現在、大佛次郎記念館で「大佛次郎×ねこ写真展2024」が開催中とのことで行ってみました。
強風の中、私が開館を待っていたところ、開館と同時にスタッフさんが早く館内に入るようにと言ってくれて。
スタッフのみなさん、とても親切な方ばかり。
なお、館内では撮影禁止の所以外は、写真を撮ってもよいとのこと。
ただし、現在の展示の場合だそう。
他の企画ではその都度違ってくるかも。
館内に入るといきなり猫ちゃんが。
館内には猫関連の物が所々にあるのだそう。
実は私、この建物の中を撮りたいとずっと思ってた。
以前は撮影禁止のときに行ったのでね。
この建物は、青いステンドグラス、白い壁、レンガタイルの赤で、フランス国旗の三色をイメージしているのだとか。
青いステンドグラスからの光が、非日常を感じさせる。
この扇形のデザインって、目のような気がしなくも。
大佛次郎の略年譜とゆかりの地図。
ねこ写真展はロビーで。
猫の写真がずらーっと。
床の模様が気になったりも。
三角と十字と目玉に見えてしまう。
そう思わなければ凝ったデザインだと思うし、ステキに見える。
ロビーのモニターで、当館を紹介している。
猫好きの方々が応募した写真がいっぱい。
この写真展の写真はこちらでも紹介しています。
個人的に気になったのを何枚か撮ってみた。
これ、猫がどこにいるのかわかりづらいのだけれど、なかなかすごいことになっている。
枯山水の岩の上にいるのよね。
このにんまり感が好き。
野生感がたまらない。
下からあおると、更にかわいい。
通路にも展示されていた。
しぶい。
絶妙なショット。
他にもたくさん気になる写真があったけれど、キリがないので。
今度は館内を見ようかと。
ロビーから見えた和室。
お部屋には入れないけれど、覗き込むような感じで。
窓から港の見える丘公園が見える。
再びロビーへ。
見上げると照明も美しい。
2階へ上がる階段の壁にはお花のレリーフ。
梅の花なのかな。
2階の閲覧室に通じる通路には、大佛次郎が創刊した雑誌『苦楽』に掲載された挿絵の原画を紹介。
同誌は、戦中の「鬼畜米英」から一転してアメリカになびく世間一般の風潮を批判し、日本文化を再認識することの大切さを訴えたのだそう。
こちらのイラストの余白に書かれた文字が気になったりも。
苦楽扉絵
←この中黒ベタ文字白抜キトス
と書かれている。
こういうのって、アナログの版下を作ったことがある人が見ると、当時の指示が今とあまり変わらないと思うかも。
この広告が気になったりも。
薬の広告ばかり。
理研のビタスは「結核の栄養に…」と書かれている。
いろいろと気になる。
鈴木信太郎が描いたもの。
こういうタッチって、きっちりと描きたがる今の人にはない感性かも。
挿絵を見るだけで、物語を感じる。
こういう画風も好き。
閲覧室は撮影禁止。
ということで、中の写真は撮らず。
2階の通路から見たロビー。
照明の上に猫ちゃんが。
こんな所に花の絵が。
この花の絵はサロンでも見られました。
2階のギャラリーでは、大佛次郎没後50年記念「大佛次郎と木村荘八 ―作家と画家、そして猫」という展示が。
木村荘八は、大佛次郎の小説に多数の挿絵を描いていて、どちらもかなりの猫好き。
まずは、左右にそれぞれの紹介が書かれている。
展示の中で、二人の仲のよさを感じたのはこちらのエッセイ。
私はまだインキが乾かない原稿を妻に読ませ、きっと木村さんはこういう絵を描くから見ていろ、と予言までした。
それが的中したことが多く、うれしかった。と同時に木村さんの方では、読む前に勘が働いたと言われた。
