聞いたら
「めーがさー、フンガァーーーーー!!っていきみMAXのときね、
3重あごになってたよ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:」
だと!!!
うっさいわ!!
3重あごにもなるわ!!!
ケニアでの生活は、いいことも嫌なこともいろいろあるけど、
でも、
家族が一緒にいられて本当に幸せ。
あとはレイラが元気に育ってくれて、
家族みんなが健康でいられたら、
最高だなぁと思う。
私の日記として、出産の記憶が薄くならないうちに残しておきたいと思って
書いておくことにします。
ヒッポのこと。
ケニアに来てヒッポは7カ月が経ち、
私は3カ月が経った。
妊娠が分かったとき、
私はそのときからケニアで産むつもりだった。
理由は私には当たり前のことで。
家族なんだから一緒にいるべきだし、一緒にいたかった。
私自身がヒッポを必要としているし、
ヒッポにも一緒に妊娠期間の変化を見て少しでも実感してもらいたかったし、
産まれたとき、
産まれたその日から、レイラにもパパをちゃんと感じてほしかった。
それに、きっとヒッポも私を必要としてくれてる気がした。
ケニアで産む覚悟がないなら、
避妊すべきだと思ったし、私はそれを去年の8月に赴任が決まった時点から
考えて、私なりに、ケニアの医療を調べ、
決めた覚悟だった。
結果、いろんな意見はあったものの、
私はケニアに来ることを選び、ここで出産することを決めた。
結果論でしかないと思う。
こうしてレイラを無事に産むことができたから、
ケニアで産んで良かったって言えるけど、
もし何かあったら、日本で産めば良かったと思ったかもしれない。
でも、それはベストを尽くすしかなくて、
自分の決断に責任を持つことでしか立ち向かうことなんてできない。
誰も未来を確実に予測することはできない。
ヒッポは、とても仕事熱心だし、まじめだし、
スーパーおちゃめだし、尊敬するところと、
まじで理解不能なアホなところがあるけど、
私は誰よりも彼を理解したいと思っているし、
彼の弱さを、人に見せることのできない弱さをくみ取るのは
自分の役目だと思ってる。
ヒッポは、私に日本で産むもケニアで産むも自分の意志で選んだらいいと
言ってた。
でも、出産経験者が日本のほうがって言うのには、それなりの理由があって、
意味もあって、だからむげにはできないと
いつも言っていた。
私は、レイラのことももちろん考えているけど、
あのタイミングでケニアに来て、本当に良かったと思う。
ヒッポの生活は、私から見ていて、ものすごくきつかったんじゃないかと思った。
海外でいつか仕事をしたい。
それは彼自身が言っていたことでもあり、
私もそれを望んでいた。
だから、今回の経験は本当にいい経験だと思ってると思う。
でも、それとはまた別の問題として、やっぱりきついもんはきつい。
ヒッポはアメリカに3年近く住み、そこではいろんな別の大変さがあったと思う。
学生ならでは、先進国ならでは、アメリカならではの大変さが。
ケニアはまた全然別で、
仕事のこと、途上国であること、情報の少なさや文化の違い。
うまく言えないけど、
ケニアの「普通」や「常識」は、日本のそれとはあまりにも違っていて、
私自身が大きく戸惑った。
そこで、日本基準での「結果」を求められる生活は、
どんな心境だろうと思う。
私には一生理解してあげることはできないその重圧は、
まともに顔を見て日本語で思いっきり話す相手もいない彼にとって
どれだけ苦しかったろうと思う。
そして、それを家族にも、私にも言えなかっただろう。
私が「出産は日本でしようかな」
って言ったら、きっとヒッポは何も言わずに
「それがいいね」
と言ったと思う。
そして、年末の一時帰国まで、一人でケニアでの生活と仕事を続けることに
なった。
私が何かをしてあげられているかって、
それは分からないけど、
私が来たことによって、負担だって増えたのも事実。
病院には一緒に行ってもらわなきゃ英語が追いつかないし。
なんもかんも忘れて、クラブ行ってお酒飲みまくりたい気分の夜だって
きっとあったはず。
でも、妊婦の酒の飲めない私にそんなこと言えなかったはず。
ま、言われたら確実に不機嫌になるけどねw
でも。
それでも。
きっと、言葉にできない孤独感を少しは埋めてあげられているはず。
仕事上のことは別として、
そうじゃない部分はきっと。
そして。
私自身が、やっぱりここに来てよかったと思う。
私は、もう6年ヒッポと一緒に生活してるから、
その生活スタイルが一番自分が休まる。
くだらない話をしてバカ笑いをしたり、
真剣な話をして将来を考えたり、
