仏教聞き難し 130話 仕事中に思うこと
題名が前回の予告から変わってしまいました。本当にいい加減ですいません、、、、
さて「仕事中に思うこと」なのですが仏教的がどうかはわかりません。
人はいつも他と自分を比較して自分というものの立ち位置、レベルを確認し続けていると思います。そうでない方ももちろんいらっしゃいますが、、、
多くの方は色々な点において比較によって自分を理解して行動していると思われます。特に日本人はそうかもしれません。そしてその比較するレベルやクラスもその個人の生活や環境によって違うので、標準という基準もそれぞれ違います。その標準と自分で思っているレベルで相手を評価したり、自分を評価したりしております。
仕事や勉強、スポーツとなるとある程度決められた標準があるようにも思えます。それでも万人が納得する基準になっているようにも思えます。しかし過去よりも上の進まなければならない性質があるのでどうしてもその標準が高くなってもやは標準ではなく最高になって、その最高が標準化してさらにそのまた上の最高となっているようにも思えますが、、、苦笑
なぜこのようなことを書いたかと申しますと私の仕事は重度身体障害がある方々の介護です。12年に(もう!)なります。そして障害を(障害ということばは好きではありませんがあえて伝えやすい為に使っております)お持ちの方にも生まれつきのかたや中途で病気や事故でなられた方がおります。
今回は生まれつき重度の障害を持った方々より気づかされたいくつかの点についてなのですが、その方々のうちFさんはこの「標準」とか「普通」ということばをしょっちゅう使われます。「健常者」という意味ともまた違った(健常者という言葉もどうかと思いますが、、、)標準があるように聞こえるからで。
たとえば私は介護者ですがどうも「標準」「普通」ではないようです。笑
そこで普通と思われている方々と自分とはどこが違うのか聞いてみました。そうするとどうやら私は「障害者を知っている人」という時点でカタギでは無いということになっているようです。
ということは障害のあるご自身は標準では無いということですか?とお聞きすると「当然です!何を今更!古いつきあいなのに、、、」と言われてしまいました。なぜ私がこんな質問をわざわざしたかと申しますと、以前からテレビを見ても音楽を聴いても雑談してもいつもちょっと変わったことや人が出ると「普通じゃない!」「標準的なのが一番だ!」とあまりに言われるのでただ単純に堅いなぁ~と流しておりました。またネットのメルトモで知り合った某風俗業の女性と会う機会があって、その方は「障害があっても差別があってもがんばってやってこられたかただからこういう仕事に誇りを持って取り組んでいる自分を解ってもらえるはず!」と思って遊びに来られました。しかし障害のある方はその想像とまったく違う言葉を発しました。
「五体満足であるならばそのような仕事すぐにでも辞めて普通の仕事に就きなさい!」と言いました。
その女性はショックでかなり沈んで帰られました。
ここは何も意見をする立場でもありませんし、女性と障害のある方との話ですので黙っておりましたがその女性が帰った後にいやすれから数ヶ月、思い出しては「普通に暮らせる、標準的な暮らしが出来る人がなんで、、、」と話されていました。
想像すれば色々推察出来ます。障害があるということの失礼ながら辛さと引け目はとても他人では計り知れない深さまで到達していると思われますし、派手な女性が遊びに来たという驚きもあったり、勝手な想像ですが色々解ろうと努めれば理解出来なくも無いのですがとにかく耳にのこるのは「標準」と「普通」です。
そしてこの標準と普通についてゆっくりと話す機会がありました。
普通というのは家族がいて、安定した仕事があって、健康で、子供も躾が出来ていて、親を大切にして、贅沢でなくても家と車くらいはあって、高校以上は全員進学または卒業出来ている状態で多少趣味や旅行もあるということだというのです。
しかしご自分でこれを説明していくうちにそのような状態になるにはどうしたら良いのかわからないとおっしゃっていました。お金?健常者の体?愛?ご縁?自身の魅力?生き方?等々色々検討しました。
そしておまえは仏教好きなんだから答えなさい!と言われて困りました。
そこでまず風俗の女性の話からしました。「あの女性は障害のある方はアブノーマルであると、だから自分のようなアブノーマルを愛する人間を受け入れてくれるだろうと思ったのでしょう、しかしそれは女性が障害者=アブノーマルという勝手な偏見を標準として信じていたからだと思います。」またあなた様がおっしゃる「普通」というのは普通なのかどうかはわかりませんがよく一般的に「幸せな家庭」という形を言葉で表せと言われるとそうなのかもしれません。そしてそういうご家庭のゼロでは無いと思います。
そしてそれを実現させる能力は私にはありません。(笑)でもどの形にしても自分が納得がいく状態というのはあくまでも自分の場合ですがお互いが気遣える、自然体になっていたとしても喧嘩をすることがあったとしても気になる、さらに丁寧に言えば思いやれる状態が一つでもあれば理想の形までは行かなくとも満足出来ると思います。
どんな形でも納得できて満足できれば幸福でこれは「普通」を超えた状態だと思います。たとえ「幸せな家族」という形が実現出来ていても満足出来て納得出来ていなければ形だけかと、、、
するとFさんからは「相手を思いやることは出来ない、自分自身の生活をどうするかだけなんだ!」と言われました。もちろん私のいっていることは恵まれた安定した状態でなければ考えたり行動したり出来ないことだと思います。そしてご自身のことだけを考えることしかできない境遇で育ってこなければ解らない厳しい現実を教えてくれているのだと思います。
しかしそれでも他の人から愛されたいし思いやりを持たれたいんだ!自分は相手にそれが出来なくても、、、一方的に愛されればいつか相手を思いやれるようになれるかな?愛される経験がなければ愛せない、、、自分以外に他人がいるという考えでは生きてはこれなかった、、、地獄だった。
と苦しい胸の内と吐露していただけました。私のような甘ちゃんには到底理解は及びませんが仏教を学ぶ、仏教的に考える、ということはなかなか地獄でいては考える余裕がありません。一乗のすみかにすることは甘ちゃんにはできません。自分が地獄にいるような状態になればおそらく仏教どころかただただありったけの真言、八百万の神に助けて!とわめき散らすのがオチです。いつも否定的な御利益信仰万歳です!笑
標準、普通、、、基準、、、、決めなければ世の中上手く進まないのは解りますが、、また縛られていや、、自ら縛って生きていることを知らされる日々です。
仏教から離れに離れています、、、すいません、、、ただの日記かと、、、、
それでは失礼致します。 金剛合掌 隆龍