本郷ふじやま公園 | ちょっとしたこと

ふとしたことから「本郷ふじやま公園」という公園があるのを知り、そこに古民家があるとのことで行ってみました。

 

その古民家の旧小岩井家住宅は、江戸時代末期の建造物で横浜市の指定文化財であり、一般の農家とは異なる名主のお屋敷とのこと。

詳しくはこちら

 

そのふじやま公園へは、JR本郷台駅から歩くこと20分くらい。

その道中、度々マップを見つつ、辿り着けるか不安に思っていたところにこちらが見えてほっとした。

 

 

この手作り感のある案内は、住宅街にポツンと貼ってあるのでちょっと不安になるけれど、あるとないとでは気分的にだいぶ違う。

ちゃんと誘導してくれたし。

 

 

無事に到着。

右側の階段はめちゃくちゃ長そう。

今回は、古民家をメインに見に来たので左側の道へ。

 

 

古民家がある所は、そんなに高台ではないみたい。

この公園、高い所だと階段が300段くらいあるようなのでちょっと気になっていた。

 

 

いい感じのお庭。

 

 

古民家に続く道は、既にその雰囲気が。

 

 

富士山が見えた。

こうして見るとここはちょっと高台だったりする。

 

 

300段よりはましなので、この坂道もへっちゃら。

 

 

長屋門が見えてきた。

この門からして、名主の雰囲気が漂う。

 

 

茅葺き屋根。

 

 

門をくぐり、振り返ると左右に収納庫がある。

左側は、年貢米や補修の茅などを入れていた穀倉。

 

 

BBQコンロなどの現代の物も入っている。

手前にスリッパがあるので、それを履いて中へ。

なお、危険なので二階には登らないでくださいとのこと。

確かに、この急階段は危険そう。

 

 

昔の農具などがある。

といっても、地域によっては今でも普通に倉の中にあるかも。

何気に茅葺き屋根のミニチュアがある。

 

 

昔の道具がたくさん。

これらついては、こちらで紹介しています。

 

 

 

パイスケという道具。

名前が気になって、じっくり見ちゃった。

一説には、語源は英語のバスケットからきているとか。

天秤の竿の両端に荷を下げ、その支点を担いで運んだのだそう。

 

 

二階には上がれないけれど、天井が低いことがわかる。

 

 

長屋門の右側は納屋。

 

 

 

 

回転式の足踏み脱穀機。

大正時代に日本で考案され、昭和30年代まで使用されていたのだそう。

 

 

 

大八車。

 

 

 

 

背負子。

かちかち山とか、昔話でおなじみ。

 

 

こちらは事務所。

 

 

カラフルなてるてる坊主が下がっている。

お顔もかわいかったりする。

 

 

パンフレットなどのおもしにも絵が描かれている。

 

 

主屋へ。

 

 

 

季節のお花がお出迎え。

 

 

ワイルドないけ方。

 

 

中に入ると土間。

いろいろなものが展示されている。

 

 

日本茶の昔の焙煎器。

自家焙煎していたのかな。

 

 

焙煎器を横から見ると結構な大きさ。

 

 

この公園で作られた竹炭が、100円で販売されている。

 

 

天井がすごい。

見とれてしまう。

 

 

大所帯だったからか、かまどがこんなにもある。

 

 

 

 

箴子梁の曲がり具合がすごい。

こんなにも曲がった梁を見たのは、初めて。

 

 

天井が高い。

 

 

梁が大きく曲がっているので、独特な空間になっている。

 

 

天井裏がちょっと見える。

 

 

座敷を土間から見た感じ。

仕切りがないとこんなにも大広間。

 

 

 

こちらから上がろうかと。

 

 

上がりはなの下に収納する所がある。

こういうの昔の家で見た記憶。

 

 

こういうスペースにも収納している。

 

 

茶の間。

 

 

囲炉裏。

 

 

茶の間から右側に内蔵へと続く廊下がある。

 

