根岸外国人墓地 | ちょっとしたこと

根岸の七曲りの坂を登った後、根岸外国人墓地に行ってみました。

こちらもずっと気になっていたし、七曲りから歩けそうなので。

途中、高級住宅街を歩いたりして、その道中も興味津々。

 

墓地にはどこから入るのかと思っていたら、山手駅の近くの方に入口がありました。

 

 

左側の小さい門から入ることができる。

 

 

ここに書かれていることが、気になったりも。

 

 

表札にも日本語の上に英語でも書かれている。

 

 

入ってみると、夏で緑が豊かだからか公園のような雰囲気。

前に見たこの墓地についての写真では、冬に撮ったのか枯れ木ばかりだったので、よい意味でちょっと意外。

 

 

 

道路を隔てて、向こう側は住宅街。

 

 

こういう鮮やかな花が咲いていると、気持ちが和らぐ。

 

 

故人が眠る場所を撮るのはどうかと思い、なるべく故人がわからないように撮りました。

 

 

こちらの石碑には「REST IN PEACE」と「慰霊」と書かれている。

GIベビーたちの鎮魂のためのものらしいけれど、そこには触れていない。

 

 

こちらのお墓には、クリスマスの飾り付けがされていた。

クリスマスの時期にお参りしたままなのかな。

 

 

緑豊かなのがよい。

 

 

上の段に上がる。

この墓地は、大きく3段になっている。

それぞれの段にも数段の段差があるけれど。

 

 

思っていたよりも、お墓の間隔が空いている。

山手にある外国人墓地よりも敷地に余裕があるのかな。

それと、土の部分が多いので、より土葬を感じる。

 

 

この広いスペースに墓碑が点々としている。

 

 

この墓碑だけ、やけに大きい。

 

 

子どもの像があるのが気になる。

 

 

この女の子の墓碑を見て、胸が詰まりそうになった。

なので、ここだけしっかり撮ってしまった。

墓碑にはこう書かれている。

 

BORN 29 JAN 1948

DIED 30 JAN 1948

 

生まれた翌日に亡くなっている。

そして、きちんと埋葬している。

他の墓碑よりもしっかりとした形で。

特別な愛を感じる。

 

 

墓地の周りは崖なので、奥の方は見晴らしがよい。

 

 

3段目へ。

 

 

3段目には、小さな墓碑が点々とある。

それらがないと、墓地とはわからないかも。

 

 

3段目の先は横浜市立仲尾台中学校なので、生徒たちの賑やかな声が聞こえる。

 

 

左右は崖。

 

 

 

かなり高台。

 

 

少し階段がある。

 

 

敷石と平行して、墓碑がぽつぽつとある。

 

 

本のような形をしている墓碑が、いくつかある。

 

 

 

中学校の裏にも墓碑がある。

 

 

生徒たちの声が聞こえる所で眠るのも、悪くないのかも。

 

 

こういった所にポツンと墓碑があるので、うっかり踏みそうになる。

 

 

3段目のメインの墓所の方へ戻る。

 

 

中学校との境界の近くにも墓碑が。

 

 

3段目から見下ろした、下の方。

 

 

ちょっとした階段も墓碑かと思ってしまう。

 

 

この先は行けなさそう。

 

 

そろそろ降りよう。

 

 

1段目に戻って、周辺地図を改めて見た。

観光スポットが紹介されている。

 

 

その上にお花が。

木槿なのかな。

 

 

一通り見たと思うので、帰ろうかと。

 

 

門を出て少し坂を降りたら、山手駅に京浜東北線がいるのが見えた。

 

 

反対方向から来たので気づかなかったけれど、すごく駅に近いのね。

 

 

 

*  *  *

 

 

根岸外国人墓地が気になったのは、こういう記事を見ていたから。

 

GIベビー案内板、市が削除し書き換え 横浜・根岸外国人墓地

 

なお、ここにはこう書かれていました。

 

 

根岸外国人墓地

根岸外国人墓地は、文久元年(1861)に山手地区に設置された横浜外国人墓地が手狭になって拡張する土地がないことから、居留外国人より新しい墓地の開設が要望されたため、明治13年9月30日政府により根岸村字中尾の地に新設することが認められた。しかし、墓地の管理問題や立地が不便だったこともあって、本格的に使用され始めたのは、明治35年(1902)横浜市に管理が移管された以降と考えられる。

 

この墓地は第二次大戦後占領・接収されていたとも言われ記録類が消失したため、正確なことは分かっていないが、現在1200有余の外国人が埋葬され、墓碑は160墓程が確認されている。また、外国人船員、関東大震災罹災者及び第二次大戦後に埋葬された嬰児(幼児)など、埋葬者名が不明なものも多い。

 

著名人では、関東大震災で亡くなられた、アメリカ領事キリヤソフ夫妻、世界一流の音楽家を日本に紹介したストローク氏(イタリア・1965年没)が埋葬されており、また記念碑としては「外国人震災慰霊碑」(横浜市)がある。

 

[昭和60年より2年の歳月をかけて、横浜市仲尾台中学校歴史研究部(顧問田村泰治氏)生徒により、当墓地の沿革・現状調査を実施した。]

 

異国の地に眠る故人の永遠の安息を祈る。

 

(文責 横浜市健康福祉局)

 

根岸村字中尾から、今は仲尾台に地名が変わっていますね。

 

やはりGIベビーには触れていない。

ただ、嬰児の埋葬は実際にあり、それについては濁しているような。

 

実際、どれくらいの人たちがここで眠っているのかはわからないけれど、その方々が安らかに眠ることを私も祈りたい。

 

多くの外国人がここで生き、存在していたことに私も気づくことができたので、こちらに来てよかったと思う。

墓碑の文字は英語だけではなく、漢字やカタカナで書かれていたのも印象的でした。

 

 

ではでは、こちらはこの辺でクローバー