昨日見た大さん橋での写真展のカメラマンが気になり、そのお二方のことを調べてみました。
日常を撮っていると、それが歴史を残すことになっている。
それにしても、コンパクトカメラで50倍のズームはいいなぁ。
私は30倍で充分と思うのだけれど、スマホ並みに軽くて小さいといいのに。
森氏のHPにメリーさんのことが書かれていたのが気になり、こちらを見ました。
実はこの映画、前に見ようと思っていたのもあって。
映画の公式サイトはこちら。
私は生まれも育ちも横浜ではないけれど、職場にいた横浜から来ていた人たちは、みんなメリーさんのことを知っていたので、なんとなく気になっていて。
都市伝説のような言われ方をしていたメリーさん。
彼女の白塗りの顔と独特の服装が、都市伝説のように語られてしまったよう。
その伝説のメリーさんと交流があった人たちから聞いたことを、本作は紹介している。
主に、メリーさんを母親のように気にしていた歌手の永登元次郎さんが、メリーさんのことを語ってくれて。
また、メリーさんが通っていた美容院、クリニーング店、根岸屋にゆかりのある方々、化粧品店の方々も。
美容院では、メリーさんによる風評被害もあったのに、彼女に恨みつらみもないなんて。
メリーさんを撮り続けた写真家の森日出夫氏も出演している。
彼の写真から、メリーさんや当時の伊勢佐木町のことを知るとは。
伊勢佐木町だけではなく、当時の人々の暮らしぶりなども。
その森氏の呼びかけにより「横浜最後のお座敷芸者を守る会」として、五木田京子チャリティライブが催されたそう。
メリーさんと店の前で喧嘩をしたことがある五木田さん。
その五木田さんの口から、ポロッと「メリーちゃん」って言ったのが印象的。
メリーさんの立ち姿を褒めちゃったりもしてね。
特筆すべきは、作中の永登元次郎さんの歌声。
心に響く。
歌詞も胸や目頭が熱くなる。
冒頭で、彼が亡くなったことが書かれていたのもあって。
本作は、生き証人が闘病中にも関わらず、まるで戦後の横浜の歴史を語り残してくれたよう。
元次郎さんの歌には、人生を振り返るような歌詞が。
老い先が短いようなその歌詞を老人施設の慰問で歌っちゃっていいのかなと思ったけれど、感動しているような方もいて。
何気にオチを書いてしまったけれど。
個人的には、そこまで見せちゃうの…と思った。
メリーさんは、都市伝説のままで終わるのかなと思っていたから。
結果、彼女を偶像化しなかったというのは正解だったのかも。
メリーさんは横浜に長いこといた。
好きだった将校さんが、アメリカから帰ってくるのでは…なんて思っていたとかいないとか。
メリーさんの独特な出立ちや話し方、振る舞い方には、彼女が夢に描いていたキャラを演じていたような。
気が触れた人には感じない。
メリーさんが書いた手紙は、文字や文体から教養を感じたので、それなりの教育を受けていたと思われるし。
メリーさんとは関係ないけれど。
港の見える丘公園のそばの外国人墓地には、混血の赤ちゃんの遺体が置かれていったとか。
最初は墓守さんが埋めていたけれど、そこは日本に貢献したエリート外国人の墓地であり、観光地でもあり。
根岸外国人墓地は、無名の外国人が埋められているので、あるときからそちらに赤ちゃんを埋葬したのだそう。
それが800~900体あったとか。
真相はわからないけれど。
そのことについては、こちら。
メリーさんのことで印象的だったのは、白塗りは塗っているのではなく、消しているとのこと。
その気持ちは、歳を重ねるごとに共感できるでしょうけれど、彼女の極端なまでの白塗りは、自己顕示欲でもあり、身を守るための仮面のようでもあるような。
香水にしろ、指輪にしろ、男性の品定めにしろ、彼女には強い憧れとプライドがあったよう。
都会で一旗揚げるような夢が強かったようなので。
それはある意味、叶ったと思う。
こうして映画になったのだから。
そんな彼女。
ここからネタバレを書いてしまうので、読みたくない方はここでストップ。
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闘病中だった元次郎さんは、メリーさんが療養している老人施設に慰問に出かけていた。
メリーさんの所在は、彼女と交流があった人は知っていた。
田舎に帰るように手配をした方がいたので。
慰問先で、元次郎さんは入所者に歌を披露したのだけれど、そこに素顔のメリーさんが座っていた。
正直、白塗りのお顔よりも美しかった。
にこやかに元次郎さんの歌を聞いて、年老いたわりには凛として品のあるお顔をしていて。
比較しては悪いけれど、周りにいたお年寄りとは別格に輝いていた。
そして「100歳まで生きて」と元次郎さんがメリーさんに語りかけ。
その元次郎さんが、亡くなってしまうとは。
私が本作を3,4年前に見ていたら、がんで亡くなったのは仕方がないと思ったでしょうね。
今は、それとは違う思いが。
西洋医療に疑問があるのでね。
本作を見終わって、寂しい余韻が。
今の伊勢佐木町の姿が寂しく感じて。
横浜育ちではない私ですら、伊勢佐木町というのはとても栄えた繁華街と思っていたので。
根岸屋の火事にしろ、消えていく風景がある。
そのことを本作のように記録に残してくれたのは、とてもよかったと思う。
根岸屋についてはこちら。
根岸屋の二階には、五木田さんがいた置屋があって。
そうした置屋はなくなり、横浜芸者は消えしまいそうになったけれど、今も残っているというのはよいこと。
それについてはこちら。
消えてしまいそうになった横浜の文化を残したいと思っている方々がいると思うと、なんだかじんわりします。
ではでは、こちらはこの辺で