 

廊下から見える中庭。

 

 

 

 

内蔵が思っていた以上によかった。

 

 

歩ける範囲が狭いけれどね。

 

 

 

お宝発見みたいな気分。

 

 

アメリカ捕鯨船マンハッタン号警備状況図 弘化2年(1845)

漂流民送り届けの為浦賀に来航と書いてある。

 

幕府からは「物見船」「検使船」「用弁船」がそれぞれ役目をもって出船したとか。

近隣の村人が人足や水夫として、御用を仰せつかったのだそう。

 

 

 

こちらに書いてあることが、かなり印象的でした。

小岩井家も開港に関わっていたようなので。

 

栄区の開港夜明け前。

横浜開港(安政六年・1859)の少し前の頃、栄区は相模国鎌倉郡の一部として、三浦半島の海防を担当していた川越藩主松平氏の領地となっていました。

 

川越藩は幕府に命じられて異国船の防御の任についており、そのため領地であった三浦半島や鎌倉郡の村々の漁民や農民が動員されることがしばしばありました。

 

当時鎌倉郡鍛冶ヶ谷村の名主であった小岩井六郎兵衛ほかが書き残した文書や江戸末期の資料を見ることで、その様子をうかがうことができます。

 

 

右側のは、この近くから撮った富士山の写真だと思う。

 

 

内蔵の天井。

 

 

化粧台がある。

 

 

両替商の看板が気になったり。

 

 

 

この住宅の設計図のよう。

 

 

掛けられている服は、戦時中のものなのかな。

 

 

こんな所に下駄が。

 

 

根岸、日野、本郷といった地名が読める。

 

 

無造作に置いてあるけれど、お宝みたいな気がする。

 

 

東京湾の沿岸部と三浦半島全域を描いた絵図。

横浜市歴史博物館「ペリー来航と東京湾」(図録)掲載。

時代が飛ぶけれど、黒電話もある。

 

 

内蔵を出て、廊下の窓から見た風景。

 

 

再び主屋へ。

 

 

天井がめっちゃ低い。

 

 

 

商人のなごりが。

 

 

本当に天井が低いので、歩くのにちょっと緊張。

私は平気だけれど、大人の男性は歩くのが大変そう。

 

 

 

 

直線的な欄間が美しいし、その周りの赤い壁も目を引く。

 

 

角張った照明もこの座敷に合っている。

 

 

 

 

将棋盤がある。

住人は将棋が好きだったのかな。

 

 

正方形の格子の障子って、初めて見た。

なぜかモダンな気がする。

 

 

この一連の直線美がよい。

 

 

主屋を出て、外へ。

こちらは工作棟。

 

 

竹細工が飾られている。

 

 

日本庭園へ。

 

 

お屋敷の周りをぐるっと回る。

 

 

 

 

裏から見ると茅葺がよくわかる。

 

 

 

今度は、公園を少し歩いてみる。

 

 

変わった形のお花。

 

 

ここで炭焼きをするみたい。

 

 

今日は中に入れないので、塀から見た炭焼き場。

 

 

先が尖った花びらの水仙。

 

 

菜の花畑。

 

 

望遠で寄って撮ったら、いい感じ。

 

 

富士山も…

 

 

寄って撮ったら、こんな感じ。

この公園の名前が「ふじやま」だもんね。

 

 

丹沢の山々も山肌まで見える。

 

 

反対側は住宅地。

そちらに行くと大変そうなので、ここで引き返すことに。

 

 

この公園は広大なので、古民家をメインに見ました。

ということで、ここで引き返そうかと。

 

竹炭も買いました。

 

 

竹炭の使い方の案内までもらえるので、100円では申し訳ないくらい。

ふじやま公園に来てよかった。

独特な梁や、昔の道具なども見られたし。

この近隣が開港に関わったというのもとても印象的でした。

 

 

ではでは、こちらはこの辺でクローバー