おだぐの記憶 | a depressed and fragile mechanical engineer

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うつ病患者として、機械技術者として生きる小市民が、仕事や治療の日常生活、裏話、ウンチク、経験談、失敗談を綴ります。それと並行して読書で出合った本の紹介と論考を披露します。

おはようございます。
機械技術者「おだぐ」です。


一年前のこの日、3月11日に、私達の国は多くを失い、深く傷つき、今も不安と混乱が渦巻いています。


このような状況で何かしら意味のある言葉を、私の想いを、3月11日に公開したいと考えていたのですが、上手く表現できないまま当日を迎えてしまいました。

私の言葉は無力です。

無力ながらも何か書けないか?と思案した結果、一年前に私の周囲の状況の記憶を思い起こしてみることにしました。


平成23年2月より私はうつ病の悪化による二度目の休職に入っていたため、震災発生時には会社の寮の自室におりました。

実は前日の3月10日に入院受け入れをしてくれる病院が見つかり、医師からの承諾も得ていたので、震災当日は入院の準備作業をしていました。

いや、あるいはその作業に疲れて横になっていたかもしれません。

そこに大きな揺れが来ました。

机の下などにもぐって頭を低くするのが定石かとは思いますが、私の狭い部屋にはそのようなスペースが見当たらなかったので、ベッドの隅で小さくなり揺れが収まるのを待ちました。

※ちなみにこのベッドの隅とは、家具の転倒被害が無く、また窓ガラスが割れた場合に破片の飛散が少ない場所を選択した結果です。


このまま地震が収まるのを待つつもりでしたが、揺れが続き、むしろ強くなる感覚を覚え、今度は自室のドアが気になりました。


そのとき私は、この地震で寮の建物自体が傾く可能性を考えたのでした。その場合は自室のドアの開閉が出来なくなり、自分が部屋に閉じ込められることを危惧しました。

もちろん、窓ガラスを割れば脱出は可能でした。ただしその場合は自室を生活空間として使用するのは難しい。入院を控えた身としてはそれは避けたかった。


ドアからの出入り可能性を確保したかった私は、激しい揺れの中、ドアを少し開けたまま手で抑えながら揺れを集結を待ちました。

この行動は思い返すと大変危険なものでした。ドア自体が重量のあるものでしたので、揺れるドアにぶつかる恐れがありましたし、ドアが破損した場合はドアに押し潰され可能性もありました。


そうしているうちにようやく揺れが収まりました。


余震や津波の危険性は頭にありましたが、とりあえず我が身を守れたことに安心しました。



もちろん事態がこれで済んだ訳ではありませんでした。



以下、次の記事に続きます。