ずい分と永い年月を挿絵のある小説を書いて来たが「霧笛」の折のような経験は、あまりない。年も少し上の木村さんと、それから仲よくなった。
「神奈川新聞」1958年(昭和33)11月25日掲載。
エッセイ「最後の人」より。
展示の中には猫があちこちに。
挿絵の下には手書きの文字。
新聞に掲載された「霧笛」の切り抜き。
木村荘八は「霧笛」の挿絵を手元に保管していたつもりが、なくなっていたので、描き直したこともあったのだとか。
実は猫を撮りたくて撮っていたりする。
この挿絵の原画をよく見ると。
ホワイトで修正されている。
波止場の夜景。
風景画としても素晴らしい。
小猫、中猫、大猫の素描。
大佛次郎宛ての木村荘八の書簡。
手紙の内容はくだけていて、なかなか面白い。
封書に書かれた住所と宛名は、判読できるギリギリっぽい。
配達した人を褒めたい。
木村荘八の「猫のおもちゃ絵」コレクションは壮八の死後、形見として大佛に贈られたとのこと。
木村荘八コレクション。
新坂猫乃温せん 歌川芳藤 1880年(明治13)の作品。
吉田光作「猫の風呂屋」
このミニチュアがめちゃくちゃかわいい。
このコレクションを見ていると、じわじわとくるものがある。
というのも、大佛と壮八の仲の良さを感じた上で、このエッセイを読んだから。
画家の木村荘八さんがなくなった。
(…)
遺骸は、まだ棺におさめる前であった。
仏前に弔問客が集まって座っていた。
見ると、新派の喜多村緑郎夫妻が木村さんの遺愛の猫を夫婦が一匹ずつ抱いて壁の前に座っていた。
もう一匹の猫が入って来て私の側に来たので、抱いてやった。
また別の肥った大きい猫が入って来て、人が集まっているのを不審そうに見て、間をあるきまわった。
「その子が松緑です」と喜多村の奥さんが教えてくれた。
お棺におさめた木村さんは、生前よりも顔も若く色までよく見えた。
しかし、口をきかなくなったとは、何とも冷たく静かなもので、別れたさびしさが身に沁みて感じられ、涙をこぼした。
猫の奴は、一向、平気でしたよ。木村さん、そう知らせることが出来たら、木村さんは答えるだろう。
「それで助かりますね」
「西日本新聞夕刊」1958年(昭和33)11月24日掲載
エッセイ「お通夜の話」より
大佛の猫好きについては、サロンでも見ることができた。
こちらがとてもステキなサロン。
入り口近くにあったガラスでさえ、こだわりが。
階段のレリーフの花に似ている。
大佛と妻との猫についてのやりとりが、またじんわりとくる。
山田雄造氏寄贈のパリ市鳥瞰図。
ガラスに周りが反射して、写り込んでしまっている。
凱旋門なのかな。
壁には本棚が。
このチラシが乗っているテーブルにも…
こだわりが。
こうして見ると床は何気に市松模様。
窓の外は港の見える丘公園。
大佛氏の像まであるとは。
手前のソファーは大佛が使用していたそうで。
季節を感じる飾り。
ガラスの急須がステキ。
こんな高くて見えにくい所にも絵が。
この記念館の写真と、大佛や猫についての映像が見られます。
窓ガラスにも模様が。
前に来たときは、昔の作家の記念館だなぁくらいにしか感じなかったけれど、今回は木村荘八とのやりとりや仲の良さを知ることができたので、大佛次郎本人への興味が湧きました。
挿絵を見たことで、その小説も気になったりして。
猫とのエッセイも気になるし。
また、館内の造形にも改めて感心したりと。
世界には巨大な資本家がいるということを知った後で、館内を見たことで、また新たな感想があったり。
明治の横浜や鎌倉の文学にも興味が出たり。
きっかけは猫の写真を見に来たけれど、予想外にたくさんのものを得ました。
ではでは、こちらはこの辺で