前記事 ボードゲームの日本語化 前書き
記事の要約
・日本語化の必要性には、「言語依存性」が大きくかかわる。
・言語依存性とは、プレイ中に読まなければならない文章の量のこと。
・言語依存性の低いゲームは、日本語化がいらないことが多い。
・言語依存性の高いゲームは日本語化必須。
さて、まず問うべきは、「ボードゲームって日本語化しないといけないの?」という問題である。
これについては、「ゲームによる」というのが答えだろう。
正確に言うと、「ゲームの言語依存性による」ということになる。
言語依存性とは、簡単に言えば、「プレイ中にどのくらい文章を読まないといけないか」、という意味になるだろう。但し、このなかにルールブックを読む作業は含まれない。
たとえば「チェス」。チェスは言語依存性がほぼゼロのゲームである。駒には「キング」「ナイト」などと横文字の名前がついているが、見た目で判別がつくため覚えなくてもよいし、ナイトを「馬」と呼んでもゲームは成立する。駒の種類と動き方さえわかれば、文章を読む必要は一切ない。
「将棋」は駒の名前が文字で書かれているが、あれも文字を絵としてとらえても問題ないので、同じく言語依存性はないと言えるだろう。
ヨーロッパ製のゲームには、言語依存性の低いものが多い。
「バトルライン」は、ドイツ人のライナー・クニツィアによる作品だが、ドイツ語が分かる必要が一切ない。必要な情報はすべてカードの数字と色にまとめられており、カードの名前は単なるフレイバーにとどまっている。
もっと大きなゲームでは、「ナヴェガドール」という作品がある。これも同じくドイツ人のマックゲルツの手によるものだが、そのルールの多さのわりに言語依存性は低い。こちらもたいていの情報は数字や駒で表されており、必要なのは「Market」「Building」と言った簡単な単語だけで、これもやっているうちに自然に覚えてしまうだろう。
ヨーロッパは様々な言語が混在する地域なので、いろいろな背景の人々が集まって遊びやすいよう、このようなデザインが好まれるようだ。さらに、ヨーロッパのゲームは抽象化を好む。まず数字やダイスを使った面白いメカニクスを作り、そこに後からテーマを「かぶせた」ような作品が多い。ここにも言語依存性を下げる原因があると思う。
これらの言語依存性の低いゲームにおいては、いわゆる「日本語化」は必要ないことが多い。一度ルールが頭に入れば、それ以降はプレイに支障がないからである。誰かが説明のためにルールを把握しておく必要があるが、それだけならばわざわざ和訳を文章に起こさなくても可能である。もちろん、そのための補助としてルールの和訳を作っておくのもよい。
一方、アメリカ製のゲームには、言語依存性の高いものが多い。特にカード類。処理の方法が文章で書かれていて、その枚数も多い。プレイ中には相当量の文章を読む必要が出てくる。
アメリカ国内は英語で統一されているので、ヨーロッパで見られた言語問題は特に気にする必要はない。また、アメリカ人はゲームの「フレイバー」を重視する。フレイバーとはいわば具体性である。「多少ルールが複雑になってもよいから、原作の雰囲気を味わいたい」というのが、アメリカのゲームの設計思想である。この点、抽象化を好むヨーロッパ系ゲームとは対照的だ。
たとえば前書きでも挙げたSTARWARS Rebellion。写真を再掲するがすさまじいカード量である。これらには処理の指示がすべて文章で書かれている。スターウォーズの世界をそのままに味わうには、数字で抽象化された処理よりも、文章で細かく指示された処理の方が都合がよいのである。
このようなゲームでは、日本語化が必須である。詳細な理由は別の記事で述べるが、簡単に言うと「言語ストレス」がかかるためである。
ゲームをするとき、我々は「状況の把握」と、それにもとづいた「行動の決定」を交互に行っている。頭を使うのはもちろん後者である。よりよい決定を下した方が勝者となるのだ。必然的に、ゲームの面白い部分もこちらである。
しかし、言語依存性が高いゲームを日本語化せずにプレイすると、「状況の把握」につぎ込む労力が大きくなる。自分の手持ちのカードの処理を把握するだけで手いっぱいになってしまうのだ。こうなると、人間の処理能力は有限なので、「行動の決定」にまわす労力がなくなってしまう。ゲームの面白さを味わえなくなってしまうのだ。
無駄に疲れるうえに面白くないとくれば、二度とそのゲームを遊ぶ気が起こらなくなるだろう。遊び相手を失うことは、ゲーマーにとって致命的である。
次回は言語ストレスの詳細について述べようと思う。
*全くの余談だが、STARWARS Rebellionには次のようなルールがある。
「反乱軍の戦闘機は星系間を移動できるが、帝国軍の戦闘機はできない」
はたから見れば意味不明な例外処理である。もちろんスターウォーズファンなら、反乱軍の戦闘機にはハイパードライブが搭載されている一方、帝国軍の戦闘機には搭載されていないことを知っているのでこのルールは「なるほど」という感じなのだが、ゲームの明快さは明らかに犠牲になっている。こういうところがフレイバー命のアメリカ魂なのだ。