ご無沙汰しています!
この数年、人生の節目となって
いろいろありました。
母は要介護4から2に。
父が独居になってしまったので
同居しようと思って転職したら
断られて御殿場へ引っ越し。
転職先が落ち着き一息つけると思ったら
父が末期癌で終末医療、4ヶ月の入院を看取り。
四十九日を終え、相続の手続きをしつつ
怒涛のゴールデンウイークの忙しさを迎える状況です。
ここ数年の暮らしはこんな感じでした。
とりあえず、元気です!
あれからの母のこと
去年の春に母が大腿骨を骨折し、市立病院に入院。
母は薬の影響なのか意識が朦朧としている日々が続きました。
僕は僕で人事異動で職場が変わって職場に慣れながら
休みの日には母の入院している小田原市立病院へ山中湖から通っていました。
ようやく母の容体が落ち着いた時には
病院に入院できる期限のギリギリになっていました。
母は近くの民間の病院に転院しリハビリを始めました。
自立が困難で介護が必要となり
要介護度の審査がありました。
審査の結果、母の要介護度は4でした。
先生から
「お母さんの認知症とともに、付き添っているお父さんも軽度の認知症かもしれません。」
と告げられた時には
この先、どうなってしまうのだろうかと
精神的ダメージを抱えながら仕事をしていました。
ご無沙汰しています、僕は元気です。
母が倒れてから
気持ちの整理 をするためにブログで綴っていこうと試みて
「つづく」
としてから月日が経ってしまいました。
ツイッターでは気軽に投稿していましたが
ブログはご無沙汰になってしまいました。
いろいろ紆余曲折がありましたよ。
この年末年始にブログを再開し習慣つけたいと思います。
今年の母のこと
前回のブログを投稿して1カ月経っちゃいました。
つづく
だったんだけど
いろいろありまして
あっという間の1カ月になってしまいました。
前回の話の続き
父に勘当されてから
半年間は実家に戻ることはありませんでした。
そんなある日
携帯に自宅からの着信履歴がありました。
僕の実家では
「良い事の連絡はなし。悪い事が起きた時だけ連絡しろ」
というルールがあったので
実家からの着信履歴を見た時には
ヤバい、何かあったのかなと感じ
急いで電話をしました。
電話をすると
「はい、もしもし」
と母の声
母のことが
ずーっと気がかりだったので
母の声が聞こえて一安心
電話の要件は
「父が郵便物がたまっているので電話しろということで電話した」
とのこと
当時は住民のマイナンバーが郵送されてくる時期で
マイナンバーを会社に提示しないといけなかったので
よいタイミングで実家から電話があり
実家に戻らなければならない理由もできたので
昨年の秋頃、半年ぶりぐらいで実家に戻りました。
実家に戻り、両親の様子をうかがうと
父は元気でしたが
母は足取りがおぼつかず1週間に1回くらいのペースで転んでいたそうだ。
それでも1日1回は散歩に行って歩く努力をしていました。
母はぼーっとする時があったので
認知症になってしまったのかなと感じつつ
認知症になると部屋が片付けられなくなると聞いていたので
まだ大丈夫なのかなとも思っていました。
この日をきっかけに
オフの日は実家に戻り
実家の食材や日用品の買い出しを手伝うようになりました。
ただし、父がお酒を飲み始める夕方には職場の寮に戻るようにしていました。
そうこうしているうちに
職場の人事異動があり
4年半働いた職場を離れることになりました。
これを期に一軒家を借りて引っ越ししたり
新しい職場の仕事を覚えたりと
ドタバタしている内に
実家では梅が咲き始め春を感じる季節を迎えました。
母が2年前に心筋梗塞で倒れたのはこの時期で
一抹の不安を持っていたのだが
春を迎えて温かかくなったので良かったと安堵しました。
僕は僕で引っ越しした庭で家庭菜園をやろうと
植栽プランを練りつつ
花の苗は母が育てた花を株分けしてもらおうと計画を立てました。
これで母に頼み事を作れば
母は活気つくかなと算段し
2月18日に実家に戻り
母に株分けの話を持ちかけました。
母は「わかった」と応えてくれ
おぼつかない足取りで僕を見送ってくれました。
翌日の19日の朝
母はトイレに行こうとして転んでしまい
大腿骨を骨折し
私立病院に搬送されました。
お婆ちゃんが大腿骨を骨折し寝たきりとなり
今度は母が骨折するとは、、。
気持ちの整理がつかずに動揺している日が続いたので
気持ちを整えるべく前回のブログを投稿しました。
この母の入院を期に
僕の家族もとうとう介護という現実が訪れました。
つづく
つづく
だったんだけど
いろいろありまして
あっという間の1カ月になってしまいました。
前回の話の続き
父に勘当されてから
半年間は実家に戻ることはありませんでした。
そんなある日
携帯に自宅からの着信履歴がありました。
僕の実家では
「良い事の連絡はなし。悪い事が起きた時だけ連絡しろ」
というルールがあったので
実家からの着信履歴を見た時には
ヤバい、何かあったのかなと感じ
急いで電話をしました。
電話をすると
「はい、もしもし」
と母の声
母のことが
ずーっと気がかりだったので
母の声が聞こえて一安心
電話の要件は
「父が郵便物がたまっているので電話しろということで電話した」
とのこと
当時は住民のマイナンバーが郵送されてくる時期で
マイナンバーを会社に提示しないといけなかったので
よいタイミングで実家から電話があり
実家に戻らなければならない理由もできたので
昨年の秋頃、半年ぶりぐらいで実家に戻りました。
実家に戻り、両親の様子をうかがうと
父は元気でしたが
母は足取りがおぼつかず1週間に1回くらいのペースで転んでいたそうだ。
それでも1日1回は散歩に行って歩く努力をしていました。
母はぼーっとする時があったので
認知症になってしまったのかなと感じつつ
認知症になると部屋が片付けられなくなると聞いていたので
まだ大丈夫なのかなとも思っていました。
この日をきっかけに
オフの日は実家に戻り
実家の食材や日用品の買い出しを手伝うようになりました。
ただし、父がお酒を飲み始める夕方には職場の寮に戻るようにしていました。
そうこうしているうちに
職場の人事異動があり
4年半働いた職場を離れることになりました。
これを期に一軒家を借りて引っ越ししたり
新しい職場の仕事を覚えたりと
ドタバタしている内に
実家では梅が咲き始め春を感じる季節を迎えました。
母が2年前に心筋梗塞で倒れたのはこの時期で
一抹の不安を持っていたのだが
春を迎えて温かかくなったので良かったと安堵しました。
僕は僕で引っ越しした庭で家庭菜園をやろうと
植栽プランを練りつつ
花の苗は母が育てた花を株分けしてもらおうと計画を立てました。
これで母に頼み事を作れば
母は活気つくかなと算段し
2月18日に実家に戻り
母に株分けの話を持ちかけました。
母は「わかった」と応えてくれ
おぼつかない足取りで僕を見送ってくれました。
翌日の19日の朝
母はトイレに行こうとして転んでしまい
大腿骨を骨折し
私立病院に搬送されました。
お婆ちゃんが大腿骨を骨折し寝たきりとなり
今度は母が骨折するとは、、。
気持ちの整理がつかずに動揺している日が続いたので
気持ちを整えるべく前回のブログを投稿しました。
この母の入院を期に
僕の家族もとうとう介護という現実が訪れました。
つづく