深い森のみどり色の朝 -22ページ目

深い森のみどり色の朝

人間界の涙は、まだ夜が明ける前の森の中に朝露になって降りてくる。夜のうちに、漆黒の魔法使いが呪文を唱えてくれるからね。 ぼくは、その朝露を瓶に詰めて、シャンプーを作る。特に六月の早朝に。

先週病院から電話があり、母の退院調整の話し合いがしたいとのこと。

 

ともかく、ともかく。

コロナの面会制限でやられている。精神的にも認識的にも。

 

9月6日に介護認定がおりるというので、それから話し合うつもり、と言うと

そんな悠長な場合ではないと。

 

 

昨日は病院へ話し合いへ。

 

医者は、母が3クールめの化学療法を、腎機能悪化で中断し、

もう成す術はないとのこと。 ただ、中断後腎機能は戻り、

脳も今は治っているとのこと。

 

即ち、はよ、もう、出てってってとのこと。

 

 

 

そんな状況とは知らず、まだ5クールくらいはやると思ってたので

びっくり。

 

なるべく早く出てってとのことで、頭は真っ白に。

 

 

 

私は朝の5時台から家族の弁当作りに始まり、夜の10時の塾送迎に至るまで

仕事も含めて走り回っている。

 

 コンビニ弁当くらいなら、朝置いていけるが、、、

と言うと、とんでもない、母は刻み食だと。1人暮らしなんて出来ない。

 

そんなことは、聴いてもないし、面会制限後全く見てもないので

どう母が食べているのか、想像もしがたく、

 

伝ってなら歩くとか、暴言を吐いて、おむつを取って捨てるらしく、

それは施設では他患者さんに悪影響だとか、、、

 

今こういう退院の状況にあることは理解していただかないと。とか。

 

 

理解と、受容とはまた話が違いますね。

と、思わずソーシャルワーカーさんに、言った。自分もソーシャルワーカーの

陰ながら一員であるので。 心が受容出来ていなければ、

頭で理解しても、それを腑に落とせますか?

 

そういった面を支えるのが、ソーシャルワーカーだと思ってました。。。。残念です。

 

 

母は、年金を払っておらず、

私は、3番目、4番目の娘が再来年に同時に高校、大学へあがるので、

8月までは正社員で働いてきていた。 それを今はパートで収入も半減以上。

 

施設へ出すお金も無いが、

山暮らしの山へ連れて行ったら、日中静かな山中にたった1人に。

 

母の家なら、隣近所との濃厚な付き合いがあるため、

日中1人でも、ぎりぎり、誰かの目には触れるだろう。

 

 

 

で、どうしたいんですと。sw。

で、私はどこに誰に相談したらいいんです?と私。

 

自分です。

とSw.

 

 

でしたら、説明してください。

施設の羅列があるが、目隠して、ここ!って私が言ったら

そうするって感じにしか、あなたの言ってることじゃわからない。

 

完全にあかん。と思い、席を立った。

 

慌てて生活の場の市役所へ駆け込んで、現状を説明すると、

すべきことと、連絡すべきケアマネージャーさんの場所と、

 

家で過ごすのであれば、仕事中は、デイケアで過ごしても

施設へ行くより安く乗り切れるかもしれないこと。

いざとなったら、生活保護で行こうと、

 

親身になって提案してくださった。

 

車の中でケアマネを依頼すると、30分で選定される。

 

 

 

 

 

自分で動く方が速い。

 

 

余りにもストレスを感じた午後。

 

 

これからどうなるんだ、私。

 

 

 

SWさんに呆れて席を立つと、一部始終を聴いていた

とても若い理学療法士さんがエレベーターまで付いてきて

こう言った。

 

私は、お母さんのこと、大好きだな。

いつも、お仕事のこと、お孫さんのこと、お話してくださいます。

 

 

心ある彼女の気持ちに、頭を下げて

 

心の内は、

その仕事に逃げて、仕事を全ての言い訳にして

育児も家事もしなかった女なんだよお。

 

孫も

お祖母ちゃんになった日、

代わりのお祖母ちゃんを雇ってきて、とてもじゃないが、

子守なんて出来なかった。

 

私は一度でもいいから、里帰りに憧れた。

産後、誰かに労わられてみたかった。

 

果てしなく4人の育児、仕事、家事にスキルアップ、

頑張って来た。 今は1人でも十分生きていける。

 

 

それでも、そんな母を理解しようと、

9月、仕事を辞めて、喘息悪化させながらも汚泥屋敷を片付け続けた。

 

 

母を赦し、 また母の生き方を尊重しようとも努力した。

 

だから、

理解していただかないと。

という言葉を軽々しく言うことは、 絶対にあり得なかった。

 

んだよお!!!!