今でも、ケンカをすることもあるけど、
っていうか私がいらっとして怒るときもあるけど、
それでも、私は、ヒッポといるだけで、
一番自分が素になれる。
そして、どんなときも前向きに頑張る彼を見ていて、
本当に背中を押される。
私のホームは、ここにあると思った。
そして。
もう6年も一緒に住んでいるのに
知らない彼の一面を、この数カ月でたくさん見たと思う。
たまねぎを入れただけで、
「野菜を使ってる」と言ってたヒッポが、
ヒッポ的にあまり興味のない野菜をたくさん入れて、
毎晩夕飯を作ってくれた。
それも、深夜12時とかに帰ってきて。
私がシャワーから出ると、もうご飯は食べるだけの形になっていて、
二人でコナンさんを見ながら食べた。
通算、両手に確実に収まるくらいしか料理なんてしてくれなかったヒッポが、
自らそうしてくれたのには本当に驚いたし、
何より、助けられた。
お腹が大きくなってからは、本当に貧血とか、
圧迫感とか、いろいろしんどくて
でも、ベビのためには野菜をちゃんととらないとって思ってて。
本当は、私がそんなに遅くならずに先に帰って食事の支度をすることも
できたと思う。
でも、産休に入る前の仕事はできる限りやっておきたいっていう
私の気持ちも汲んでくれたんだろうと思う。
実際、担当のケニア人が全然仕事できないっていうのもあったけどw
そして。
今回の出産。
ドクターが何を言っているのか分からないと困るから、
立ち会いは最初から決めていたのだけど。
私は、頭側から応援してくれるもんだと思ってて。
でも、実際には、
ドクター、助産師、ヒッポ
と横並びだったw
私が嫌だったとかじゃなくて。
さすがにそれはヒッポもできるタイプではないと私は思ってて。
だって、本当に今までの人生で出会ったことのない衝撃だと思うし。
彼が感動が薄いタイプとかそういうんじゃなく、
なんとなく、そこまで踏み込んでくるタイプではないっていうか。
でもあの日、私がレイラを無事に出産できたのは、
ヒッポが隣にいてくれたからだって、間違いなく思う。
お母さんにもついてきてもらってのはずで、
計画出産を予定していたのに、
予定日よりも9日早く産まれてきたレイラ。
ドクターや助産師の、ネガティブな発言だけは、
悲しいことに鮮明に理解できる。
自分の中途半端な英語力で、
何も分からない異国の地で出産するっていうことは、
こんなにも不安なもんかと、
もう陣痛もMAX、どうにも引き返すことができない状況になって、
そう思わされた。
英語だと、微妙なニュアンスが分かりにくくて、
私には、もう産めないんじゃないかって思うくらい
きっと陣痛も短く、
それによっていきみも短く、
パニック状態だった。
ドクターも助産師も、
もう赤ちゃんが産道に入っているからと、
めっちゃ厳しくなって。
「もっと力入れて!!」って言われて。
「やってるけどできないの」と泣きそうな私に、
ヒッポだけが優しかったのが救いだった。
ドクターたちが厳しくなったのには意味があると分かってはいるけど、
あの状況の中、
初めてのことでパニックになってる私に
「大丈夫だよ。もう頭は見えてるから。
あと少しだから頑張ろう。絶対できるから大丈夫」
そう言ってくれて、
表現のしようがない安心をもらった気がした。
そして、無事にレイラを出産。
それから、毎日病院にも来てくれて。
何度も出産の日の話をした。
退院の日。
またその話をしていて。
「私は必死すぎて、自分の身体からレイラが出てくる瞬間って見てないけど、
それってやっぱ感動するもん??」
って聞いたら
「うん。感動するよ。
でも、俺は立ち会い出産の感動って別のところにあるんじゃないかって思ったよ。
だってさ、自分の奥さんがあんな生死をかけて必死になって
子供を産む姿って本当にすごいと思うよ。
俺はそこにすげー感動した。俺も最後の方無我夢中だったよ。」
そう言われて、
そのとき心底、ケニアで産んで良かったと思った。
そして、
「でもさーぁ( ̄▽+ ̄*)
いっこだけ言ってもいーい??」
ってニヤニヤしながら言ってきて
「何( ̄ー ̄)?」
って聞いたら
「めーがさー、フンガァーーーーー!!っていきみMAXのときね、
3重あごになってたよ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:」
だと!!!
うっさいわ!!
3重あごにもなるわ!!!
ケニアでの生活は、いいことも嫌なこともいろいろあるけど、
でも、
家族が一緒にいられて本当に幸せ。
あとはレイラが元気に育ってくれて、
家族みんなが健康でいられたら、
最高だなぁと思う。