今週は、ほんとうに濃かった。

いろんな人に会ったり、いろんなことがあったり。




ケニアに来る前、いろいろと考えたけど、

考えつかなかったようなことにぶつかったり、

想像通りの壁にぶつかったり、




毎日がとても充実してる一方で、毎日がすっきりしない日々だった。

それは、この環境にではなくて、自分自身に。

甘えようとすればいくらでも甘えることもできる。

甘えようとしなくても、無意識に甘えてるんだなって思うくらい。




妊娠中は、私の場合、子供ができる前の自分の感覚に近く、

たぶん、産まれたらこれが大きく変わるんだろうと思う。




でも、妊娠前の感覚に近いということは、ベビに対する配慮が欠けているっていうことで。

そこにだけは気を付けたいと思ってる。

だから、ここに来る前、AUSのときのように、

どんなことにも飛び込んで、きつくてもなんでも頑張ることは、

あえてやめようと思ってきた。



今の自分が、自分自身に負担をかけなくてもできる範囲の中で、

妊娠期間を過ごそうと思ってきた。




でも、現実は、そんな簡単に気持ちを整理させてくれることはない。



私が今、オフィスで関わる人の中で、

100%クリアにコミュニケーションをとれる相手はヒッポしかいない。



それに加えて、英語の理解力も発信力も断然低すぎる。




ケニアには、日本と違う法律がもちろんあるし、

現地法人である以上は、ケニアの法律を守らなければいけないし、

ケニアの税務署的なところから監査が入ったときに、

ちゃんと説明できて、かつ、納得させられる資料の保管の仕方をしなきゃいけない。



その一方で、日本法人の子会社であり、決算期には連結させることが必要だし、

それ以前にも毎月、毎週、本社がわかりやすいように報告しなきゃいけない。



ということは、あくまでもケニアの法律に基づいて、

その中でも日本のやり方というか、日本の基準に合わせる。

合わせないのであれば、合わせない方法でやっていると伝えておかなければ、

本社にも迷惑をかけかねない。



私は日本で、中途半端な経理の経験しかないし、

知識だってたいしたことない。

分からないことだってたくさんある。



現地スタッフのアカウンタントは、ケニアでの経験はあるけど、

もちろん日本法人の経理の経験はない。



同僚くんに関しては、大学で会計を学んでいるから知識はちゃんとあると思う。

でも、就職してから経理をしてたわけじゃないから細かい作業を実際にやった経験があるわけじゃないと思う。



ヒッポなんて、ケニアに来ることになって必死に会計を勉強して今に至る。

財務諸表を読む力は、この数か月で私よりもあると思うけど、

財務諸表が実際に形になる前の作業に関しては、

全くやったことがない。




そういう4人が、何度も間違えそうになったり、確認し合ったりしながら、

とにかくベースのフローを確立させないといけない。



そして、一番難しいケニアと日本のやり方の摺合せの部分。

本社との会議には、本社の人とこっちのアカウンタントは言葉が通じないから、

アカウンタントはもちろん出ない。




そこが、まず、難しいと思う。



だって、彼が本社の人と話せたら、一番勘違いが少ないし、

お互いにそれぞれの経験の高い状態で答えることができると思う。



今は、私の経験からしたら

「え???なにこれ?????」と思うことがたくさんある。



こんなんで、残高ちゃんとあわせられんのか?とおもうことが たくさんある。



でも、その理由を聞くと、アカウンタントのやり方には彼の経験に基づく理由が、

いつもちゃんとあるような気がした。



経理というその一つのやり方が違うだけで、

まるで彼が間違ってるかのように言われてるけど、

果たして、その真相はわからない。



実際に本当に間違ってるのかもしれないし、

こっちがだれもケニアでの経理の経験がなく、さらに本社を含め、

人数が多い(っていうか、1対みんな)だからそう思われてるだけかもしれない。



彼自身が、悔しい思いをたくさんしてるのかもしれない。




それでも、そういう中でやらなくちゃいけない。

難しい話になったら、到底私は英語では理解できないけど、

同僚くんもあまり難しくなると日本語では伝わらないときがある。



だから、ちゃんとよく話しあったつもりでも、

あとから勘違いをしてたりする。



しっかり確認しあったつもりでも。




それでも、大事なことになればなるほど、私は日本語に甘えた。

絶対に間違えてはいけないことを、

英語で確認するのは不安だし、

私の英語力とは比べられないほど同僚くんの日本語レベルが高い。




会社の大事なこととなれば、

間違えるわけにはいかない。


これも忘れてはいけない事実だった。



遊びでやってるんじゃない。

仕事でやってることなんだからと。



でも、このままでいいわけではないのも明らかだった。


私は、毎日18時に帰りたいと言ったら毎日18時に帰らせてもらえる。

でも、今はそうは言ってない。

ヒッポと同じ時間に行って、同じ時間に帰る。



ときどき、お腹が張ったりすることもあるけど、

それも言ってない。



でもそれは、自分がそう望んでるんだと思う。

