「生活に役立つ詩、つまりはタワシのような実用的な詩を書きたい」
詩人の石垣りんさんが、かつてこんなことを言っていました
この気持ち、とてもよく分かるのです
自作自演のフォークシンガーとしては、まさに生活に役立つ唄を作りたいのだから
今日(午前様になったから、昨日だべ)、大地に太い根っこを張ったようなフォークシンガーと出会いました
その演奏を聴いて、素直に心を揺さぶられたのです
自作自演シンガーの唄を聴いて、そのようになったのはここしばらくありませんでした
自分自身が自作自演を中心としているので、同じようなスタイルのフォークシンガーに対して、斜に構えているのかもしれません
自己洞察すると、このような仮説が導き出せます
そのフォークシンガーに、よい意味で自分のつまらないこだわりを崩されました
ただし、崩れないこだわりもあります
僕は唄を作ろうと思って作るわけではありません
演奏するより文を書きたい人間です
だから、メロディなんか意識せずに詩を書きます
その中でたまたま、これかなと思った詩を、詞にして唄に加工するだけです
だから、とても効率がわるい
詞と詩の違いは何でしょう
自分なりの答えとしては、最初からメロディに乗っける積りで書いたのは詞
自然と、時には苦しみながら自分の外へ出てきたのが詩
詩作には、意識していない時間が相当かかっています
詩人、金子光晴さんは「詩はウンコのようなものだ」と言われていました
僕の詩をメロディに乗せたのが唄ですが、金子さん流に言うなら、ウンコの加工品になるのでしょうか
それが実用的かどうかは分かりませんが、ウンコはとりあえずは畑の肥しにはなるでしょう
これは、実用性がありますね
しかもそのおかげで農作物が育つのだから
願わくば僕の唄(ウンコの加工品)は、誰かの心の肥しになれたなら嬉しい
しかしこんなことを書いていたら、誰しも嫌がるでしょうね
それでも肥やしになるかなと思われる方は、演奏会場に足をお運びくださいませ
ひねくれた唄が多くて面白くないかもしれませんが
演奏よりも書くことが好きだし、今のところ不特定多数、じゃない不特定少数の方々の前で演奏する予定が、夏にかけてほんの少しだけあるだけです
仲間内のパーティ的な演奏会場は苦手です
気が付いたらいつもひとりになっているから
それより知らない人の前で演奏したいのです
ということで、分かって頂ける方の日常に役立つような、実用的な唄を作りたいのですよ
いつか作りたい
タワシのような、日常生活にお役立ちの唄をね