皆さん、こんにちは!いつも読んでいただきありがとうございます!

師走の日曜日。

いかがお過ごしですか?

自分は今日もまったり…午後のコーヒーブレイク at TULLY's

ブログを始めて思うことは、いろいろな方の考えを知ったり、自分の頭の再構築ができたりと、ある意味「基本」に戻れるとこがいいかなと思っています。

ただ、もっともっと様々な視点からのご意見を伺いたいと思いつつも、かなりマニアック的部分でのつぶやきでもあり致し方ないのでしょうね…

教育、学校、学級、先生って、どうも「隙間」がありすぎるように思っていながら、なかなか「内」にいては見えないことが多いのも現実なんです。

そこで、今、一番知りたいのが…

①もしあなたが学校の校長だったら、どんな学校にしたいと思いますか?

②もしあなたが学級担任だったら、どんな学級経営をしようと思いますか?

③もしあなたが塾を経営するとしたら、どんな塾にしようと思いますか?

という3点。

あまりにも漠然とした、でっかい質問ですが、そこがミソなのかな。

学校、学級、塾は、ほとんどの人が経験していると思います。お子さんがいらっしゃる方は、その観点からも。

実に様々な視点から書かれたもの…嬉しさ爆発するくらいぞくぞくしそうです。

それぞれ描くものは、きっと経験からくるマイナス点を埋めようとするものやさらに良くなるようにという点も多いかと…!

自分の子どもを行かせるなら…や、自分が行くとしたら…とか、実際に造るとしたら…など、めちゃくちゃ勝手な意見でいいのです!

できたら気軽にいろいろな観点から書いていただけたらありがたいなぁと。

参加させていただいているグルっぽでトピを…そして聞いてみたいけど、勇気ないし…(;_;)


もうちょっと勇気がでたら実行してみようかなぁ…o(^-^)o


なんてずっと考えます。

さて、学校の授業のメインを「理解」においたとすると、その「定着」を図るのが家庭学習であったり、人によっては塾だったりとなる。

宿題の工夫のポイントは、授業と家庭学習をリンクさせること。そして「定着」と「伸長」。

例えば、社会で平安時代の摂関政治を学習し、「理解」したとする。

家庭学習で「定着」を図るには、必ず復習が必要である。ここでは「分かり直し」としての学習。さらには図に表してみたり、漢字で書けるよう練習したり、問題を解いて確かめたりという学習になる。

数学なら、授業で「理解」した新しい例題をもう一度解く。さらに練習問題にチャレンジして「定着」を図るといった家庭学習に。

繰り返しになるが、学校の授業と家庭学習を上手にリンクさせるために、宿題の出し方の工夫も大いに必要となるなら…

本来なら個別化を図るべきだろうが、理想としては、授業の理解度にあわせて、三段階位だろうか。

十分満足、おおむね満足、努力を要する…このグループ化を図ることで、宿題も違ったものに。

こうして考えると、これだけでも相当な労力を必要とするものである。

毎回、毎日ではなく、単元のポイント、ポイントであったにせよ、「当たり前」を当たり前に実行し、本来の役割を追究しなければならないのだろう…と反省m(_ _)m


▼ついでに…宿題と自主学習

国語教師ではないのでよく分からないが、漢字を身につけさせるために、よく「漢字を何回ずつ練習」というのがある。

子どもたちは小学校低学年から一行ずつ練習する。

それよりも、全てひらがなで書かれた文章を使い、漢字で書くべきものを漢字で書く…という練習の方がよいのではないかとも思ったりする。

最初は、教科書の本文をそのままひらがな書きに直したプリントを作成し配布。文章の中で漢字を練習。

次の日も同じプリントを配布。

これを3~4日続ける。

その後、出てきた漢字を全て使って教師が作成した別の文章をプリント。これをまた3~4日。

どうなんでしょうね…?

もちろん一行ずつ書いて練習することの意義やメリットもわかりますが…。

例えば、形をしっかり整える…みたいな点…これはこれで有効なのかと。


授業やら学級経営やら宿題やら…まあ、教育全体としてなのでしょうか…もうひとひねり!これが大いに必要なのかと常々考えている織田でした。

いつも読んでいただき本当にありがとうございます!
当たり前のことをちょっと再考してみる!

学校の役割って何だろう?

様々な役割がある。もちろんそれは教育基本法に始まり、学習指導要領にいたるまで…様々な法規等に書いてある通り。

社会性やら生きる力やら確かな学力やら規範意識やら…実に多くのこと。

よく「学校なんかに任せておけない」という批判を聞く。

ではどうするかと言えば、塾へ…

そこで、いろいろな役割があるが「学力」に関して再考してみる…

学校の授業で何ができるだろうか?

授業は、どうあるべきなのだろうか?

全ての子どもたちに学習指導要領がかかげる全てのことを到達させること…これが我々教師の使命であることは絶対に間違いない!

そのために教材研究をしたり、授業構想を練ったり、プリントや資料を準備したりしているのである。

果たしてそんなことが可能なのだろうか?…という疑問を投げかけること自体、本当は許されないのである!

実に厳しい…これが当たり前!なんですよね、本当は!

だから…絶対評価!全員を目標、評価規準到達へと導かなくてはならないわけで…。

しかし最近はゆとり教育の功罪などと言って「点数主義的」学力観が特化してきているからさらに厄介。

そんな現状や本来果たすべき役割等から学校の授業、確かな学力等を考えてみると…

学校での授業…一番求められることは何なのだろう?

集団で勉強している意味をもっと考え、有効に生かすべきではないだろうかとも思う。

極端なケースをあげれば、子どもが1人であっても、10人、20人、30人であっても変わらないような授業では意味がない(ここまでは言い過ぎかとは思いますが…)のではないか?!

つまり授業の形態として、何人いても結局「教師対一人の子ども」的な授業である。

集団だからこそ学べること、集団で学ぶ意義や意味をもっともっと全面に出し、追究していくべきなのではないかと考える。

集団つまり他者から学ぶ力、学ぶことのできる力は、とてつもなく大きな力だと信じている。

だから、もっともっと「学び合い」を取り入れるべきかとも考えている。

さらにはその授業のメインは「理解すること」になる。

分かる、納得するということ。

「定着」を図るのは、家庭学習。

「できる」「覚える」などの部分である。さらには、それを使った「応用」も。

現実としては、双方をうまくリンクさせていくことが必要なのではなだろうか…