お腹のことにかんしては、しばらくすればおさまるから今は言ってないけど、

なかなかおさまらなくなってきたりしたら、

それはちゃんと言うつもり。



ただ、できるだけ産休に入る前に仕事を覚えておきたいし、

せめて、毎月の経理の基本オペレーションだけは固めておきたいし、

早くそれを稼働させて、

改善すべき点がないか、それでちゃんと管理していけそうか、

様子をみておきたい。



給与計算だってそう。

ケニアの給与計算を、日本からしらべようと思ったら、

ネットだけでは到底調べられない。



英語やスワヒリ語を駆使できる人なら調べられるのかもしれないけど。




だから、日本からも確認できるように、

まずは日本人が見て、分かるようなわかりやすい説明が必要で。


そういうものが、詳細に作ってあれば、次の決算のときに何か合わないところがでても、

確認がしやすい。



やっておきたいことがたくさんあるし、

私自身が学んでおきたいことがたくさんある。



けど、とにかく、すべてはもっと英語を使えないと。

そこに尽きる。



ひとつの資料を作るにも、

英語でつくろうとしたら日本語でつくるのに比べて、



オール英語だったら3倍以上の時間を使ってると思う。



そういう日々は、私が望んできたものである一方で、

思い通りに進めることができないもどかしさが、半端じゃない。



英語であろうが、日本語であろうが、

私の質問の趣旨さえ伝わらず、全然聞きたいことと違うことを説明されたりすることもしょっちゅう。




心の中で、

「うん、それは理解してるよ・・・」と思う。

ときどき、妙に見下されてる気分になることがある。




でもそれは、相手がそういうつもりで話してるとかじゃないパターンが多い。

そういえば、AUSでも何度もそれを経験した。



英語を自由に使えなくて、周りの全員が私以上だから、

たぶん、心配してくれてのこともあるだろうし、私の伝え方が悪いことが多いと思う。



分かっていながら、ときどき、すごく惨めな気持ちになる。




同僚くんとアカウンタントとMTGをしたとき、

英語で話したことを、同僚くんが私のために日本語で説明してくれる。



そうすると、一生懸命英語を理解しようとしていた頭が一気に日本語に戻り、

自分から発信する英語がより重く、遅くなる。



私は、英語で聞いたことを無意識に頭の中で訳して理解し、

日本語を英語に訳して自分から発信してる。



もちろん、使い慣れたあまりに簡単なフレーズは別として。




だから、英語と日本語が両方使われると、より英語を使うことが難しくなる。

でも、英語だけでは理解できない部分があるのも事実で。

そのMTG中、途方に暮れた。



ただ、聞いてるだけで、

自分の意見は何も、言えなかった。



初めて、泣きそうになった。



帰り道、その話をヒッポと同僚くんにしたら、

「あー!それ、ちょー分かる!!」と、



意外にも私に共感してくれた。

ふたりも、私と同じ道を通ってきたんだと思ったら、

少し希望が見えた気がした。



ここを乗り切れば、また違う何かが見えるんだと思えた。




それでも、そんな気持ちになったからといって、簡単に状況が変わるわけもなく、

うまくいかない毎日が過ぎてった。



スッキリした日なんて、1日もなかった。




そして。

金曜日。



同僚くんがみんなの前である話をしている途中。

ヒッポのことを、



「彼はもはや日本人じゃない。

完全にインターナショナルな人間だ」



と言い、私のことを



「逆に彼女は、典型的日本人だ」



と言った。



私には、その部分があまりにもショックで、

その前後の話は覚えてない。



すべて英語の会話だったから、それがどういうニュアンスで話されたのか、

私は分かっていないのかもしれないけど、その瞬間は、



やってらんねー



と思った。




確かに、今、ここにいるのはヒッポの努力の結果だと思う。

それは、彼が試行錯誤しながら何年も何年も頑張ってきた結果のひとつだと思う。



それは、そばで見てきて本当にそう思う。



でも、そこには、私との生活だってプラスに働いていたはずだと思うことがあって、

それは多くはなくても、それがなかったら、今の彼はなかったと思う。

それくらい大事なことが、いろいろあったと思う。



仕事とプライベートは違うけど、

一人の人間。


絶対につながってる。



私たちは、全然タイプも得意なことも違う。

でも彼が、彼自身の目指すところへいこうと本気で思うなら、

おそらく彼は私以上に自分のかけている部分を補う必要があると思う。



それは、もし私が、彼と同じところを目指すならば同じことが言える。

でも結局、私に求められる部分はそこではないと思う。

社会人として、求められることを強化するよりも、

妻として、母として求められることを強化する方が優先される。



そんな中で、彼がインターナショナルな舞台に立てたのは、

同僚くんが言う、典型的日本人の私の、

日本の中で必要とされるたくさんのことについての指摘があったのも事実だと思う。




うぬぼれだと笑われても、私はそう思う。

