大蔵の屋敷は、駿府城下のはずれにあった。
本領は、駿河国安部郡にある。常時、駿府屋敷に住んでいて、本領は「ご隠居様」とよばれる、
安倍信真が取り仕切っていた。
大蔵は、淨慶に向かって、
「お前に引き合わせたい男がいてな」
そういうと、奥へ下がった。
大蔵に仕える小姓が白湯を運んでくる。
その白湯を飲んで、しばし待っていると、大蔵が数人の男を連れてきた。
その中の一人は、淨慶の良く知る男だった。
「七之助ではないか」
淨慶が寺を破門になるきっかけになった少年だ。
淨慶は気にしていなかったが、七之助はそうは行かなかったようだ。
「淨慶兄、すまなかった。俺のせいで…」
と言い、泣きながら抱きついてきた。
「立派になったな、七之助」
成長した七之助を見て、うれしさに笑顔がこぼれる。
「今は俺の屋敷の小者として働いてもらっている」
大蔵が言う。なんでも、小姓として取り立てると言うのを断って、小者として仕えているようだった。
「そして、この子が、三河の土豪の倅、本多鍋之助だ」
まだ幼い少年がお辞儀をした。後の本多平八郎忠勝だ。
今はまだ、11歳の少年でしかない。
「本多鍋之助にございます」
と、挨拶した。
「拙僧は淨慶。大蔵殿の弟分と言ったところかな」
淨慶は、そういうと、大蔵を見て笑った。
「この子の叔父が本多肥後守忠真という松平に仕える男じゃ」
本多忠真は、三河欠城城主で、鍋之助の母を保護していた。
鍋之助の養育係を自任し、厳しく育てられていた。
今は、忠真に言われて、駿府へ一人旅に来ている途中であった。
「なるほど、肥後守殿の甥御殿か。肥後殿は、息災か?」
「叔父上をご存知か?」
「もちろん。拙僧も欠城へは出入りしたことがある」
淨慶は、三河の監視目的で出入りしていたのだが、そんな事はおくびにも出さない。
「肥後殿には世話になっておってな」
それは事実だった。
松平の内情を具に報じてくれるのは、忠真の仕事だった。
元康の親今川政策に反感を抱いている一人だ。
今川より織田に将来性を感じている様子は、淨慶も摑んでいた。
「この子をお前の大事の際に連れて行ってもらおうと思ってな。本人も、それを望んでおる」
大蔵の言葉に、鍋之助はうなずいていた。
「構わんが。茨の道だぞ」
「望むところです」
淨慶の言葉に鍋之助は、頷いて言った。
「そうか。大蔵よ。先日、知らせた話。どうだ?」
「話したいのは、その事よ。俺も今川様の禄を食む人間だ。
その俺に伝えたからには、本気なのだろう?」
大蔵は、淨慶を見据えて、いった。





淨慶は、駿府の町をふらついていた。
このまちは活気にあふれていて、さまざまな人が出入りしていた。
その中では、淨慶のような法体の者もいた。
街の中に、見知った顔を見つけた。
その男、安倍川の大蔵は、淨慶の兄貴分で、何かと面倒を見てくれていた。
もう数年も会っていないのだが、
「淨慶!淨慶じゃないか!」
大蔵は、淨慶を見つけると駆け寄ってきた。
その大柄な体は見る者を圧倒するが、その眼差しは、人を安心させるものだった。
「大蔵。久しいな」
「立派な僧侶か。淨慶は、頭が良いからな」
大蔵は、淨慶が何をしているのか知らなかった。
ただ淨慶は、大蔵が何をしているのかを知っていた。
「俺は、今川様に仕えているのよ。まだまだ末席だがな」
「安倍大蔵尉元真。立派な名じゃないか」
淨慶が言うと、
「なんだ、知っていたのか?」
「ああ。俺も今川様の御家中には知り合いが多くてね」
淨慶が義元の諜報を担っている事は、一部の重臣を除いて内密になっていた。
兄貴分とはいえ、大蔵にも黙っていなければならなかった。
「淨慶。今、時間はあるか?」
「どうした?」
声を潜めた大蔵に合わせて、淨慶も声を潜める。
「聞きたいことがある。俺の仲間も一緒だ」
大蔵の言葉に、淨慶はうなずいた。
「仲間とは?」
「会ってからのお楽しみだ。お前の知っている顔もいる」
大蔵は笑って言った。
淨慶が去った後、親永は瀬名を呼んだ。
瀬名は、竹千代を生んだばかりだが、
元気に歩き回っている様子だった。
「お呼びですか?」
瀬名が言う。
「昔から活発なのは良いが、お前も松平の奥方なのだ。少しは落ち着いたらどうだ?」
「父上様、そんな事を言うために呼んだのですか?」
瀬名は首をかしげる。
いつまでたっても少女のような瀬名だった。
これでも松平元康より年長なのだ。
「蔵人佐殿が屋敷に来たら、会わせようと思う」
「淨慶が事ですね」
「ああ。ただ、蔵人殿が淨慶の話を飲むとは思えぬがな」
「蔵人様は、お屋形様への思慕の情が強すぎます」
瀬名は困った顔をして言った。
お屋形様とは、今川義元のことだ。
元康の義元に対する尊敬の念の抱き方は、
瀬名に嫉妬心を抱かせるほどのものだった。
「淨慶は、もう帰ったのですか?」
「ああ。瀬名に、よろしくと言うておったわ」
親永が言う。
瀬名は無邪気に淨慶と付き合っていたが、
はたから見ると、淨慶という怪しい男と密通しているのではないか、
との疑いを持たれるように仲が良かった。
本人にその気は無くとも、義元の養女として元康に嫁いでいる以上、
そういう疑いがもたれることを親永は、恐れていた。
「まもなく蔵人佐殿が駿府に来る。そうなったら、淨慶と会うのは控えよ」
「父上様、瀬名がお二人の橋渡し役を勤めましょう」
親永の不安をよそに瀬名は言った。
瀬名にとって義元や今川氏よりも、元康の命が大事だった。
元康の命が助かるのであれば、今川を裏切っても良いと思っていた。
だが、元康の考えは、自分とは違うと思っていた。
だからこそ、自分が間に立とうと言うのだ。
瀬名の決意は固い。
それは、普段から淨慶によって作られた考え方であろうか、
と親永は思った。
だが、そんな親永の考えを瀬名は否定した。
「父上様は、瀬名が淨慶に影響されて織田に味方せよ、
と蔵人様を説得させようとしていると、お考えでしょう」
親永は、うなずいた。瀬名は、勘の鋭い女性であった。
「瀬名は、淨慶の話を鵜呑みにして、蔵人様の説得に当たるような単純な女ではありません」
と、言い切った。
「今川家家老の娘で、お屋形様の養女ですよ」
瀬名はそういうと、笑った。
「ご安心ください。淨慶に不審な動きがあったときは、葛葉がいますから」
瀬名の言葉に、親永はうなずくしかなかった。