今日は、横浜美術館にも行ってきました。
横浜美術館は、今月15日にリニューアルオープンしたばかりで、現在は第8回横浜トリエンナーレを開催中。
なお、リニューアルオープン後の予定はこちら。
久しぶりに横浜美術館に入れると思い歩いていたら、美術館の壁に何か描いてある。
外壁もアートにしちゃうとは。
手前のモクレンのピンクがかわいかったりする。
思えば、入り口にピラミッドのような三角がある。
この美術館、大きいよね。
なお、館内での撮影は禁止されている作品以外はよいとのこと。
中に入ると、巨大な赤い物体が。
これはネットで見ていたので知っていたけれど、やっぱり何か圧を感じる。
このフロア(2階)は無料で見られます。
3階は有料会場。
チケットを受付で見せてから、エスカレーターで上がって。
まず目に入ったこれってそれぞれ何かの形に見えるような。
3階でも赤いものが。
今回はなんだか赤とか、生々しいものや、ちょっとグロテスクなものが多いような。
こちらはグロテスクというよりも、人間が簡単に肉を食べることへの違和感を訴えている。
この言葉が印象的。
肉というのは、そもそも毎日食えるような手軽な栄養源ではないよ。
昔は晴れの日に食うようなものだったのに。スーパーに行けば、軽く買えちゃうタンパク源ではないんだよね。
本当はもっとメッセージがあるのだけれどね。
確かに、簡単に手に入ってしまうから、人間は他の動物の命に対しての感覚が麻痺しているのかも。
これを見て、振り返ったらまたこちらが目に入って。
これ、動物の肉や血に見えるのよね。
それと、東京オリンピックの開会式で見た赤いロープを連想したり。
その赤いロープについては、こちら。
こちらにもかなり衝撃的な展示があって。
写真を撮ったけれど載せるのをやめたくらい。
それが等身大の人形だとわかっても、かなりインパクトがあって。
芸術というよりも、社会や政治に対してのアンチテーゼのような。
全体的にそういう作品が多い。
国家に従順に従うことに疑問を投げかけるような映像があったりと。
いろいろとプロパガンダを感じる。
DSというものを知る前と知った後では、この展示会に対する感想がかなり違うと思う。
私の近くにいたある小さな女の子が「怖い」と言ったのは、既成概念があまりない幼い子だからだと思う。
大人はそれを口にしない。
どんなに不気味でも「これはアートなんだ」と脳内で変換しちゃう。
赤というのは、血肉をイメージする。
攻撃的であり、一方で情熱的でもあり。
この大きなテントのようなものは、三角形を意味しているような。
そんな風に見ていたら、この展示会はたくさんのDS要素であふれていた。
とかく陰謀論と言われてしまうけれど、DS関連のことを調べた人がこの展示会を見たら、ハッとすることが多いと思う。
こちらは暗い部屋の中で映像が流れている。
広いスペースの中での展示方法は、芸術性を感じる。
こちらの大胆な青い面も。
高い所に作品を展示して見上げることで、崇拝するような感覚になるのかも。
1930年代に活動した日本の版画家、谷中安規氏の作品が並んでいる中で、こちらが気になり。
三角と丸がね。
美術館というと絵画が展示されていると思ってしまうけれど、こちらでは写真もたくさん展示している。
これを見て、みなさんどう感じるのかな。
私はちょっとゾッとした。
この骸骨の間に女の子の人形が見えるのは、意図的に思えたし。
インパクトが強い作品ばかりの中、縄文土器に癒されたりして。
この女の子の人形が、かなり衝撃的だった。
その横の写真は、目をふさがれているものだし。
これを見て「アッ!」と思う人は、DSについていろいろ調べた人だと思う。
これってあるキャラを連想するよね。
私が「いろいろとDSくさい」と思ったのは、こちらの展示を見て更に。
「子ども銀行」だって。
「子ども」と書かれた片目のイラストに針のような棒が刺さっている。
これって、匂わせすぎというか直球じゃない?
段々と、違う意味で興味深くなってきた。
これを見て、ロンドンオリンピックの開会式を連想したし。
パイプのベッドがたくさんあるって、それとほぼ同じ状況。
他にもゾクゾクするような作品が、たくさんあって。
テレビがない時代は、教会や美術館がプロパガンダを発信する所だったというけれど、まさにそんな印象。
赤やゾクゾクするようなものを大衆に見せて、潜在的に不安感を残すような。
有料会場を出て、2階へ。
大階段では、遊牧民の住まいをモチーフに、人びとが憩うための空間が登場するとのこと。
確かにそんな作品がいくつか。
なんなら、こういう作品は街でも見かけるような。
こちらもかなり印象的。
この作品についてはこういうことだそう。
エマニュエル・ファン・デル・オウウェラ
ビデオスカルプチャー XXVIII
2020年、ドナルド・トランプ前アメリカ大統領の支持者が国会議事堂を襲撃しました。
まるで教会の祭壇画のように仕立てられた30枚の液晶ディスプレイに映る映像は、その時インターネット上に投稿された動画をもとにしています。
画像にはノイズが入り、ケーブルはむき出しで床に垂れ下がっています。
いわば映像を生み出す舞台裏ともいうべき装置類が一緒に目に入ると、現代の英雄であるかのようにふるまう支持者たちの熱狂も、なんだか少し遠いものに感じられます。
作者はこうして、マスメディアやSNSがあおる陶酔に対する距離感を巧みにつくり出しているのです。
これを読んで、ニヤけちゃったよ。
国会議事堂の襲撃については、やらせっぽいとかいろいろと情報があったし。
一方で「トランプが英雄であるかのように」や「マスメディアやSNSがおある」などのくだりはうなずける。
個人的には、トランプ氏絡みのSNSでの発信は、日本においてはコロナを茶番と思う人へのガス抜きか、プランデミックを遂行するための話題そらしだと思っている。
この配線だらけが、面白かったりする。
基板がむき出しなのは、芸術だと思う。
フロアを歩いて見上げれば、目のように見える天井。
そして、この巨大な赤い作品。
これについては、こういうことだそう。
サンドラ・ムジンガ
そして、私の体はあなたのすべてを抱きかかえた
赤い浮遊物と、地面に立つ茄子色の物体。
そのかたちは恐竜やSFに登場する怪獣を思わせます。
鉄を用いた骨組みは、ロボットやサイボーグを連想させるかもしれません。
まるで古代と未来が複雑に重なり合うようです。
ムジンガは、遠い過去またははるかな未来において、今より厳しい環境に生きる「自分ではないもの」になってみたらどう感じるのかを想像するのが好きだ、と語ります。
ではわたしたちもこれらの「怪獣」の身になって、たとえば自分が地球環境の変化により死の脅威にさらされていると想像しましょう。
すると、表面の皮膚だけでできたその姿が、わたしたちを包み、外の世界から守ってくれる衣服のようにも思われてきます。
これを見て、いろいろと想像できるよね。
私はぱっと見で、ハリウッドの女優が着ていた赤いドレスを連想した。
そう思っていたら、例の黒い少女の人形や子ども銀行があるし。
偶然にしては、ありすぎ。
そんなこんなで、この展示会全体である種のネタばらしをしているように思ったりもして。
ということで、本来の感想とは違ったとても興味深い展示でした。
ではでは、こちらはこの辺で