この数年間、いろんなことを話し合った。

たくさん喧嘩もして、お互いにお互いから学んできた。



私自身も、彼からたくさんのことを学んできたし、

私の大きな決断のきっかけは、いつも彼がくれたように思う。

私一人では、思いつかなかったような選択肢を、彼はいつも私に作ってくれた。



それを、たいして知りもしないで、

そういうことを言われると、

本当にショックだった。



頭の中が真っ白になった。




あぁ、私なんて所詮そんなもんかと。

いなくてもいいと言われてるような気分だった。




確かに、会社から求められてここにいるわけじゃない。

ケニアにいることはまだしも、

仕事自体はこっちからさせてくれと頼んだし、

妊娠した時点で、一度白紙にされそうになったところを反論しての今。




働き始めたばかりの今、

本社からは何も見えないし、

正直、誰もが



必要ない



と思ってると思う。



私が本社の人間だったらそう思うと思うし。



だから、私は少なくとも、

会社が出してくれたビザにかかる費用と、

もらう給料分以上には価値を見出さなければ、本当に立場がない。

それも分かってる。




日本では、ケニアに行くっていうだけで「偉い」とか「逞しい」とか、

言ってくれる人がたくさんいた。




現地で出産することを、心配して反対してくれた人もたくさんいたけど、

それも「強い」と言ってくれた人もいた。




日本では、ただ、旦那の転勤で発展途上国についていくっていうだけで、

誰にでもできることじゃない

みたいな反応をもらうことがたくさんあった。



それは、自分の周りの人も、

ヒッポの周りの人もそうだった。



でも、日本から一歩出てしまえば、そんな反応は皆無だった。

少なくともケニアでは。



そもそも、ケニア人は自分の国なので、

日本人からのリアルなケニアのイメージなんて知る由もなく、

日本で当たり前なのに、ケニアにはないことも、知らないことがたくさんある。




それに、ケニアに住んでる日本人の人たちでさえ、

みんなそういう環境の中で暮らしているわけだから、

別に赴任に着いてくることも、英語を必死に覚えることも、

生活に不自由を感じることも、

すべてあたり前のこと。




そして、日本に6年も住んで、

日本の大学を卒業して、日本の会社に就職した同僚くんにとっては、

私なんてインターナショナルのかけらもないと映って当然な気もした。



でも。

2週間半しか働いてないけど、

やっぱり日本の会社だから、日本の大事なところのポイントをおさえないと、

円滑にはすすまないと思ったのも事実で、

経理以外の部分に関しては、

私はまだよく理解してないし、何もわからないけど、思うことがたくさんあった。



けど、日本だったら専門の部署があるのに、

そういうのが一切なくて、そのすべてを二人でやってきたんだから、

細かいところまで手が回らなくても仕方なかったのかもしれない。

私はそこを見てはいなかったから、何もわからない。




この週末、考えれば考えるほど、泣きそうだった。

でもたぶんそれは




同僚くんが言ったことを、自分も同じように感じるところがあるからだと思う。

私自身が、それを否定できるほど、

何も行動してなければ、

何も頑張れてもなければ、

何も戦えてない。




それが、事実で、

自分でもそう思ってるから

そう思い続けて、でもなかなかどうしていいか分からずに、

毎日モンモンとしてたところを、



思いっきりはっきり言われて、

ただショックだったんだと思った。




このままではいけないと焦る気持ちと、

ここはきちんとしとかなきゃいけないと思う気持ちと、

仕事のことばっかりになってベビのことを忘れたらいけないと思う気持ちと、



どれもスッキリしない。




でも、確実に、自分が望んだ環境がここにある。

それも分かってる。




心地よくて、思い通りに進むような環境では、物足りなくなってしまう私には、

自分自身が望んだ環境が今まさに目の前にあるのはとっても幸せなことだと思う。




ただ、そうは言っても、

環境だけで毎日ハッピーでいられるわけじゃない。




私は私の殻を、全然破けてない。



けど、たぶん、




この気持ちをスッキリさせられるのは、自分の行動でしかない。

自分の行動の積み重ねの結果、何か変化を感じられる瞬間でしかない。



ここだけは、誰にも代わってもらえない。

代わってもらい続けたら、一生何も変わらない。



自分の力で一歩先に進まないと。




本当に、腰が重い。




こういうとき、本当に、私には海外なんて合わないと思う。

全然、合わないと思う。




なにやってんだろって思う。




自分に自分で、




ばかなんじゃないの?



って思う。




今は、全然すっきりしてない。

なんの答えも出てない。



この週末で、なんとか前向きになろうとしたけど、

全然前向きになれてない。



明日が楽しみで、憂鬱で。




でも、それでも休みなくやってくる毎日を、

逃げないで過ごし続けることも大事なことだと思うから。




今はそれしか思えないけど、

明日からまた頑張ろうと思う。