「風に吹かれて」
このタイトルから、皆さんは何を想像するだろうか
ボブ・ディランの名曲が真っ先に思い浮かぶ方も沢山いるだろう
しかし、私にとっての「風に吹かれて」は、五木寛之氏の著書なのである
「風に吹かれて」の文庫本をズボンのポケットにねじ込んで、いろんなところへ旅をした
そして今は、図書館で借りてきた「「新・風に吹かれて」を紐解いている
五木氏の著書はいくつも読んだが、氏はこんなことを何度も綴っている
「人生において本当に必要なものは、驚くほど少ないのだ」と
自分にとって、本当に必要で大事にしたい人や物は何か
自問するならそれは家族であり、生涯の友であるM君であり、そして「風に吹かれて」の本と、Martin-d35(ギター)である
詳しい経緯は省くが、東北大震災が起きてから一年後、郡山市で行われた福島県フォークソング協会のチャリティライブで、演奏の機会をいただいた
打ち上げの席で、双葉町から避難してきている一人のフォークシンガーとしばらく話し込んだ
そしてフォークシンガーは、こう言った
「何とかして、俺のGibson(ギター)を取りに家へ戻りたい」と
彼の人生にとって本当に必要なものは、Gibson-J45なのだ
しかし放射能に汚染されているから、もう使えないだろうと溜め息交じりに話す彼は、既にあきらめ顔だった
原発に関わる本を読んだり、講演を聞くごとに、どうしようもない現実が広がっているのだと知る
「現実を知らないよりは、知っていたほうがいい」
「起きてしまった過去は変えられないが、未来は変えられる」
四十年以上も一貫して、反原発の立場を貫いている京大原子炉実験所助教、小出裕章氏の言葉である
先日、小出氏の講演を聞いた
原子力研究の第一線にいる氏は、原発の危険性を理路整然と、しかも我々に分かり易く説明してくれた
思うに原発被害への楽観論がはびこる今、悲観論はそれこそタブー視されている感がある
しかし
現実を見据えない楽観論は不毛である
まずは悲観論を自軸に打ちすえながら、現実に対処しなければならないのではないか
我々一人一人は、この上なく危険な原子力にどのように向き合ったのかと、未来を背負う子どもたちから必ず問われる
小出氏の講演会場から帰路に立つ時、こう思った
双葉町のフォークシンガーが使っていたギターは、もうどうすることもできないのだと
放射能汚染は「風に吹かれて」拡がっているのだ