フランチェスカとルカが来てからあっという間に二人は京都へ旅立ちました。



今回は、結婚式前だったから日中はほとんど一緒に出かけられなかったけど、

会えて本当によかった。



この数日、また思うことがたくさんありました。


日本で会うと、また別の楽しさがあったような気がする。

その大きな違いは、彼らにあるのではなくて、自分自身にあったように思う。



あたしは、オーストラリアにいるときは一人だったから、

いつもどこか不安だったし、心細かった。


だから、いつも二人に頼っていたし、特にフランチェスカはそれを察しているかのように、

あたしを助けてくれた。


でも、あまりに孤独だからこそ、

一人になりたいときもあった。

彼らを誘わずに一人で出かけたこともあったし、

誘ってもらっても断ったこともあった。


それが、どう映るにせよ、あたしには一人の時間が必要だった。


昨日、夕飯を食べながら3人で話していて。

オーストラリアの話題になったとき、「サーキュラーキー」っていう名前が出てきて。


あるエリアの名前なんだけど。


そのワードが出てきたときに、あたしは心の中ですっごくモヤっとした気持ちになった。

サーキュラーキーに悪い思い出なんてないし、嫌いな場所とかでもない。


でも、あの場所を一人で歩いた記憶がよみがえってきて、

そのときの感情がリアルによみがえってきて、

無意識にそのときの自分の心境と今の自分の心境を比べたんだと思う。


今は、大阪といっても、

何もストレスに感じてない。

それもオーストラリアでの経験がとても大きな意味をなしているとおもう。


友達に会えないとか、

知り合いがいないとか、

話し相手がいないとか、

そんなのが何も苦にならないのは、


あのときの孤独に比べたら、孤独なんて全く感じないからだと思う。


ブがいればそれで全ていいかっていったら、

それは違うと思う。


あたしたちは、二人でいるからこそ、

外に出る必要があるし、それが相乗効果をもたらすと思うから。


でも、その根本には、計り知れない安心感があって、

この貴重さも一人で海外に行ったからこそ感じられることだと思った。


なぜ、フランチェスカがあたし一人のために日本に来てくれたのか、

あたしは正直不思議だった。



あたしは、彼女みたいなお姉さん体質じゃないし、

オーストラリアにいた頃も、あたしは彼らにいつも気を配れたわけではなかった。

疲れたら、疲れたって顔に書いてあるあたしに、

常に気を回し続けることは難しい。


増して、心から気を抜ける場所のないオーストラリアでは、

そこにいた約5ヶ月の間、常に気を張っていたように思う。


なぜ、あんなにも懇願した海外の生活に戻りたいと思わないのか。

それは、その感情に尽きると思う。


なぜなら、それ以外のことは言葉にしようがないほど、あたしには刺激的であり、

楽しさなんて、尋常ではなかったから。


でも、心を休める場所がない。

心をほどける人がいない。


そのこと一つで、大きく変わってしまう。

あたしが弱いだけかもしれない。

でも、ださくても、それがあたしが感じた本音だった。


彼女はあたしとは別のタイプで、友達もたくさんいる。

日本が大好きだけど、日本人の友達もたくさんいる。

あたしより前に日本に帰った人も、あたしの後から帰ってきた人もいる。


それでも彼女は、あたししか住んでないこの関西地区を、

初めての日本旅行に選んでくれたのには、本当に嬉しい半面、不思議だった。


まして、今はあたしが忙しくてずっと一緒にはいられないことも話してあったのに。


でも、今回あたしの家でいろんな話をして。

きっと、いろんなことが違うし、感覚も感情も違う。

でも、あたしが旅行が好きな訳と、彼女が旅行が好きな訳が果てしなく近いのかもしれないと思った。


自分が、学生の頃に教科書で見てた場所を、

自分の目で見てみたいとか。


地球に生まれたのに、自分が日本に生まれたからって、ずっと日本にいる必要なんてないとあたしは思ってて、

同じように彼女もずっとイタリアにいることなんて望んでない。


もちろん、あたしは日本が一番好きだし、居心地がいい。

それを同じように、彼女もそうイタリアのことを感じてると言う。



あたしたちは、本当の意味で込み入った話をすることはできない。

あたしは言うまでもなく、全ての考えも状況も、気持ちも英語にすることはできないし、

彼女はあたしよりも英語が堪能だけど、

話が込み入ったそれぞれの文化や歴史の話になってくると、

言葉に詰まる。


それ以上は、お互いに説明できない。


でも、あたしは日本とは違う彼らの文化や習慣、感覚の話を聞くのが大好き。

そういう話をしてるときが、あたしたちは一番話が盛り上がると思う。


きっと、そういうところで、彼女もあたしと同じように感じてくれてる何かがあったのかもしれない。

そう思ったら、余計嬉しかった。


日本の友達と話すように満足いく話ができないときがある。

ちょっとでもボーっとしてたら、何を話してるのか分からなくなる。


でも、英語でしかコミュニケーションを取れないのに、

こうして友達になることができるんだって思ったら、本当に幸せな体験をしていると思う。


当たり前の流れなのかもしれないけど、

あたしには、それが決して当たり前ではなかった。


もっと、英語を頑張って、

もっとたくさんの人と、話がしたいって思ったし、

より強く、海外に住みたいと思った。


きっと、日本が一番居心地がいいのは、どこに住んでも、ブが一緒でも感じると思う。


でも、海外では、日本にいては気づけないことに気づかされるときがある。



あたしは、日本はどんどん新しいものに変えてしまって、

ヨーロッパのような古いものを大切にする習慣ってそんなにないと思ってた。


でも、彼らはあたしたちが生まれる前に描かれた日本の漫画の風景そのものが

そこらじゅうに残ってるって言う。

それがとってもおもしろいっていう。


住んでいるからこそ当たり前になってしまっていること、

自国には気づかないうちにそういうことがあるんだって、

あたしは知らなかったから。


海外に、旅行に行くのと住むのは全然違うといわれた。

実際に自分でそれを経験してみて、本当に違うとおもった。


でも、その国に生まれた人の見方が必ずしも正しい見方ではないのかもしれないと思った。

あたしたちがないと思ってる日本の印象が、

いい意味で海外の人に感じてもらうこともあるんだと思った。



あたしは、よく海外に行くと、お店の店員さんとかが日本と違って、

とってもフレンドリーだなーって思ってたけど、

彼らは日本のお店の接客の親切さに驚いてた。


店に入れば「いらっしゃいませ~」と声をかける。

彼らには、いらっしゃいませに当たる言葉が存在しないという。

だから、その言葉の存在ひとつに感動する。


それってすごくない?!?!?

ってあたしは思うんだ。


やっぱり、オーストラリア行ってきて、本当によかった!!!!!!!


慣れ親しんだ二人が来てくれて、

ブの前で痛い英語を披露するのも恥ずかしくなくなったし 笑


一回、そこを越えてしまったら、

なんでこの前、友達カップルと話すときあんなにモジモジしてたのか、

分からないくらい。


でも逆に言ったら、

あの経験をして、

それでもあたしの気持ちを汲んでくれた友達とブの存在が、

今のあたしを作ってくれたのかもしれない。



ア~~~~~~~~~~~~~~~~~

早く海外生活した~~~い!!!