オーストラリアに来てから、基本的に1人で毎日を過ごしてる。
当たり前だけど。
もちろん、学校の友達と遊んだ時間もある。
バイト先では唯一、日本語でスタッフと会話をしてる時間もある。
そして、メールでは日本の人たちといろんな話をしてる。
でも、正直、オーストラリアに来てからのこの2ヶ月とちょっと、
心から気を抜けた瞬間なんて一瞬もなかったように思う。
寝ていてもそう。
寝ているけど、眠りが浅い。
物理的な睡眠をとってるだけで、精神的な休息なんてとれていないような気がする。
それが、あたしが選んだことであり、
これが、あたしが望んだ生活なんだっていつも自分に言い聞かせる。
そのぶん、今あたしが感じられること、
いろんな人たちから受けるいろんなことは、やっぱりそれだけ尊いことであり、
興味深さに関しては、衰えるどころか、
日本にいた頃より、もっと、海外に興味を持った。
日本から、出てみて、
日本のよさにもいろいろ気づいた。
でも、あたしの場合は、
日本自体の良さというよりは、日本にいたときの周りの人たちの存在の大きさ。
生活でいえば、
今あたしがいるシドニーは、本当に都会で、
なんでも売っている。
手に入らないものなんて、思いつく限り何もない。
日本のものであってもね。
電車やバスに多少のルーズさはあっても、そんなに気になるほどでもない。
昨日、駅でもらったいつもの新聞。
一面からは、日本の報道が消えていた。
当然のことだと思う。
遠く海を越えてある小さな島国の、震災が1週間、一面で取り上げ続けられたことが、
いかにその被害の大きさを物語っているだろうかというくらい、
ここは離れている。
そして、みんなが電気に困ることも、日用品に困ることもなく、
生活をしてる。
彼らには彼らの生活があり、当たり前のこと。
学校では、今、みんなが日本人に気を使ってるような気がする。
あたしが笑っていないと、あたしから地震の話題をふってしまうと、
困らせてしまう気がする。
それに、あたしが笑っていても笑っていなくても、
日本の状況が変化するわけじゃない。
それだって、よく分かってる。
あたしの家族も友達も、大丈夫だったんだから、
あたしは学校では、これまでどおりの自分でいなければと思う。
そういう自分を、忘れてはいけないと思う。
でも、ここでは当たり前の温度差を感じる。
確かにあたしの周りの人たちは、怪我をすることもなく無事で、
本当によかった。
でも、遠く離れているからこそ、
自分がその揺れを全く感じたことがないからこそ、
その地震の規模を感じることなんてできなかった。
何も情報がなくて、
あたしに最初に入ってきた情報は、
東京に住んでる子の実家の屋根が落ちたこと。
横浜の道路が割れたこと。
電車が全て止まって、停電してること。
仙台が津波で町ごと海に沈んだ。
これだけ。
多少の誤報があったのかもしれない。
屋根が落ちたのは、後から聞いたところによると、
近くの工事現場のクレーンが飛んできたらしく、運悪くその子の家に直撃。
幸い家には誰もいなくて、家族はみんな無事だった。
これしか知らない状態で、
家に電話しても、ブに電話しても全くつながらない。
あたしのケータイからのメールは、海外に送ることができない。
家に帰って、PCからメールを送ることしかできない。
バイト先から、家にたどり着くまでの約30分。
あたしは、過去の人生にないくらい怖かった。
さらには、メールで無事を確認できなかったブから、
電話があるまでの、さらに10分間。
精神状態は狂っていたと思う。
思い出すだけで、鳥肌が立ち、涙が出る。
離れていること、見えないこと、感じられないこと。
1人でみんなと離れて、今、あたしは日本にいたころより精神が鍛えられて、
強くなった部分もあるかもしれない。
でも、そこにあるリスクの大きさを、思い知らされた。
日本で、「海外で生活してみたい」と言っていたあたしが、
まるで別人のように、想像の甘さを感じた。
だから、今もなお、
あのときあたしが感じたことと同じことを思って、
家族の、恋人の、友達の無事を祈って連絡を待ってる人がいると思うと、
その人たちの気持ちを考えると、
とても何かを楽しめる気分にならない。
きっと、ここオーストアリアに住んでる日本人の中にもそういう人がいる。
こんなときだからこそ、普通に生活することが大事。
うん。
確かにそうだと思う。
あたしもそう思う。
だから、精一杯、そういうふうに振舞ってきたけど、
あたしにはあたしにしかない感情がある。
それはみんな、持っていて、全く同じ感情の持ち主なんていない。
あたしは、今、ここにいて、
それをあたしの目の前で聞いてくれる人がいない。
スカイプで話しても、あたしのこの感情が払拭されることはない。
スカイプは映像だから。
本人が、あたしの目の前にいるわけじゃない。
そこには、比べようのない差がある。
それなら、日本の電気を守るために、スカイプを使わないほうがいい気がする。
少なくとも今この瞬間は。
心おきなく話せる相手と、
目の前で話ができることが、こんなにも意味のある、
価値のあることだなんて、ここまで感じられたのも、ここにいるから。
それも、ひとつ学べてよかったと思うことにしてる。
この、どうしようもない感情を、
それでも自分でなんとかするしかない。
自分で出口を見つけて歩くしかない。
泣いてても、笑ってても、
進むのは自分の意思と足しかない。
誰も手をひいてはくれない。
でも、そういう半年間を、あたしは自ら望んだんだ。