報道する自由、報道しない自由
最近報道しない自由が問題視されています。
マスメディアは、報道する自由は憲法で保障する言論の自由の一環として、金科玉条、不可侵の権利の如く主張します。
一方、報道しない自由については、マスメディア自身が問題にすることは余りありません。
具体例で見てみましょう。
8月22日の読売新聞と産経新聞に、「放送法遵守を求める視聴者の会」による、全面意見広告が掲載されました。
この広告は、学校法人加計学園獣医学部新設問題をめぐる、7月10日の国会閉会中審査について、テレビがどのように報じたかを検証したものです。
意見広告は訴えています。
テレビはしっかり事実を伝えて欲しい‥‥
それが、視聴者の切なる願いです。
テレビ放送は、貴重な公共財である電波を独占的に使用して、広く国民に情報を届ける役割を担っています。
今のテレビ報道は、その責任を果たしているでしょうか?
「加計問題」を扱ったテレビ報道時間合計8時間36分23秒。(そのうち)参考人3人の発言を放送した時間2時間42分22秒。
「行政が歪められた」とする前川喜平前文科事務次官の発言を放送した時間、2時間33分46秒。
「歪められた行政が正された」とする、加戸守行前愛媛県知事の発言を放送した時間、6分1秒。
「規制改革のプロセスに一点の曇りもない」とする、原英史国家戦略特区ワーキンググループ委員の発言を放送した時間、2分35秒。
実際の国会審議は、テレビが映し出す様子とはまるで違っていました。(国会論議抄録を紹介してある)
これらの発言を、皆さんはご存知でしたか?
放送法第4条
1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実をまげないですること。
4.意見が対立している問題については、できる
だけ多くの角度から論点を明らかにすること。
テレビ局のみなさん、国民の知る権利を守るため、放送法第4条を守ってください。
以上の通りです。
このように恣意的に編集して放送されても、一般視聴者には検証するてだては全くありません。
検証どころか、知るてだてもありません。
前川氏の意見と加戸氏の意見どちらが妥当かは、情報の受け手が判断するべきものです。
テレビや新聞等のマスメディアは、事実や読者・視聴者が判断する材料をありのままに提供することが本質的な存在意義です。
民主主義の根幹をなすものです。
報道しない自由は、その民主主義の根幹を壊しかねないと思います。
明日公示の衆議院議員選挙、マスメディアの報道をこんな視点でも判断したらいかかでしょうか。