こんな年明けになるとは、ね。 | がん闘病~妹とあたし、おまけに老父も~

がん闘病~妹とあたし、おまけに老父も~

なんでか乳がんになってしまった私のつぶやき。
公開することでいつかどこかで誰かの参考になればと思って。

はい、3が日とも38度台の高熱続きで、元日の公休日に加え、翌日も休ませてもらい、

欠勤が続くのはイカンと、三日の日はさすがに休日診療所へ。


正月だからか正月なのにかワンサカなひとひとひと…受付されるたび「50人待ちになってますっ。」

の言葉が。

自分の症状がかえって悪化しそうななか、意外とサクサクと1時間くらいで診察室からお呼び出し。


高熱続きの患者にはインフルエンザ検査を行い、10分後に結果がでるという流れ。


「うん、インフルエンザではないという結果です…風邪、ですな。」というわけでホッとしながら

職場にもう一日だけ休ませてもらう連絡をいれた。


入院中の叔母の病状も気になるので、早く、顔を見にいきたかったのだが、風邪をうつすわけにも

いかず。


…で、6日の朝。出勤準備をしていたら、携帯が鳴って、みると、登録していない電話番号の主からの

コール。

(出ないよ~)していたら「病院から危篤の連絡があったので。」と留守メッセージが。

叔母のダンナ。慌てて電話をいれて「できるだけ早く行きます…」と。

仕事はとりあえず遅刻させてもらお…とか、風邪うつらないといいけど…とか思いつつ病院へ。


入院中の病室に行ったら姿はなく、ナースステーションで尋ねると「コチラです」と個室に案内された。

おじの言葉を聞くまえに「おばちゃーん、どうなの?」と言いながら顔をのぞきこむと眠っているようで。

「ワシが着いたときはもう、心臓の数値がピーと反応なしになっておってなぁ。」おじのチカラの抜けた声。


急逝。それでも穏やかで安やかな顔だったので、苦しまずに旅立てたのだと思いたい。


正月早々私が体調崩したのも、ひと月ほど海外へ行っている妹にリクエストしていたお土産を

待てなかったのも、サヨナラを言いたくなかったかのような。…寂しい。とても。ただただ寂しい。